世界のリチウムイオン (Li-ion) 電池産業は新たな転換点を迎えている。リチウムイオン電池の需 要は、2024年に1.0テラワット時 (TWh) を突破し、2025年には約1.6TWh に達した1。また、バッテリーエネルギー貯蔵システム (BESS) の世界導入量は、2035年まで年間記録を更新し続けると予 測されている2。一方、2024年のバッテリーパックの価格は、過去5年超で最大の年間下落幅を記 録した。2025年にはさらに低下して1キロワット時 (kWh) 当たり108ドルとなり、過去最低水準を 更新した。これは2018年の価格の半分以下にあたり、セル価格も74ドル/kWh まで下落している3。こうした価格下落の主な原因は、バッテリーセルの供給過剰にある。
2025年時点で、リチウムイオン電池の過剰生産能力は世界全体で約900GWh に達しており、需要と名目生産能力を比較すると、その規模はさらに大きくなる。この過剰生産能力は、主に、世界で販売されるバッテリーの75% 以上を製造しているアジアの主要メーカーによるものである4。とりわけサプライチェーンの上流および中流における同地域の優位性が、世界のバッテリーバリューチェーン全体に不均衡をもたらしている( 図表1)。各国政府は、バッテリー産業の国内化を促進するために様々なインセンティブを設けている。こうした政策の意義は大きいものの、今後10年でアジア以外の地域に国際競争力のあるバッテリー産業を確立するためには、企業は規制遵守の域を超えた取り組みを行うことが求められる。サプライチェーン、人材マネジメント、オペレーション、テクノロジーなど、多岐にわたる課題を克服する必要がある。「マッキンゼー・バッテリー・インサイツ」では、世界のバッテリー市場規模が2030年に4.2TWh、2035年には6.8TWh に達すると予測している。EV およびエネルギー貯蔵への需要の強さを背景に、その85% 以上をリチウムイオン電池が占める見込みである。2030年の需要予測は、2023年時点での予測値4.7TWh5に満たないものの、2019年時点の予測値2.6TWhを大きく上回っている。これは、
バッテリー産業がいかに急速に拡大・進化してきたかということ、そして世界成長における新たな転換点となり得ることを示している。しかし、構造的なコスト低減と歩留まりの改善が実現しなければ、今後数年にわたり生産能力の拡大が制約される可能性がある。本稿では、リチウムイオン電池産業に焦点を当て、国際競争力のあるバッテリーサプライチェー ンの構築および新興技術の価値最大化に向けて、米国と欧州の産業界および公共部門の関係者、ならびに同地域で事業を展開するアジア企業に対し、事実に基づく示唆を提示する。2035年まで に各地域で競争優位を確立するためには、以下の4分野で高い実行力を備えることが求められる。
- コストリーダーシップ: BOM(Bill of materials: 部材構成) の最適化、生産ラインの効率化など複数の施策を組み合わせ、コスト優位性を確立する
- オペレーショナルエクセレンス: オペレーションの効率化、量産立ち上げの迅速化を通じて、高い歩留まりを実現する
- サプライチェーンの国内・域内化: 製造装置を含め、サプライチェーンを国内・域内化する。 EU および米国では、各地域のインセンティブ制度の活用が競争力確保の鍵となる
- 信頼性の高い技術ロードマップ: リン酸鉄リチウム (LFP)、ニッケル・マンガン・コバルト酸リ チウム (NMC)、全固体電池に加え、ドライ電極コーティングなどの製造工程に関して、実行可 能性の高い技術ロードマップを策定する ( コラム「2035年に向けた技術ロードマップ」参照)。さらに、競合他社に先んじて新技術を市場投入する
生き残りの鍵: コスト効率
2025年にはリチウムイオン電池パックの価格が8% 下落し、2024年の20% の下落に続いて低下傾向が続いた6。パックメーカーにとって、これは明確な警鐘である。世界のバッテリー供給が需要を大きく上回る中、競争が激化し、利益率が圧迫されている。
今後は、技術の進歩によるコスト押し下げ効果が原材料価格の上昇により相殺されるため、コストは概ね横ばい、あるいはやや増加する可能性がある。原材料価格が低位で推移するシナリオを前提とすると、世界平均のバッテリーパックのコストは、2035年までにNMC が1kWh 当たり75~ 90ドル、LFP が同55~65ドルとなると予測される。ただし、価格の下限が保証されているわけではなく、重要鉱物の価格サイクルやサプライチェーンに影響を与える政策による制約次第では、価格低下の流れが反転する可能性もある。
こうした環境下で生き残る鍵となるのが、コスト効率である。バッテリーセルメーカーやOEM は、低価格が続く環境や市場変動による影響を緩和するため、以下のコスト効率に関するチェックリス トを活用することを提案する。
1. BOM( 部材構成) 計画: バッテリー生産におけるコスト効率を向上させるには、市場需要の変化に応じてLFP やNMC パックの生産能力を調整する必要がある。また、メーカーは、原材料の供給状況や、それに伴うコスト上昇を継続的に把握しておく必要がある。例えば、リチウムやニッケルの価格が50% 上昇した場合、セルコストは約10% 上昇すると見込まれるが、天然黒鉛やマンガンの価格が同程度上昇しても、コストへの影響ははるかに小さい。ただし、正極活物質の充填量やセルへのシリコン負極材の配合を最適化し、エネルギー密度や充電速度を向上させることで、原材料価格上昇の影響を部分的に相殺することができる。要するに、もはやコモディティ価格の動向以上に、部材構成の最適化がコスト耐性を左右するのである。
2.製造コスト指標: バッテリーメーカーは、複数の製造指標を改善する必要がある。これには、生産ラインの生産効率(ライン当たり年間GWh 生産量)、エネルギー原単位 ( 生産量1kWh 当たりの投入エネルギー)、容量1kWh 当たりの設備投資額 (kWh 加重ベース)、および労働生産性が含まれる。参考までに、目標となるベンチマークを提示する。
- 生産ラインの生産効率 ( 定常稼働): 80~90%
- 設備投資額: 1GWh 当たり5,000~8,000万ユーロ ( 電池材料による)
- エネルギー投入量: 容量1kWh 当たり20~35kWh ( 電池材料による)
- 人員: 1GWh 当たり30~40FTE
3. 歩留まりとスクラップ率: バッテリー工場の歩留まりとスクラップ率は、利益を左右する極めて重要な要因である。生産ラインが成熟するにつれて、バッテリーセルの良品率は上昇し、スクラップ率は低下するが、ラインの立ち上げ初期にはスクラップ率が70~80% に達することもあり、有害廃棄物の処理には多額のコストがかかる。そのため、直行率を高め、バッテリーセルの組立・検査工程を迅速化することが、利益を押し上げる大きな要因となる。これは、スクラップ削減によるコスト削減効果が、原材料価格の引き下げ交渉によって得られる節約額を上回るケースが多いことにも起因する。
4.国内・域内化のメリットとデメリット: 米国およびEU のメーカーは、それぞれ米国インフレ抑制法 (IRA)、EU 重要原材料法 (CRMA) に適合することで得られるコスト上の優位性を見極める必要がある。場合によっては、中国調達の部材構成の方がコスト面で有利となる可能性もある。国内・域内化の判断は、地域別の費用対効果分析に基づいて行うべきである。例えば、米国で生産されたLFPセルの総コストと、中国から輸入した同等品の総コストを比較するといった分析が考えられる( 図表2)。
持続的な優位性をもたらすオペレーショナルエクセレンス
各メーカーは、リチウムイオン電池の需要が急増することを見越して、近年、世界の生産能力を増強してきた7。この傾向は今後も続くとみられる。欧州や北米を中心に新たなギガファクトリーが稼働を開始しており、2025年初頭の時点で、米国だけでも約700GWh 分の追加生産能力が建設段階にあった8。我々は、世界のバッテリー工場の名目生産能力が2030年までに約6.7TWh に達すると見込んでいる。これは、現在の推定生産能力である約4TWhと比べて67% の増加となる。
しかし、設備の生産量を引き上げ、目標とする名目生産能力まで到達することは、依然として大きな課題となっている。2024年には世界のバッテリー需要が1TWhを超え、世界全体で生産能力が過剰な状況にあったにもかかわらず、多くの生産ラインが想定どおりの生産能力を発揮できていない。総合設備効率 (OEE) の向上や安定した生産品質の確立が遅れることは、競争が激化する世界市場においてメーカーの競争力を脅かしかねない。
このような環境下では、オペレーショナルエクセレンスの実現こそが、メーカーが持続的な優位性を確立する源泉となる。例えば、歩留まりを95% まで引き上げるまでの立ち上げ期間を短縮できるかどうかは、業界のリーダー企業とそれ以外の企業とを分ける決め手となる。バッテリー生産の立ち上げ時に生じる課題を軽減・解消し、高い生産性を維持するために重要な3つの要素を以下に示す。
1. OEEトライアングル: バッテリー工場においてOEEトライアングルを構成するのは、稼働率 ( 計画外ダウンタイムがないこと)、性能 ( 最適なスループット)、セル生産品質 ( 高い歩留まり) の 3要素である。メーカーは、立ち上げ期間中から業界最高水準のOEE目標を設定し、セルの生産開始から18カ月以内に、歩留まり95% 以上、OEE85% 以上を達成することを目指すべきである。
2. プロセスイノベーション: 競争力を確保するためには、メーカーは新たなプロセスイノベーションをオペレーション全体に包括的に導入する必要がある。このイノベーションには、ドライ電極コーティング、高速スタッキング、高効率の充放電工程などが含まれ、エネルギー消費および設備投資の削減を通じてセル生産コストを抑えることができる。例えば、欧州でドライ電極コーティングを導入すれば、エネルギー消費と設備投資の両面でコストを抑えられ、1kWh 当たり2~3ユーロのコスト削減が見込めると我々は試算している。
3. 人材とシステム: バッテリー工場では、生産プロセスの安定性と製品品質は密接に関連している。生産性を高め、品質の一貫性を確保する上で、オペレーターの技能は極めて重要である。なかで も適切な技術人材を確保できるかどうかは成否を分ける重要な要素であり、技能不足が原因で失 敗に至ったスタートアップ企業も少なくない。メーカーは、求められるスキル要件を定義するとと もに、工場作業員の能力を訓練・評価するための体系的な仕組みを優先的に整備すべきである。リアルタイムでの生産ライン監視および検査 ( インライン計測)、製造実行システム (MES)、さらに スラリー作製、プレス、注液などの重要工程において統計的工程管理 (SPC) ツールを活用するこ とで、セルの生産性と品質の向上が期待できる。
対応の強化が求められる欧州および米国
現時点ではアジアのメーカーが優位に立っているものの、欧州や北米でも、バッテリー産業の国内・域内化に向けた動きが強まっている。これらの地域では、労働コスト、電力コスト、原材料コストが相対的に高いものの、成長を後押しする政策を活用しながら、国際競争力のあるバッテリーバリューチェーンの構築に取り組んでいる。
欧州と米国は、いずれも自国のバッテリー産業の成熟を目指すという共通の目標を持っているが、政策アプローチにはそれぞれ違いがある。EU は、グリーンディール産業計画および関連法規制 を通じて、2030年までに同地域のクリーンテクノロジー需要の少なくとも40% を域内で賄えるよう、製造能力の拡大を進めている。また、同年の具体的な域内目標には戦略的原材料も含まれてお り、EU はこれらの原材料について、2030年までに10% を採掘、40% を加工、25% をリサイクル することを目指している9。EU は、CRMA ( 重要原材料法) に基づいて生産能力の拡大を図る47件の 戦略プロジェクトを選定するなど10、前進に向けた具体的な取り組みを実施してきたものの、資金調達や許認可に関する課題は依然として残されている。欧州委員会と自動車業界との間で現在進行中の「欧州自動車産業の将来に関する戦略的対話」においても、EV の量産拡大を支援する新たな枠組みが議論されており、バッテリーバリューチェーン全体にわたる新たな補助金の導入についても検討される見込みである。
一方米国では、IRA ( インフレ抑制法) により、国内のバッテリー生産に対する大規模な投資が促進されてきた。EV 購入に対する最大7,500ドルの税額控除は2025年9月に撤廃され11、EV 販売にも大きな影響を与えたとみられるが、IRA の重要な制度である45X 条の先進製造業の生産税額控除は維持されている。マッキンゼーの分析によれば、1kWh 当たり35ドルの税額控除が適用されることで、バッテリーセルの製造コストは実質的に30~50% 低下する。また、この制度は、立ち上げ期における運用コストや歩留まり損失を補填し、米国内のメーカーが中国とのコスト差を縮小することにも寄与する。
現在のサプライチェーンは地域的な偏りが大きく、供給や価格の変動リスクを抱えている ( 図表3)。例えば、米国およびEU は、いずれも負極用黒鉛および正極前駆体の生産における世界シェアが 10% 未満にとどまっている。この中流工程の不均衡が、両地域の産業の成熟にとって大きな課題 となっている。米国およびEU が国際競争力のあるバッテリーバリューチェーンを構築するために は、セル組立に加え、上流の鉱物の精錬・加工を国内・域内に移管する必要がある ( 図表4)。
欧州における成功要因
欧州で強靭かつ競争力のあるバッテリーバリューチェーンを構築するには、官民の継続的な連携が不可欠である。欧州は生産能力について高い目標を掲げているものの、これまでに発表された計画の多くは実現に至っておらず、現在、生産の大半を欧州域外の企業が担っている。バリューチェーン全体で競争力のある規模と生産能力を構築するには、統合的な戦略が求められる。
欧州のバッテリー産業が国際競争力を獲得するためには、2035年までに2,000~3,000億ユーロの投資が必要になると見込まれる。原材料からリサイクルに至るまで、バリューチェーン全体にわたり、明確な戦略に基づいて資本を投入していく必要がある。具体的には、精錬、セル製造、リサイクルといった重要分野で主導権を確保することが、レジリエンスを強化し、欧州域内でより多くの付加価値を創出する上で不可欠である。
同地域におけるバッテリー需要は、EV 用途にとどまらず、今後も大幅な増加が見込まれている。欧州では、風力および太陽光発電の拡大を背景にBESS の導入が急速に進んでおり、設置容量は 2024年の20GWh から2030年には60GWh へと増加する見通しである。
コストと許認可の条件が整えば、バッテリー供給の域内化は十分に実現し得る。一方で、欧州で競争力のあるバリューチェーンを構築する道筋は依然として不透明である。それでも、魅力的な制度設計を通じて世界の有力企業の参入を促し、技術の域内化を後押しすることで、サプライチェーンへの参画や研究開発投資を促進できれば、成功の可能性は大きく高まる。
もう一つの重要な成功要因は、戦略的パートナーシップや合弁事業を通じて、スキル育成と技術移 転を進めることである。政府の支援対象となる合弁事業の枠組みを活用して、世界の主要なバッ テリー企業と欧州のメーカーの協業を促すことで、産業基盤の能力差を埋めることができる。また、許認可の迅速化、資金調達へのアクセスの確保、越境協力の促進を通じて、官民連携を進めるこ とも重要である。特に、生産拠点の整備とサプライチェーンの域内化の加速に向けて、CRMA の 目標に沿って承認手続きの簡素化を図ることが鍵となる。
完全な域内化が必要なわけではないものの、例えば欧州で行う材料加工の割合を増やすことで、域内におけるバッテリー産業による経済効果がさらに高まる可能性がある。より広い観点では、EVへの移行や再生可能エネルギーの拡大を支え得る、競争力のあるバッテリーバリューチェーンを構築するには、欧州全体での連携とパートナーシップに基づく取り組みが不可欠である。
米国における成功要因
バッテリー産業の発展を促す米国での取り組みは、欧州の方向性やEU の支援措置中心のアプローチと概ね共通している。一方で、同国は、独自の政策および市場環境のもとでこれらの取り組みを展開している。2025年にはクリーンエネルギー関連の税制優遇や政策の一部が見直されたものの、IRA により引き続き国内バッテリー分野への大規模投資が促進されている。
欧州と同様に、EV の普及に加え、BESS の急成長がバッテリー需要拡大の大きな要因となっている。 2024年にはエネルギー貯蔵の導入量が37.1GWhに達し12、2025年には50GWhを超え、過去最高を 更新すると見込まれている。2025年7月に成立した大型減税法「1つの大きく美しい法案(One Big Beautiful Bill Act)」では、蓄電池に対する既存の税制優遇措置の大部分を維持する一方で、「懸 念される外国の事業体 (FEOC)」に関する材料要件を一段と厳格化し、国内化ルールを強化した13。
政府によるインセンティブを含む規制の安定性は、米国バッテリー産業の将来を左右する重要な 要因の一つである。このほか、「バッテリーベルト」と呼ばれる南東部および中西部における新興 産業地帯の形成に向けた、連邦および州レベルの様々な支援策も重要な推進要因となっている14。さらに、大規模プロジェクトのリスク低減を目的とした官民連携や、技術力強化に向けた研究開 発支援・人材育成プログラムも成功を後押しする要因となる。
将来的には、米国は自律的かつ国際競争力のあるバッテリー拠点へと発展する可能性がある。これが実現すれば、政府の政策や投資などにより形成された地域のエコシステムが、決定的な役割を果たすとみられる。
地域完結型サプライチェーンを構築するための要件
バッテリー需要の拡大が続く中、欧州および米国はサプライチェーンのアジア依存の低減を進めている。とはいえ、すべてのステークホルダーが足並みをそろえたとしても、アジアのサプライチェーンに大きく依存することなく、2030年までに需要を満たすべく国内・域内の生産を拡大することは容易ではない。 競争力とレジリエンスを兼ね備えた地域完結型サプライチェーンを構築するためには、以下の4つの要件が不可欠である。
1. インセンティブ価格の確立
アジアにおけるバッテリーサプライチェーンの規模と成熟度を踏まえると、米国および欧州でサプ ライチェーンの国内・域内化を促進するには、企業への新たなインセンティブの付与や資本リス クの低減に向けた方策を検討することが求められる。適切な企業を誘致するには、政府および産 業界が、技術や企業の種類を問わず、サプライチェーン全体を対象とした明確な価格シグナルと インセンティブの仕組みを設計する必要がある。そのためには、バッテリーエコシステム全体の 動向や、バリューチェーンの各段階における具体的な課題を的確に見極めることが不可欠である。まず着手すべきは、技術の方向性、企業構成、コスト要因、投資およびリターンといった要素を 踏まえ、技術経済性( テクノエコノミクス) を理解することである。戦略的には、長期的な地域別の 価格シグナル、リスク調整後リターン、契約条件、地政学リスク、オフテイク契約の確実性を考慮 しつつ、適切なリスク低減およびインセンティブ設計を通じて、必要な企業と資本をいかに呼び 込むかが重要となる。なお、北米および欧州におけるバッテリーサプライチェーンの構築・拡大 に向けたインセンティブ設計の詳細については、別稿にて詳述予定である。
2. 外国依存リスクの可視化とデジタルトレーサビリティの確立
戦略およびガバナンスの観点から、米国のメーカーは、採掘・精錬から電池部材、バッテリーセル、バッテリーパック製造に至るまで、バリューチェーン全体にわたって「懸念される外国の事業体 (FEOC)」への依存状況を可視化し、管理することが求められる。そのためには、バリューチェーンの各段階における出資構造、取締役会の支配権、知的財産権、トーリング契約を監視するガバナンス体制の構築が不可欠である。メーカーは、法務およびコンプライアンスのレビューを前提としつつ、FEOC 関連リスクを評価するためのデジタルマッピングツールの導入を進めるべきである。さらに、政府規制に基づく税額控除の適格性を維持しながら調達の柔軟性を確保するためには、規制に適合したパートナーシップ設計が重要となる。同様に、デジタルトレーサビリティの導入により、原材料の出所を検証し、IRA およびCRMA 双方の要件への適合を担保することが可能となる。加えて、メーカーは、使用する重要鉱物が国内調達要件を満たしていることを自動的に検証できるよう、部材単位でのマスバランス管理やサプライヤースコアカードといったデータ管理・評価システムの導入を検討すべきである。これにより、監査対応力を高めるとともに、税制優遇の適格性を確保できる。
3. 採掘と精錬の強化
リチウム、ニッケル、マンガン、黒鉛など、主要材料の採掘および精錬の国内・域内化は、国内調達要件の充足と供給安定性の確保に不可欠である。また、EU におけるCRMA 指定の戦略プロジェクトや、米国エネルギー省が支援する取り組みを通じて、国内および同盟国地域での生産能力を拡大することも、新たな出資規制や調達ルールへの対応において重要となる。実際、この分野ではすでに進展が見られており、EU のCRMA目標に基づく47の戦略プロジェクトのうち、30件が、リチウムや黒鉛などのバッテリー主要原材料に関連している。今後は、貿易・産業政策の変化に伴い、国内比率を引き上げることが鍵となる。
4.中流工程の処理能力強化
域内での供給不足を解消するためには、中流工程の処理能力を拡充することが不可欠である。これにより、付加価値の取り込み、バッテリー性能基準および規制要件への対応、市場変化への迅速な対応力の確保が可能となる。国内・域内投資においては、以下の4つの領域を優先すべきである。
- 正極材および負極材の生産とバッテリーセルの量産開始時期の連動
- 溶剤回収システム
- ポリフッ化ビニリデン ( バインダーとして使用される樹脂) の代替材料
- ブラックマスおよび活物質のリサイクル
メーカーが地域における中流工程の事業拡大を検討する際には、リサイクルを、単なる規制対応 の手段としてではなく、上流工程のバッテリー原材料を補完する施策として位置づけるべきである。最終的に、リサイクル材の活用は、欧州および北米における供給能力格差の解消に寄与する。
モビリティ用途を超えて: 急拡大するBESS
BESS は、おそらく世界で最も成長が著しいクリーンエネルギー技術である。各市場で政策の不確実性やインセンティブの変動が続く中でも、ユーティリティ規模のBESS 導入量は世界全体で過去最高を更新し続けている15。マッキンゼーの推計によれば、BESS の累積導入量は2025年末までに 200GWh に達し、2030年には500~700GWh に拡大する見通しである。
電力系統に占める再生可能エネルギーの割合の上昇が、BESS の急速な拡大を後押ししている。風力および太陽光の発電量が増加するにつれ、出力変動の平準化や電力系統の安定化に向けて、柔軟性を確保する蓄電システムの重要性が高まっている。すなわち、BESS は、世界のエネルギーインフラにおいて基盤としての位置づけを急速に強めつつある。
BESS の採算性を左右する材料以外の要因
BESS の採算性は、バッテリーの材料だけに依存するものではない。材料はコストと性能に影響を与えるものの、プロジェクトの採算は、それ以外の要因に大きく左右される。具体的には、プロジェクトの設計、建設、系統接続、劣化および増強戦略にかかるコストが挙げられるが、なかでも特に重要なのが収益源である。アンシラリー( 系統安定化サービス)、アービトラージ( 裁定取引)、容量市場からの収入といった収益源は地域ごとに異なり、単一のプロジェクトであっても時間とともに変化し得る。
北米および欧州におけるBESS の動向
米国では、2025年もBESS 導入量が過去最高を更新する見通しである16。AI およびクラウドコンピューティングの拡大に伴いデータセンターの電力需要が急増しており、電力供給の信頼性向上や電力系統への負荷の軽減に向けて、BESS 導入が加速している。また、IRA による支援措置や、独立系統運用機関 (ISO) による電力市場改革も成長を後押ししている。この改革によって、容量提供への対価づけや、ノード間の価格差を利用した裁定取引 (ノーダル・アービトラージ) を促す制度が整い、テキサス州やカリフォルニア州などでは、大規模な太陽光発電拠点周辺でプロジェクト開発が進んでいる。規制とコンプライアンスの観点では、サプライチェーンおよび原産地に関する規則が調達のあり方を変えつつある。FEOC 規制は系統用蓄電に関する連邦税制優遇制度にも適用されるようになり17、BESSプロジェクト開発事業者は、バッテリー材料のトレーサビリティ確保と規制適合ベンダーの選定が求められている。これにより、BESS 向けセルの国内生産への投資も促進されている。
一方、欧州では、現在計画中のBESSプロジェクト案件 (2030年時点で約60GWh) は、再生可能エネルギーの拡大に伴い、必要とされる蓄電容量を大きく下回っている。導入の進展は、地域に応じた価格シグナルやアンシラリーサービス( 系統安定化サービス) に関する収益の透明性、ならびに許認可のスピードといった要因に左右される。欧州で許認可の迅速化や価格見通しの明確化が進まない場合、大規模な蓄電不足が生じ、電力系統の安定性が損なわれる可能性が高い。
テクノロジー展望
BESS 市場は、用途や稼働時間に応じて、2035年まで細分化が進む見通しである。LFP は、コスト、安全性、信頼性の観点から、最大6時間程度のシステムで引き続き主流となる見込みである。一 方、サプライチェーンの成熟が進めば、定置用蓄電池では、ナトリウムイオン電池がリチウムイオ ン電池に代わる低コストの選択肢となる可能性がある。また、フロー電池をはじめとする長時間 蓄電技術は、商用規模での実証が進んだとしても、数時間以上の用途において総所有コストがリ チウムイオン電池と同等になるまでは、限定的な用途にとどまる見通しである。
今後24カ月の優先課題: EUおよび米国の経営層に求められる5つのアクション
世界的な需要の拡大に加え、技術や規制の進展が続く中、バッテリーメーカーを取り巻く事業環境は一層複雑化している。こうした状況のもとで競争力を強化するには、EU および米国の経営層は、以下の5つのアクションに優先的に取り組むことが求められる。
コストリーダーシップの確立: マージン圧力の高まりと原材料価格の変動が続く中、材料およびオペレーションの両面から価値を精査し、コストと性能の最適なバランスを追求する必要がある。メーカーは、コストと性能の適切なバランスをとるため、LFP およびNMC について、継続的に部材構成の最適化を図るべきである。また、サプライヤー契約の見直しや主要材料の再入札に加え、スクラップ率の低減および歩留まりの改善も、コスト競争力強化に向けた重要な取り組みとなる。
量産体制の早期確立: 経営層は、新設工場の立ち上げにあたり、量産開始 (SOP)までのスケジュー ルに影響を及ぼし得るあらゆるリスクの低減に注力するよう、オペレーションチームを主導すべき である。具体的な取り組みとして、ゴールデンバッチ( 最適条件で製造された基準バッチ) の定義、工程能力の検証 ( 測定システム分析)、初期不良の早期検知に向けたSPCライブラリの整備など が挙げられる。また、設備投資は、生産性目標を満たすよう、OEE の達成状況と連動して実施す る必要がある。このような取り組みを徹底することで、量産立ち上げまでのリードタイムを短縮し、新工場を迅速に稼働させることが可能となる。
政策支援の活用による関税リスクの低減: EU は、2025年から2027年にかけて、EUイノベーション基金などを通じて約30億ユーロ規模の財政支援をバッテリー製造分野に投じるほか、2025年には産業強化策「バッテリーブースター」を含む自動車パッケージを公表した。また、米国およびEUでは、それぞれ禁止外国事業体 (PFE) 規制、およびCRMA目標が導入されているため、メーカーはコンプライアンス体制を整備する必要がある。具体的には、優先的に合弁事業や出資構造に関する適合性確認を行い、文書管理プロセスを整備することなどが挙げられる。
BESS 導入の加速: 部材メーカーおよびシステムメーカーのリーダーは、EU・米国市場において、最適な提供価値の設計に注力すべきである。例えば米国では、LFP 電池セルの国内生産や、資本支出および運用コストの最小化に向けたシステム全体の最適化などが挙げられる。また、制御装置やソフトウェアの国内・域内化も、EU・米国において効果的な施策と考えられる。
重点領域への戦略的投資: 優先的に投資すべき領域は主に3つである。ドライ電極コーティングの試験生産ラインの構築、シリコン混合負極の導入・展開の推進、およびサプライチェーンの成熟に合わせて定置用電池としてナトリウムイオン電池へ転換できる体制の整備である。加えて、全固体電池の技術動向を注視し( 特に2027年から2030年にかけて)、その実用化に備えておくことが重要である。
これら5つのアクションを総合的に実行することで、コスト優位性の確立、生産効率の向上、イノ ベーションの活用、および政策・供給リスクの低減を実現できる。こうした取り組みが、将来の 競争優位を支える基盤となる。また、日本など他地域の経営層においても、アジア(特に中国)、 EU、米国市場におけるバッテリーのバリューチェーン構築のトレンド、各プレーヤーの意思決定 を注視した上で、価格・供給のボラティリティリスクへの低減措置を講じ、独自のバリューチェー ンを構築する道筋を描く必要性が増している。本稿では、特にEU、米国におけるバリューチェー ンの課題と現状を記したが、日本市場におけるバッテリーバリューチェーン構築、サプライチェー ン確保の戦略を考える際の一助となることを願っている。