アステラス製薬 代表取締役社長CEOの岡村直樹氏に、次世代の創薬を支えるイノベーション戦略について伺いました。
アステラス製薬は、日本発のグローバルライフサイエンス企業です。同社は近年、イノベーション創出のあり方を大きく進化させてきました。がんや免疫、糖尿病といった疾患領域ごとに研究開発パイプラインを構築する従来のアプローチではなく、科学的妥当性を起点とする独自の「フォーカスエリアアプローチ」を通じて、患者さんへの「価値」の最大化を目指しています。この考え方は、2026年5月に発表した5カ年計画「経営計画2026 (Corporate Strategic Plan 2026)」にも反映されています。
2023年に代表取締役社長CEOに就任した岡村直樹氏は、研究開発体制や組織運営の変革を通じて、患者さんの「価値」を起点とした新たなイノベーションモデルの構築を進めてきました。イノベーションを持続的に生み出す組織をどのように構築し、アステラスの次なる成長につなげようとしているのか──マッキンゼーのシニアパートナーであるミケーレ・ラヴィショーニとシャイル・タケールが話を伺いました。
フォーカスエリアアプローチが生み出す新たな研究開発モデル
マッキンゼー: アステラスが推進する「フォーカスエリアアプローチ」について教えてください。また、この転換は研究開発パイプラインにどのような変化をもたらしていますか。
岡村直樹 (以下岡村、敬称略): 多くの製薬企業は、治療領域や技術プラットフォームを軸に研究開発戦略を構築しています。一方、アステラスでは「バイオロジー」「モダリティ/テクノロジー」「疾患」という三つの要素を組み合わせる独自のアプローチで研究開発を進めています。
まず、疾患との強い関連性が認められるバイオロジーへの深い理解を出発点とします。そのうえで、そのバイオロジーに働きかける最適なモダリティ/テクノロジーを検討し、最後に、その組み合わせによって、最も大きな「価値」を提供できる患者さんを見極めます。つまり、あらかじめ特定の治療領域を起点とするわけではなく、必ずしも一つの治療領域に収まるものでもありません。
以前は、自らを「泌尿器領域の会社」「免疫領域の会社」と捉えていた時期もありました。しかし、フォーカスエリアアプローチは、患者さんに最大の「価値」を届けられる領域を追求する考え方です。現在の製品ポートフォリオの多くは、このアプローチが導入される前に生まれたものですが、現在のパイプラインでは、バイオロジー、モダリティ/テクノロジー、疾患の組み合わせによって定義されるプライマリーフォーカス(重点領域)を起点としたプログラムが増えています。
マッキンゼー: この「バイオロジー、モダリティ/テクノロジー、疾患」の三つの要素のうち、一つが成立しなくなった場合、それまでに得られた知見や成果をどのように次につなげていくのでしょうか。
岡村: どの要素に課題があると判明したかによって、対応は異なります。例えば、バイオロジーとモダリティ/テクノロジーが有効であることが確認されており、別の適応症に展開できる十分な科学的根拠がある場合には、その組み合わせを別の疾患領域へ応用することがあります。
一方で、バイオロジーそのものを支持する根拠が得られないことが判明した場合には、そのテーマをプライマリーフォーカスとして追求し続けることはありません。
最終的な判断基準は、常に科学的妥当性です。失敗の原因を十分に理解したうえで、次につながる確かな仮説があれば研究開発を継続します。しかし、そのような根拠がなければ、他の可能性に資源を振り向けます。
重要なのは、失敗から得た知見を次の挑戦につなげることです。一度うまくいかなかった考え方やアプローチにとらわれるのではなく、新たな可能性に目を向ける。そうした柔軟さこそが、フォーカスエリアアプローチを支える大きな強みだと考えています。
探索の広がりと重点投資をどう両立するか
マッキンゼー: バイオロジー、モダリティ/テクノロジー、疾患の組み合わせは膨大です。そのなかで、どのように焦点を絞りながら資源配分を行っているのでしょうか。
岡村: 初期段階では、意図的に広い視野を持ち、複数のイノベーション領域に投資しています。しかし、プログラムが臨床PoC1を達成すると、投資の優先順位は大きく変わります。
例えば、プライマリーフォーカスの中核となるプログラムが臨床PoCを達成した場合には、そのプログラムへの投資を大幅に拡大します。また、その成功を起点として、同じ3つの要素の組み合わせから新たなプログラムが生まれることも少なくありません。
このように、初期段階では幅広い可能性を探索しながらも、臨床PoCの達成によってヒトでの治療効果が確認されたプライマリーフォーカスには集中的に資源を投入します。こうしたアプローチにより、探索の幅を確保しながら、有望な領域には重点的に投資しています。
機能別組織から「価値」創出型組織へ
マッキンゼー: 日本のバイオテクノロジー業界では、優れた基礎研究を臨床成果につなげることが長年の課題です。アステラスでは、イノベーションを途中で停滞させず、臨床成果へとつなげるために、組織のあり方をどのように見直してきたのでしょうか。
岡村: 従来のアステラスは機能別の組織体制を採用していました。しかし2025年4月、私たちは組織運営の軸を機能から患者さんへと切り替えました。
具体的には、機能別のサイロを取り払い、創薬から製品ライフサイクル全体に至るまで一貫して責任を担うクロスファンクショナルチームを作り、権限を委譲しています。それぞれのチームが、プログラム全体にわたる意思決定と実行に責任を負っています。
私たちはこれを「Asset Maximization Team(アセット最大化チーム)」と呼んでいます。開発段階に応じて異なる機能のリーダーによりチームが構成されており、初期段階では研究と開発、後期段階では開発とメディカルアフェアーズが中心となります。
専門性と機動力をどう両立するか
マッキンゼー: フォーカスエリアアプローチへの注力によって、組織の機動力が損なわれるリスクはありませんか。隣接領域や新たな領域への対応力をどのように維持しているのでしょうか。
岡村: それは組織設計次第だと考えています。私たちは研究開発機能をChief Research & Development Officerのもとに統合し、VALUE Creation(「価値」創造)組織として運営しています。
そのなかで、一方の研究開発チームは既存のプライマリーフォーカスの深化を担い、もう一方のチームは将来のプライマリーフォーカス候補を探索しています。これにより、現在の重点領域に集中しながらも、継続的に新たな成長機会を創出することができます。
また、パートナーシップも極めて重要です。私たちは創薬の初期段階からアカデミアやスタートアップと幅広く連携しています。事業開発も研究開発のライフサイクル全体を対象としており、自社の強みを生かしながら、外部のイノベーションも柔軟に取り込み、「価値」の創出を目指しています。
「患者軸」が意思決定の中心にある
マッキンゼー: フォーカスエリアアプローチに加え、アステラスは「患者軸」を経営の柱に据えています。この考え方は、意思決定や資源配分にどのような影響を与えていますか。
岡村: 私たちのビジョンは、「変化する医療の最先端に立ち、科学の進歩を患者さんの『価値』に変える」です。科学そのものが目的ではありません。それが患者さんにとっての「価値」につながり、医療全体に「価値」を生み出して初めて意味を持つのです。
だからこそ、私たちは機能中心の考え方から脱却しました。機能は「価値」の創出と提供を支える手段であって、目的ではありません。どの職種であっても、自らの仕事が患者さんにとっての「価値」の創出に貢献しているという意識を持つことが重要です。
この考え方が、組織全体を患者アウトカムの向上という共通目標へ導きます。
Maholoがもたらすイノベーションの加速
マッキンゼー: アステラスは最近、ヒューマノイドロボットによる細胞培養システム「Maholo」でFDAの先進製造技術(Advanced Manufacturing Technology)指定を日本企業として初めて取得しました1。Maholoや自動化技術は、社内イノベーションのスピードやあり方をどのように変えていくのでしょうか。
岡村: 細胞培養は、細胞医療製品の製造工程のなかでも特に繊細なプロセスの一つです。ロボットは熟練者の技術を再現しながら、24時間継続して稼働することができます。しかし、それ自体が私たちの最終的な目的ではありません。
本当の価値はデータにあります。こうした工程を自動化することで、大量かつ高品質なデータを取得できるようになります。そのデータが、継続的な改良の基盤になります。
もう一つの大きな利点は、高い再現性を実現できることです。ある拠点で確立した製造プロセスを、従来の技術移転で生じがちな様々な課題を最小限に抑えながら、別の拠点でも同じように再現することができます。例えば、同じロボットであれば、東京であってもボストンであっても、拠点を問わず同一の作業を再現することが可能です。これにより、イノベーションのグローバルな展開とスケールアップのスピードを大幅に高めることができます。これは細胞医療の製造における大きなブレイクスルーだと考えています。
内製と外部連携をどう組み合わせるか
マッキンゼー: 自社で育てる領域と、提携や買収を通じて取り込む領域は、どのように見極めているのでしょうか。例えば、標的タンパク質分解誘導におけるKRAS G12Dのような創薬が困難とされてきた標的への取り組みでは、どのような考え方をされていますか。
岡村: アステラスには、低分子創薬における長年の知見と実績があります。そのため、標的タンパク質分解誘導は、私たちがこれまで培ってきた強みを生かせる自然な領域だと考えています。これは、二つの結合要素(標的タンパク質およびE3リガーゼへの結合)を一つの化合物に組み合わせるという、これまで培ってきた低分子創薬の技術をさらに発展させたアプローチだからです。
もちろん、すべてを自社だけで完結しようとは考えていません。より優れた技術やアセットがあるのであれば、外部との提携や導入も積極的に検討します。
私たちは、内製か外部活用かを二者択一で考えているわけではありません。自社の強みを最大限活用しながら、必要に応じて外部のイノベーションも柔軟に取り入れていく。それが私たちの基本的な考え方です。
XTANDIの特許満了を見据えた成長戦略
マッキンゼー: 前立腺がん治療薬XTANDIの特許満了が視野に入るなか、アステラスはどのように次の成長につなげていこうとしているのでしょうか。
岡村: XTANDIは、世界で150万人を超える患者に貢献してきた非常に重要な製品です。しかし、医薬品には必ずライフサイクルがあり、この転換点は以前から想定していました。
私たちは、一つのブロックバスター製品に依存するのではなく、複数の成長ドライバーからなるポートフォリオを構築する戦略を取っています。現在は5つの重点戦略製品を保有しており、それぞれがブロックバスターへと成長する可能性を秘めています。これらの成長によって、XTANDIの独占販売期間満了による影響を十分に吸収できると考えています。
2029年度以降は、フォーカスエリアアプローチから生まれるパイプラインが成長を牽引していくことを期待しています。特に、プライマリーフォーカスである標的タンパク質分解2、がん免疫、再生と視力の維持・回復(Blindness & Regeneration)では、すでに臨床PoC を達成しており、大きな期待を寄せています。また、遺伝子治療ではAT845が現在、臨床PoCを評価する段階にあります。
イノベーションを生み出し続ける体制づくり
マッキンゼー: アステラスは、自社発のイノベーションを重視しています。こうした考え方は、業界ではやや特徴的にも映りますが、この方針のもとで組織の一体感や推進力をどのように維持しているのでしょうか。
岡村: 私たちの考えが特別に業界の流れと異なっているとは思っていません。もちろん、自社での研究開発を重視しています。しかし、イノベーションは一つの組織だけで生まれるものではなく、異なるアイデアの組み合わせから生まれます。そのため、アカデミアやスタートアップとの連携も含め、常にオープンな姿勢を大切にしています。
ローカルで生まれたイノベーションをグローバルに届ける
マッキンゼー: イノベーションは各地で生まれる一方で、それを医薬品として患者さんに届けるにはグローバルな体制が欠かせません。この両立をどのように実現しているのでしょうか。
岡村: イノベーションはどこからでも生まれます。茨城県つくば市かもしれませんし、米国マサチューセッツ州ケンブリッジかもしれませんし、その他の地域かもしれません。
しかし、そうしたイノベーションを医薬品として世界中の患者さんに届けるためには、グローバルな開発・供給能力が不可欠です。創出はローカルであっても、その後の開発と患者さんへの提供は、グローバルに連携して進めていかなければなりません。
最も難しかった意思決定
マッキンゼー: イノベーション戦略を進めるうえで、これまで最も難しかった意思決定は何でしょうか。
岡村: 細胞医療、遺伝子治療への取り組みを継続するという判断です。この領域から距離を置く企業もあるなかで、私たちは引き続きこの領域に取り組むことを決めました。
細胞医療、遺伝子治療は、疾患の根本原因に働きかけることで、治療のあり方そのものを変える可能性を秘めています。もちろん技術的な課題や事業上の課題は少なくありません。しかし、だからこそ私たちは、この領域に取り組む意義があると考えています。
これは戦略的な判断であると同時に、私自身の強い信念でもあります。特に依然として大きなアンメット・メディカル・ニーズが存在する領域では、革新的な治療法を実現するためには長期的なコミットメントが不可欠です。私たちは、そのために必要な投資を続けていく覚悟を持っています。
アステラスの強みと未来
マッキンゼー: アステラスの最大の強みは何だとお考えですか。また、その強みを生かしながら、どのように長期的なイノベーション創出につなげていこうとしているのでしょうか。
岡村: イノベーションは私たちの生命線です。
だからこそ、私たちは大胆で機動力があり、創造性に富んだ組織づくりを進めています。長期にわたってイノベーションを生み出し続けられる組織をつくることが、私たちの最優先事項です。
そのために、組織のあり方を見直し、企業文化の変革を進めるとともに、オペレーティングモデルの簡素化にも取り組んでいます。機能別のサイロを取り払い、患者さんを中心に据えながら、「価値」の創造から提供までを一貫して担う組織への転換が、これらの取り組みの核にあります。私の役割は、チームを信頼し、大胆な意思決定ができるよう権限を委ねるとともに、私たちのあらゆる意思決定の中心に患者さんを据え続けることです。
リーダーシップ
マッキンゼー: イノベーションや外部志向の文化を構築するうえでのトップリーダーの役割について、どのようにお考えですか。
岡村: 私のスタイルは、できる限りチームに権限を委譲し、彼らが自由に業務を遂行できる環境を整えることです。重要なのは、一度権限を委ねたら、過度に介入せず、チームが自由に動ける環境を守ることです。そして、口先だけでなく、自ら有言実行する姿勢を示すことが、リーダーには不可欠だと考えます。
私のシニアリーダーシップチームには、各分野で一流の専門家である7人のトップマネジメントがいます。私の役割は、彼らに権限を委譲し、それぞれの責任範囲内で自由に仕事をしてもらうことです。その代わり、彼らにはその責任を全うし、約束した成果を出すことを求めます。一定のガイダンスは示しますが、その後のプロセスには極力、手も口も出しません。
マッキンゼー: 世界中に複数の拠点や機能があるなかで、それぞれをどのように巻き込み、動かしているのでしょうか。
岡村: まず、組織の階層をできるだけ減らし、フラットな構造にすることに努めています。階層が増えると、情報伝達の過程で誤解が生じたり、現場の声が経営層に届きにくくなったりするためです。
そのうえで、私が直接、社員と対話できる様々な機会を設けています。例えば、毎月、誰でも参加・質問できる「何でも訊いて」セッションを日本語と英語で開催しています。社内プラットフォームを活用し、多くの社員から「いいね」を集めた質問を優先的に取り上げ、経営や事業に関する幅広い内容について、率直に回答していきます。こうした場を通じて、社員が私と直接対話し、自分たちの声に耳を傾けてもらえていると実感できれば、組織の風通しは良くなります。私は、それがイノベーションを生み出す企業文化の土台になると考えています。
次の100年を見据えて
マッキンゼー: 企業を次の100年に向けて発展させていくために、次世代のCEOに求められる最も重要な能力は何だとお考えですか。
岡村: 一つ挙げるとすれば、変化に柔軟に対応し、逆境から力強く立ち直る組織文化を築く能力です。変化の激しい現代では、現在の強みや技術プラットフォームも、いずれ競争優位ではなくなるかもしれません。そのような状況に直面しても、自ら変革を続けながら適応し、新たな成長機会を見いだせる組織こそが、長期的な成功の鍵を握ると信じています。