序文
歴史を振り返ると、世界は比較的安定した時代と、緊張が高まり大きな変化が起こる激動の時代を繰り返してきた。新たな時代へとゲームのルールが変わるディスラプション(破壊的変化)の時期は、大きな脅威となり得る一方で、それまでの秩序を再構築し、新たな競争力を築く好機をもたらす。
現在、世界は20~30年のサイクルで訪れる、そうした新たなディスラプションの時期を迎えている。日本が今日どのような選択をするかは、新たな時代における日本の競争力と立ち位置を大きく左右することになる。
日本は、構造的な課題を抱えたまま、この新たな時代を迎えた。戦後の「経済の奇跡」を通じて、生活の質が高い世界有数の工業大国へと躍進した一方、その後の約30年間、他国が力強く前進する中で、日本の成長は停滞した。
日本は、その原因となる課題の多くを早い段階から特定してきた。しかし、対応の多くは既存の制約を前提とした試行錯誤、すなわち漸進的な変化にとどまってきた。だが今、AIをはじめ、世界の経済・産業・社会のあり方を根底から変える大きな構造変化が進行している。この変化を脅威として受け止めるだけでなく、むしろ好機として捉え、これまでの前提や制約そのものを問い直す大胆な発想の転換によって構造的課題に取り組むことができれば、日本が長年の停滞から脱却し、新たな成長軌道へと転換する大きなチャンスになり得るのではないだろうか。
日本の成長と生産性については、研究者、経済界、政府などによって多くの知見が蓄積されており、私たちも今回のレポート作成にあたり、こうした知見を改めて振り返った。
また、マッキンゼーはこれまでも、日本の成長と競争力について数多くの論考を発表してきた。2011年7月に出版した『Reimagining Japan: The Quest for a Future that Works』ならびにそれを踏まえ、2015年3月にマッキンゼー・グローバル・インスティテュート(MGI)が発表したレポート「The Future of Japan: Reigniting Productivity and Growth」から11年が経過した。しかし、そこで示された診断の多くは、今なお日本に当てはまる。
本レポートでは、こうした社内外の知見を踏まえ、日本企業の国全体の生産性成長への寄与を企業単位で捉える分析と、世界の成長領域における日本企業の競争基盤の分析をつなげる。これにより、日本が持つ既存の強みを企業の成長へと転換し、その成果を経済全体へと広げていくために、そして日本が新たな成長軌道へと移行するために、企業がどのような選択に向き合う必要があるのかを考察し、主要な論点を提示する。
本レポートの目的は、この状況に対する唯一の解答を示すことではない。日本の未来をどのように形作っていくのか――すでに各方面で始まっているその議論をさらに加速させ、ビジネス界や政府部門のリーダーが、これからの選択について議論を深める一助となることを目指している。また、日本企業が世界の成長分野にどのように注力し、そこで競争力を築いていくべきかについては、後続のレポートでさらに詳細に掘り下げていく予定である。
エグゼクティブサマリー
- 世界が新たな時代を迎えるなか、日本の長期停滞はもはや国内課題にとどまらず、国際競争力を左右する構造的課題となっている。日本の一人あたりGDPは30年にわたる停滞の結果先進国最低レベルにある。現状の停滞が続けば、必要な社会的・戦略的投資を支える余力が失われ、国際競争力の低下と縮小均衡の悪循環に陥りかねない。
- 日本には高い競争力を持つ企業が存在する一方、その成果は生産性の伸び悩む多数の企業の存在によって経済全体としての成長に結びついていない。さらに2100年までに生産年齢人口比率は約半数まで低下する見通しであり、この構造課題は今後さらに深刻化する。
- これら成長に関する課題の多くは早い段階で認識されつつも解決に至らないまま現在に至るまで続いている。地政学的な不確実性、AIによる変革、人口減少、資源競争、そして資本コストの上昇が構造的転換を促す現状は、平時には困難な大胆な方向転換を戦略的に進め、新たな時代における日本の競争優位を築く好機ともなり得る。
- 方向転換にあたっては、官民が連携する重要性を増す。官が主導する政策推進と共に、成長の中核は企業である。日本企業は国内の業界再編を通じ代替困難な競争優位を構築し、グローバルでの統合オペレーションを担える企業へと進化し、中小企業含めてAIを活用して生産性向上につなげ、社会課題を起点に新たな成長産業を生み出し、それらを支える長期志向のガバナンスを確立する必要がある。
- 新時代のメガ成長領域であるAI、半導体、エネルギー、ロボティクス、バイオといった戦略分野は相互に依存する多層的なシステムを形成しており、競争力は個々の企業・産業の強みに加え、分野をまたぐ能力の組み合わせにも左右される。日本が各領域に世界有数の強みを有する現在、それらをつなぐ分野横断的な連携を迅速に行うことで成長をつかみうるポジションにいる。
- こうした変革がもたらす成長機会は大きい。主要ポートフォリオ全体で高いパフォーマンスを達成できれば、2040年までに1.7兆ドルの市場機会を有す可能性がある。
1. 日本を取り巻く5つの構造変化
日本は劇的な危機に瀕しているわけではない――しかしながらそれこそが最大の盲点かもしれない。日本は長きにわたって築き上げられた高い信頼、強固な制度基盤、そして蓄積された豊富な資産を有し、社会システムとしての強さを誇る。低成長の時代においても企業はリストラや賃上げよりも雇用の安定を優先し、家計は貯蓄を積み上げた。さらに、GDPの数値には完全に反映されない信頼性の高い公共交通やインフラ、国民皆保険、低い犯罪率、良好に維持された生活環境、約束を守る文化などの個人の努力と規律といった目に見えない資産が生活の質を支え、好ましからざる変化に対するショックアブソーバーの役割を果たしてきた。
1990年代初頭から2010年代後半までの「市場の時代」はグローバル化、デジタル化、好ましい人口動態、豊富なエネルギー、そして安価な資本によって特徴づけられた。多くのアジア諸国は急成長を遂げ、1990~2025年に、1人当たりGDP (購買力平価ベース)は中国で14倍、インドで5倍、韓国で4倍、シンガポールで3倍に増加した。対照的にこのような中でも日本の1人当たりGDPの伸びはわずか30%程度にとどまった。安定は維持されたものの、ダイナミズムは抑制されていた。
さらに、世界はおよそ20年から30年ごとに新たな時代を迎える。現在、地政学的な不確実性、AIの急進、人口減少、エネルギー安全保障、そして資本コストの上昇を特徴とする「AI・地政学の時代」という新しい時代が形作られつつあり、日本を取り巻く状況はさらに大きく変化している。インフレ率はゼロ近辺から3%を超える水準に上昇し、賃金も上昇、国債利回りは約30年ぶりの高水準にある。
このような変化を背景に国家間の競争力も再構築されつつあるが、本レポートの問題意識は、事態の緊急性が過小評価される恐れがあることにある。行動を起こさなければ過去30年間と同様、状況は悪化の一途をたどる可能性がある。日本の一人あたりGDPは先進国の中で下位水準まで低下しており、日本が成長軌道を再設定しなければさらに順位を落とすだろう。こうした環境下で、現状維持は中立的な選択肢ではなく、後れを取るという選択に他ならない。停滞の代償は生活水準への圧力、インフラ・医療・社会保障を維持するための財政余地の縮小につながり、エネルギー安全保障、防衛、気候変動への耐性、次世代産業への投資能力の低下につながる。 これまで、日本が持つ伝統的な強みが停滞を和らげてきたが、それは未来永劫続くものではない。問題はもはや、日本が転換できるかどうかではなく、手遅れになる前に転換できるかである。
30年にわたる成長鈍化を振り返る
長期的な視点で見れば、日本は近代史における偉大な成功事例の一つである。過去1世紀の間に、購買力平価ベースの1人当たりGDPは約11倍に増加し、この指標における世界平均を大きく上回る伸びを遂げた。わずか数十年で、日本は世界をリードする産業を築き上げ、製造業の卓越性の基準を確立し、高い水準の一人当たりGDPを達成した (図表1)。
しかし、日本が早期にフロンティアに到達したものの、そのフロンティアをさらに押し広げることができなかった。むしろ、日本は停滞状態にあり、早期に収めた成功が持続的な勢いをもたらすことはなかった。実際、1990年代初頭以降、成長ペースは著しく鈍化し、過去30年余りの間に、1人当たりGDPの伸びは30%程度にとどまっている (図表2)。
もちろん、この30年余りの間、日本経済が崩壊したわけでもなければ一切成長しなかったわけでもない。それは前述のように日本が既存の資産や社会的な強みを最大限に維持しながら時代の要請に工夫をして対応してきたからである。しかし一方で、世界の他の国々はさらに強く前進を続けていた。中国は前例のないスピードで経済を拡大させ、米国はデジタルプラットフォームと資本集約度の低いビジネスモデルを中心に自らを再構築した。韓国は新産業へ積極的に進出していき、世界のリーダー国から大きく遅れをとっていた他の経済圏もその差を縮めていった。
ここに日本のパラドックスがある。世界トップクラスの能力、堅固な企業の財務基盤、厚みのある産業基盤を備えながら1、デジタル技術や人工知能 (AI)技術など、現在成長を牽引する分野では勢いを生み出すことに苦戦している2。
日本の現状維持の代償は甚大になりかねない
日本は、世界のフロンティアが絶えず前進するなかでも、その最前線にとどまる潜在力を有している。ここで、1人当たり所得と生活の質という観点から考えてみたい。マッキンゼー・グローバル・インスティテュート (MGI)は、2026年に出版した『A Century of Plenty: A Story of Progress for Generations to Come』の中で、「地球上のすべての人々が、2100年までに、少なくとも今日のスイス人と同じくらい豊かな生活を送れる『豊かさの世紀』を実現できるであろうか」3 という思考実験を投げかけている。具体的には、世界の全ての国がスイス人の1人当たりGDPに到達するために十分なエネルギー、原材料、食料、イノベーションやテクノロジーが足りるかを検討した。
『Century of Plenty』では、1人当たりGDPを社会全体の豊かさを測る実用的な代理指標として用いている。1人当たりGDPが生活の質を構成する多くの要素と密接に相関する傾向があるためである。一般に、1人当たりの所得が高いほど、医療、教育、住宅、インフラへのアクセスが充実し、平均寿命が長く、経済的安定性も高い。1人当たりGDPで全てを捉えられるわけではないが、幅広い社会的成果と整合し、国際比較が可能な一貫した指標となる。
スイスの1人当たりGDP (購買力平価ベース)は約8万2,000ドルで、世界でも最高水準にある。また、社会の豊かさを示す様々な指標においても高い評価を得ている。平均寿命は84歳、子供の平均就学年数は13年であり、スイス国民の90%が社会支援制度に信頼を寄せていると回答している。
日本はここ数十年一人当たりGDPの伸びが限定的ではあるものの、こうした多くの側面においてすでに高い水準を達成している (図表3)。平均寿命、就学年数、識字率、そして水道、インターネット、電気などの各種インフラへのアクセスにおいて、日本は世界でもトップクラスの位置にある。 日本の都市は先進国の中でも最も安全な部類に入り、殺人発生率は10万人あたり0.23人と、G7諸国の中で最も低く、米国の30分の1の水準である4。また、日本は生活環境の清潔さでも世界でトップクラスにあり、イェール大学の2024年環境パフォーマンス指数 (EPI)では180カ国中27位にランクインしており、例えばカナダ、イタリア、米国よりも上位に位置している5。
しかし日本の現在の1人当たりGDPは約4万6,000ドルであり、MGIの「豊かさの世紀」のベンチマークであるスイスの半分強に過ぎない。
日本が仮に、現在のスイスの水準に追いつくためにはどの程度の成長が必要であろうか。単純計算では日本は1人当たりGDPの成長率を現状から約1ポイント引き上げ、年率約1.8%とする必要がある。
これは、特に日本が直面する人口動態の逆風を考慮すれば、極めて困難な課題である。1997年から2023年の間に、高齢化により1人当たりGDPの成長率は約0.4ポイント押し下げられており、このマイナス要因は今後数十年にわたって続く可能性が高い。 1人当たりGDPを年率1.8%成長させるには、残りの分を生産性で賄う必要があるであろう。そのためには、生産性の伸びを年率1.1%から2.2%へと倍増させる必要がある (図表4)。
これを達成できなければ日本経済は衰退しないとしても、他国が躍進する中で停滞し続ける可能性がある。この停滞は単なるマクロ経済上の懸念にとどまらず、生活水準に直接的かつ増大する影響を及ぼす。成長がなければ、日本は将来への再投資ができず、道路、橋梁、病院の老朽化、医療・社会保障の負担増、気候リスクや自然災害への脆弱性の増大につながる。 持続的な成長は、防衛、エネルギー安全保障、技術競争力といったより広範な戦略的優先事項に資金を供給するためにも不可欠である。
所得の停滞は、すでに楽観的な見方を蝕んでいる可能性がある。次世代の生活がより良くなると信じている日本人はわずか14%程度であり、世界平均の32%や、中国・インドの50%超を大きく下回っている6。この悲観論は、出生率の低下といった行動に反映され、人口減少をさらに加速させる恐れがある。 相対的な世界において、停滞は後退を意味する。日本が頭打ちになる一方で、他国は急成長を遂げた。1995年に日本の40%に過ぎなかったポーランドの1人当たりGDPは、今年、日本を追い抜く可能性があると予測されており、日本が勢いを取り戻さない限り、さらに多くの国がこれに続くであろう7。
新たな時代が幕を開ける中で現在の日本の立ち位置
世界はこれまでも確立された構造や規範のもと、経済・社会・政治の面で比較的穏やかな時代を長く繰り返したのちに混乱と激動を経て新たな構造的な力が台頭し、新たな秩序が確立されてきた (図表5)。私たちは今、まさにそのような新しい時代に突入している8。
ハイパーグローバリゼーションの時代が終焉を迎え、世界の貿易システムは安定性を失いつつある。サプライチェーンは混乱に見舞われてきた。地政学的な不確実性が貿易の流れに不安定化をもたらしている。AI技術の登場と普及により、技術革新は新たなハイパーフェーズに突入しつつある一方で、勝者が大半を獲得する構図が強まり、対応の遅い国々はますます取り残されつつある。 世界の大半の地域では、出生率の低下に伴い人口動態上の逆風に見舞われており、労働力が縮小し、成長を阻害する恐れがある。多くの国が低炭素社会へのエネルギー転換を進めようとしている中、地政学的対立の影響を受け、資源やエネルギーをめぐる競争も激化している。そしてこれらすべては、不確実性が常態化しているマクロ経済を背景に起きている。長期にわたり抑制されていたインフレ率と低金利がともに上昇し始めている。
アジアを見てもMGIが「市場の時代」と名付けた1989年から2019年までの直近の時代に大きな繁栄を遂げた。 各時代の特徴を測るために用いる5つの側面——国際秩序、テクノロジープラットフォーム、人口動態、資源・エネルギーシステム、資本政策——のすべてにおいて、この地域はいずれの側面でも強さを発揮した。一例を挙げれば、2015年から2021年の間に、アジアは世界のGDP成長の57%を占めた。 2021年、アジアは世界GDP (購買力平価ベース)において、他のどの地域よりも高い割合である42%を占め、世界貿易においても主要な存在となった。さらに、2021年、アジアは世界の物品貿易の53%を占め、2001年から2021年にかけての貿易量の増加分の59%を占めた。
しかし、日本全体としてはこの「市場の時代」の恩恵を十分に享受できなかった。以下では各時代を形作る5つの力の側面から日本を見ていく。
1. 国際秩序: 日本の輸出エンジンは構造的に衰退した
日本の戦後モデルは、強力な輸出エンジンに基づいて構築されていた。1970年代後半から2000年代にかけて、日本は一貫して財の貿易黒字を計上した。黒字は1980年代半ばにGDP比3~4%程度でピークに達し、1990年代から2000年代にかけてもGDP比1~3%程度と高い水準を維持した。この強さを支えたのは、特に自動車、資本財、電子機器などの産業であり、いずれも日本の厚い国内製造業基盤に支えられていた9。
日本の世界における地位も、この強さを反映していた。世界輸出に占める日本のシェアは、1980年代後半から1990年代初頭にかけて8~10%前後でピークに達した。
その後、日本の輸出主導型モデルは、他の主要輸出国に対する競争力低下の兆しを見せ始めた。世界輸出に占める日本のシェアは2000年代までに5~7%に低下し、その後さらに下落して、現在では約4%となっている。これは、中国がますます存在感を増す中で、主要分野における日本の競争力が徐々に失われていったことを反映している (図表6)。
日本の財貿易収支は大幅な赤字に転じ、福島第一原子力発電所事故後のエネルギー輸入急増、生産のアジア諸国への海外移転、そしてドイツ、韓国、そして特に中国との競争が激化した時期に、その赤字は最悪の水準に達した。為替相場の変動もさらなる圧力を加えた。 2016年から2019年にかけて一時的にGDP比最大1%の黒字に転じたが、これは主に景気循環的な要因によるものであった。2020年代の赤字は、より持続的なものとなっているとみられる。
この悪化は、自動車、機械、電気機器、光学・精密機器、鉄鋼など、幅広いセクターに及んでいる。
さらに、日本では2000年代以降、サービス収支も悪化している。2000年代初頭、日本のサービス収支の赤字はGDP比で約1%と比較的抑制されていた。この赤字は2010年代を通じて縮小し、コロナパンデミック以前にはほぼ均衡していた。しかし、2020-2022年にかけて急激に悪化し、2023年には旅行収支の黒字回復を背景に再び改善に転じた。それでもなお現在まで全体として赤字が続いており、デジタルサービスやビジネスサービスの赤字拡大がその一因となっている。デジタル分野の赤字だけでも、2014年の約2兆円 (約130億ドル) 10 から、2024年には6兆円 (約400億ドル)超に拡大した11。観光は日本のサービス貿易黒字の主要な源泉であり、2024年には約7兆円 (約440億ドル)に達したが 12、サービス貿易全体の赤字を相殺するには不十分である。
2. テクノロジープラットフォーム: 日本は段階的なデジタル化にとどまり、プラットフォームによるスケールメリットを逃した
日本は、強力な産業能力を備えてデジタル時代を迎えた一方、漸進的な変化に傾きやすい構造的な特性も抱えていた。 この時代において、中国と米国はデータ、ソフトウェア、プラットフォームを軸に産業を再構築した点で際立っている。日本はデータや基幹システムの刷新を迅速に進めることができなかった。日本のデジタル競争力は、2018年の22位から2025年には世界30位へと低下した。この傾向は、AIによって競争環境が変化する中でも続いた (図表7) 13 。
新たな産業革命をもたらす汎用技術として広く認識されているAIについて、日本は、AIへの民間投資において、中国や米国だけでなく、スウェーデンやシンガポールといった小規模経済国と比べても大きく出遅れている。 2013年から2025年の間に、日本におけるAI分野の民間投資額は約70億ドルにとどまったのに対し、米国では7,570億ドル以上、中国では1,310億ドルに達した。
日本企業によるAIツールの導入は依然として限定的である。2024年時点で、生成AIを導入していたのは企業の約4分の1にとどまり、一定の規模まで展開できていた企業はさらに少なかった。その背景には重大な構造的制約がある。IT支出の約80%がレガシーシステムの維持管理に充てられており、ITインフラの60%以上が20年以上前に構築されたもののため、結果としてイノベーションに振り向けられるはずのリソースが維持管理に拘束されている。 こうした課題は、日本のAIエコシステムにも明確に反映されている。2013年以降、日本で新規に資金調達をしたAIスタートアップは約400社にとどまるのに対し、米国では約9,000社、中国では1,700社以上が誕生している。スタートアップを支えるベンチャーキャピタル、アクセラレーター、人材、パートナーシップ、出口市場といったエコシステムの要素は依然として厚みに欠け、グローバルプラットフォームの創出を制約している 14。
そして、問題は投資格差だけではない。構造的な要素も存在する。日本の技術モデルは、卓越したハードウェア技術と緊密なサプライチェーンを基盤に築かれてきたが、スピード、規模、ネットワーク効果が支配的なプラットフォーム型の競争においては、このモデルは適応しにくいことが判明している。 組織や労働慣行も一因となっている。長期雇用と安定性を強く重視する姿勢は、企業による人材の再配置、デジタルトランスフォーメーションの加速や専門的なデジタルスキルを持つ人材の獲得を時に難しくしてきた。
3. 人口動態: 高齢化社会は構造的な逆風
戦後の日本の成長は、好ましい人口動態に支えられていた。労働力は若く、増加し、教育水準も高まっていた。しかし、その追い風は、今は逆風となり、人口動態はボーナスではなく制約となっている。
合計特殊出生率 (1人の女性が生涯に産む子供の平均数)は、1990年の約1.5から2024年には約1.2へと低下し、年間の出生数は現在70万人を下回っている。人口は、現在の約1億2500万人から、今世紀末には約7500万人まで減少すると予測されている。 同時に、日本の人口構成は急速に高齢化している。65歳以上の人口は総人口の30%近くを占めており、これは主要経済国の中で最も高い水準であり、1990年代の14%から上昇している。2100年までに、その割合は37%に達すると予想されており、日本の人口動態がもたらす下押し圧力の大きさは、強調してもしすぎることはない。
生産年齢人口は20年以上にわたり減少を続けている。日本の生産年齢人口は1990年代初頭に8700万人弱 (総人口の約70%)でピークを迎えたが、2025年10月までに、その数は7300万人強 (59%)にまで減少した。これは、約1400万人が生み出す生産力が失われたことに相当し、中規模の先進国の労働力人口全体に匹敵する規模の減少である。そして、その割合は今世紀末までに約51%まで低下すると予測されている (図表8) 15 。
その結果、労働供給が構造的な制約となりつつある。日本では、労働参加率がすでに約85% (2026年1月時点)と高く、労働力人口をさらに増やす余地は限られている。主要労働年齢層 (25~54歳)の男性の労働参加率は、すでに95%を超えている。 一部の経済圏では、家庭外で有償労働に従事する女性の割合を高めることが解決策となり得る。しかし、女性の労働参加率がすでに85%を超える日本では、その余地も限られている (米国における同等の数値は約78%である) 16。高い参加率の一部はキャリアアップの機会が限られているパートタイム労働者によって支えられていることを考慮すれば、労働市場の効率やパフォーマンスをさらに高める余地はある。しかし、それは根本的な現実を変えるものではない。
しかし、日本では長寿であることを踏まえると、高齢労働者をさらに活用する余地も大きい。新しい労働市場モデルによって支えられれば、65歳以上の労働者が、より長く経済活動に参加できるようになる可能性がある。一方、AI を活用したツールによって再教育の障壁は低くなり 、高齢労働者も関連するスキルをより容易に習得できるようになっている。雇用主の偏見、柔軟性に欠ける労働モデル、そして年金制度による不利益といった問題が解決されれば、これらの変化が相まって、65 歳以上の層を労働力として本格的に活用できる人材層へと変えていくことができるであろう。
とはいえ、今後の数年間において、このギャップを埋めるには、主に生産性の向上に頼らざるを得ないであろう。これについては、後続の章で詳しく検討する。
4. 資源とエネルギーシステム: 自給率が構造的課題として残る
日本の主な課題は、長年にわたり、国内のエネルギー自給率が低いこと、そして経済を支えるために必要な資源をいかに安定的に確保するかにあった。日本は、長期契約、資源へのアクセス、資金調達やサプライチェーンを効果的に構築し、資源豊富な地域との緊密な関係などを組み合わせることで、エネルギー安全保障を確保してきた18。
時が経つにつれこのモデルは様々なショックに直面しながら進化していった。 1970年代の石油危機を受け、日本はエネルギーミックスの多様化を図り、液化天然ガス (LNG)の利用を世界に先駆けいち早く進めた。同時に核燃料サイクルの青写真を策定し、原子力を国内電力の戦略的柱として確立するとともに、再生可能エネルギーの早期推進国となった。また、資源の上流開発にも進出し、石油、ガス、鉱業資産への出資を確保するとともに、備蓄、リサイクル、資源外交を通じてレジリエンスを強化した。
日本の輸出主導型経済の基盤となってきたエネルギーの安定供給は、近年はいくつもの課題に直面している。原子力を中核的な柱とする戦略は2011年の東北地方太平洋沖地震と福島第一原子力発電所事故により大きな影響を受け2026年現在も多くの原子炉が停止したままとなっている。 自給率向上に寄与する再エネも、太陽光発電は平地面積あたりの導入量で見れば世界トップクラスであり、さらなる拡大には用地制約に加え電力系統への必要投資等を考慮する必要がある。
結果として今日でも日本のエネルギー自給率は15%程度にとどまっており、OECDが比較対象とした38ヵ国中37位となっている (図表9)。日本の原油輸入はその90%以上を中東に依存している 19。
このように日本が直面している自給率の構造的状況は1970年代と根本的には変わらないなか、AIの急進を支えるデータセンターの急増により電力需要は増加の傾向にある。今後も電力は慢性的に不足する状況が見込まれ、エネルギー安定供給の重要な柱として原子力や大型の火力電源のリプレース・新増設が重要となる。加えて需要家の有する分散電源や蓄電池などのエネルギー資源を最適に運用してエネルギーシステムにいかに統合するかも問われるであろう。日本がこうした取り組みをどこまで迅速に取り組み、実行できるかが、エネルギー自給、供給の安定性、環境の持続可能性を左右する。
5. 資本政策: 日本は、ダイナミックな投資や資本配分よりも、バランスシートの修復と貯蓄を優先した
1990年代に日本の資産価格バブル崩壊後、日本では資本の保全が運用に優先するようになった 20。企業や金融機関は、バランスシートの修復へと明確に軸足を移した。企業はデレバレッジを優先し、現金を積み上げ、リスクを回避した。時間の経過とともに企業のバランスシートは強化されたが、日本経済にとっての負の側面は、投資が低迷し続けたことだった。巨額の貯蓄が存在する一方で慢性的な投資不足が続き、GDPに占める企業投資の割合は、長期間にわたり他の主要国を大きく下回った。この動態は所得分配にも影響を及ぼした。企業が現金を積み上げ、財務の安定を優先した結果、賃金上昇は抑制され、企業の健全性が家計所得や需要の増加につながる効果も限られた21。
こうした動きは、日本のマクロ金融体制によってさらに強められた。日本は高債務・超低金利の均衡状態で運営されており、公的債務はGDP比250%に達する一方で、借入コストはゼロ近辺にとどまっていた22。これは、国債の85~90%を保有する主に国内の投資家層と、発行残高のほぼ半分を保有する日本銀行によって支えられていた。こうした環境では、資本は事実上ただ同然であり、それを生産的に活用するインセンティブも弱かった23。
構造的な摩擦が、さらに経済のダイナミズムを損なった。ベンチャーキャピタルや成長企業向け資金調達のエコシステムは、米国や中国に比べて未発達なままであった。これは、より根深い制度的・文化的要因も反映している。すなわち、大企業がメガバンクからの融資に大きく依存する銀行中心の金融システムや、企業および社会全体に広く見られるリスク回避的な文化である。コングロマリット構造や株式持ち合いは資本の再配分を遅らせ、ガバナンスの脆弱さは、資本収益性を高める圧力を弱めた。 生産性の低い企業は、競争の激しい環境であれば淘汰されていたはずの期間を超えて存続し、創造的破壊が制限された。その結果、過剰な貯蓄、低い資本生産性、そして新たな成長分野の拡大が限定されるという特徴を持つシステムが形成された。
このモデルは、低成長・低金利の世界では安定していたが、競争が激しく資本集約的な時代に向けて、日本を十分に備えさせるものではなかった。その状況は今、変わりつつある。 長い間ゼロ近辺で推移していたインフレ率は、約3%まで上昇した。同時に、長らくゼロ近辺に抑えられていた10年物国債利回りは、約2.5%まで上昇し、10年以上ぶりの高水準 (2026年4月時点)に達しており、長年続いた従来の均衡からの明確な構造的転換を示している。
日本の財政圧力はさらに強まる見通しだ。高齢化により社会保障費は引き続き増加する。社会保障費は1990年代半ばのGDP比約16%から現在は23%超に上昇しており、改革が行われない場合、2060年までに30%近くまで増加する可能性がある24。また、地政学的環境の不確実性が高まる中、防衛費も長年維持されてきたGDP比約1%の水準を上回る見通しであり、日本政府の計画によれば、2027年までに約2%に達する予定である。 同時に、労働年齢人口の減少が税基盤を圧迫することになる。これらの要因が重なり、日本の財政への圧力は一段と強まり、将来必要となるインフラやイノベーションへの政府投資も制約されることになる (図表10)。
日本は新時代がもたらす機会を捉えることができるか?
ここまで見てきた現状の課題を乗り越え、日本は進行中の世界の構造的変化に先んじて十分なスピードで対応できるであろうか。それとも、変化に取り残されてしまうであろうか。日本には、大胆な行動を起こすだけの十分な意欲があるであろうか。
かつての「市場の時代」において日本は他国に比べ特にソフトウェア、プラットフォーム、資本集約度が低いスケールが重要なビジネスの分野で、他国ほど価値を獲得できなかった。多くの経済圏、とりわけ米国や中国は、プラットフォーム・エコシステムの構築、資本の拡大、デジタル技術の主導を通じて、他国に比べて大きな価値を獲得した。日本において広範な幸福感と社会的結束を維持する発展モデルや社会的規範は否定されるべきではないが、他国が外部環境の変化を受けて急速に進化する今、この社会的・経済的安定の基盤が、資本、労働、そして事業活動を生産性の高い分野へと移動させる足かせとなっていることも否めない。漸進的な調整はもはや不十分であり、日本はより大胆な構想・次代の競争への戦い方へと大きくシフトしなければならない。
心強いことに、日本産業の各分野で構造変化の兆候は幾つも現れている。半導体分野では、東芝、ローム、三菱電機をめぐる動きが、競争力の強化、資本効率の向上、戦略的技術の規模拡大に向けた統合の可能性を示唆している25。また、カナデビア (旧日立造船)と新日鉄は、環境・エンジニアリング事業の強化を目的として、カナデビアと新日鉄エンジニアリングの統合に向けた協議を開始したと発表した26。この取引が実現すれば、売上高が1兆円 (約70億ドル)に迫る日本最大のエンジニアリング企業が誕生することになる。こうした動きは、一部の日本企業が、新たな時代には、これまで以上に大規模な再編、産業再編と、競争力の強化に向けたより積極的なアプローチが必要になる可能性を認識し始めていることを示唆している。
後述するように、最大の潜在力を持つ分野に投資し、グローバルに競争できる企業が生み出す付加価値こそが変化の中核となり得る。第2章では、日本にとっての生産性成長の必要性について考察する。第3章では、生産性成長の担い手である企業に焦点を当て、日本の企業環境を考察する。第4章では、新時代において最大の成長をもたらす分野における、日本企業の機会について検討する。 最終章では全体を振り返り企業のリーダーが向き合うべき問いを提示する。
2. 成長の礎となる生産性の現在地
生産性の向上は、あらゆる国において生活水準を高め成長するための重要な鍵である。とりわけ、急速な高齢化が進み、人口減少が進行する日本においては、その重要性はさらに高い。ここでは総人口1人当たりGDP (GDP per capita)を、日本全体の経済的な生産力を捉える指標として用い、その変化を労働生産性、労働時間、就業者の割合に分けて考える。人口減少が進む日本が生活水準を維持・向上させるには、人口の増加を期待できない以上、1人当たりの付加価値創出力を高めることが不可欠である。
生産性向上というと、業務効率化やコスト削減など、「分母を減らす」取り組みを想起しがちである。しかし、ここで重要なのは、新しい製品・サービスや事業モデルを通じて同じ労働投入からより大きな付加価値を生み出す「分子を伸ばす」成長である。MGIの調査によっても、国全体の生産性成長は、無数の企業による漸進的な効率化よりも、むしろ大胆な戦略的行動をとるダイナミックな企業によって大きく牽引されることが明らかになっている (企業の役割については次章で論じる) 27。
一方で、日本の生産性を必ずしも悲観的に捉える必要はないとの見方もある。人口構成の変化を考慮すると、日本の労働年齢人口1人当たりGDPの成長率は概ねG7諸国と同水準にあり、日本経済が直面する課題の多くは、生産性そのものよりも人口動態に起因するとの見方である28。
確かに人口動態の影響を除けば、日本の生産性の伸びは決して弱いものではない。労働時間当たりの生産性は過去25年間で平均1.1%上昇しており、他の先進国と概ね同水準である。実際、労働時間当たりの生産性の向上は、この間の経済成長を支える主要な原動力となってきた (図表11)。
しかし、この見方だけでは、労働市場をはじめとする様々な制約によって深刻化している日本の根深い構造問題を見落としかねない。特に注目すべきは以下の4点である。本章では最初の3点を詳細に検討し、最も重要な4点目については次章全体を割いて取り上げる。
- 日本の生産性の停滞は長期間にわたり改善の兆しはほとんど見られない
- 多くの産業において生産性で後れを取っており、米国などの市場リーダーとの格差が各産業で拡大している
- 日本の労働市場は柔軟性に欠けており、その構造的特徴が、生産性成長よりも安定性や労働時間の短縮を優先するインセンティブを生み出している
- 日本企業のダイナミズムの欠如こそが、最も差し迫った課題であり生産性の伸びがゼロあるいはマイナスである企業が多数存在する (次章詳細)
日本では生産性の伸びが長年鈍化しており、反転の兆しは見られない
過去30年間、他国が成長を続ける一方、日本の世界経済における存在感は低下してきた。さらに、生産性の伸びを高め、それによって1人当たりGDPの成長軌道を引き上げるための大胆な行動を起こさなければ、その低下はさらに深刻化するであろう。日本は、世界経済におけるシェアのさらなる喪失だけでなく、次の成長段階を方向づけるルールや基準、産業を形成する力を失うリスクにも直面している。
賃金の伸び悩み、機会の縮小、そして国際競争力の低下は、世界中の投資家や人材にとって日本の魅力を低下させる。日本のイノベーションも勢いを失い、成長を牽引する可能性の高い分野において産業が後れを取る恐れがある。しかも、こうした事態は、高齢化によって日本の財政余力がさらに圧迫される中で進行する可能性がある。 つまり、日本が将来の成長を実現する上で、生産性向上は避けて通れない。しかし、まさにその生産性の伸びにおいて、日本は十分な成果を上げられていない。
日本では生産性の伸びの鈍化が長期化している一方、米国では近年異なる動きが見られる。 米国でも、1997年から2016年にかけて生産性の伸びは長期的な下降傾向にあったが、2017年以降は再び加速した。その背景には、デジタル技術の急速な普及、AIインフラへの大規模な投資、そして新技術に合わせて業務プロセスを再構築する企業の能力などがある (図表12)。 これは特に新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)後に顕著であり、労働市場の流動性向上やデジタル化に加え、テレワークが可能なセクターの好調な生産性が全体の伸びを支えた 29。
産業セクターのダイナミズムは低下し、米国との生産性格差は多くのセクターで拡大している
日本の生産性の伸びの遅れは、多くのセクターで明らかである (図表 13)。
日本の GDP の 22%、雇用の 15%を占める製造業は、米国の同セクターに比べて生産性が約 20%低く、長年にわたってわずかな伸びにとどまっている。日本の生産性が比較的低い根本的な原因の一つとして企業・事業所の細分化が考えられる。日本の事業所の約60%は従業員4人以下であり、中小企業と大企業の間には大きな生産性格差がある。また、日本の中小・零細企業の生産性は大企業の約52%にとどまるのに対し、他の先進国では約60%である。卸売・小売業など他のセクターでも同様の傾向が見られ、小規模な事業運営が生産性を押し下げている。
GDPの約14%、雇用の15%を占めるICT分野において、日本の状況はさらに懸念される。ここでは、構造的な制約が継続する中、米国に比べて生産性の伸びが弱く、相対的な格差が拡大している。例えば、日本におけるIT支出はイノベーションよりも維持管理に充てられる傾向があり、クラウドやAI、その他のデジタル技術の導入を遅らせている。
一部の限られた産業においては、日本は米国を上回る生産性を示している。例えば、金融サービス部門の生産性は、米国の同部門と比べて約40%高い。これは、13の大手銀行が少数のメガバンクグループに統合されたことによる規模の大型化、そこからこの数十年間にわたる収益性改革の成果等が貢献したと考えられる。 これにより、金融業界のトップ企業群において規模の経済と資本効率が実現された。加えて、2024年以降の金利正常化により政策金利はマイナス圏から2026年6月時点で約1%まで上昇し、預貸金利の改善を通じて銀行業績を更に押し上げている。建設業界の生産性も米国よりも日本の方が高く、これは同業界におけるICTやプレハブ化への政府支援による可能性がある。大手建設会社は現在、溶接や資材運搬のための独自システムを導入しており、建設工程の多くで自動化が進められているダム建設も実現している。さらに、鹿島建設や大成建設などは人手不足への対応と施工効率向上を目的に、施工現場における自動施工システムや建機の遠隔・自律運転技術を実用化している。
つまり、日本には、世界的に競争力のある比較的狭い産業の中核が存在する一方で、生産高や雇用を支配する大規模かつ変化の遅いセクターがあり、そこでは生産性が低く、重要な分野ではさらに悪化している。
日本の労働市場の硬直性が、生産性の伸びを圧迫している
現状の年齢定義での労働参加率はすでに非常に高く、雇用者数を増やして生産量を押し上げる余地は多く残されていない。実際、2024年の労働力参加率は、25~64歳の男性で94%、女性で81%であり、OECD諸国の中でも最高水準の一つにある。
一方で重要な問題は、労働時間が減少している点にある。1990年代には年間2,000時間を超えていたが、現在は約1,600時間まで低下しており、その背景には人口動態や労働市場の構造など様々な要因がある 30。各国比較を見るとその格差が浮き彫りになる。日本の労働者は1人当たり年間労働時間が米国の労働者より約200時間少なく、OECD平均を下回っている (図表14)。
労働力参加率は他の先進国と同等の水準まで上昇しているものの、人材が最も価値を生み出す場所へ効率的に移動していない。 職の流動性は依然として低く、20代から50代の就業者を対象とした調査では、転職経験があるのは約60%にとどまっている。これに対し、英国や米国では90%を超えている 31。平均勤続年数も著しく長く、約12年と、米国の約4年に比べて長い。
この傾向をさらに強めるのが終身雇用の慣行、年功序列型の賃金体系などの構造的な要素であり、労働者を企業内に固定化させている(これにより日本では人手不足が経済全体に広がる一方、労働力の低生産性企業・セクターから高生産性企業・成長分野への再配分が十分に進んでおらず人材・スキルのミスマッチが生産性向上の制約となっている側面も存在する)。
税制や社会保障上の所得基準が追加就労を抑制し労働力の未活用を招くケースもある。例えば配偶者控除などの税制や社会保障上の所得基準は追加就労へのインセンティブを弱め、世帯の副収入を担う就業者が収入を増やすよりもパートタイム勤務を続ける要因となっている32。非正規雇用比率の高い二極化した労働市場は、労働時間の短縮と正規雇用への移行の困難さを助長している。日本のパートタイム労働者の割合は、2004年の約25%33から、2024年には35%近くまで増加した34 。育児の制約は、特に女性において、定着率やキャリアアップをさらに制限している。
これらの課題に対処するには柔軟性をいかに導入するかが重要となる。選択肢としては、中途採用の強化、スキルの汎用性向上、再スキル化の経路の拡大、そして就労意欲を阻害する要因の是正などが挙げられる。中途採用を増やすこと (多くの大企業はすでに実施している)だけではなく、そうした中途人材が早期に能力を発揮し付加価値創出に貢献できるようにすることがより重要となっている。これには、組織に蓄積された知識の体系的な明文化、より明確で標準化された業務プロセス、そして外部採用者を効果的に統合するためのより強力な仕組みが必要となる。
同時に、日本には労働供給を拡大する余地も残されている。その代表例が65歳以上の高齢人材である (図表15)。健康寿命の延伸や就労意欲の高まりを背景に、一定の年齢で一律に引退することを前提とした従来の雇用モデルは、現実に合わなくなりつつある。特に日本は、熟練技能、現場知識、顧客対応など、長年の経験が価値につながる業務も多く、高齢人材の活用余地は大きい。重要なのは、パートタイム等柔軟な勤務形態や職務を限定した働き方、デジタル支援を組み合わせることで、高齢者が継続的に価値を発揮できる環境を整備することである。
さらに、高齢者の就労促進は労働供給の確保にとどまらない。就労の継続は、社会との接点や目的意識の維持に加え、認知機能の低下防止や健康寿命の延伸にも寄与する可能性がある。これは結果として医療・介護負担の抑制や、生活習慣の改善を通じた社会保障コストの低減にもつながり得る。また、生成AIやデジタルツールは、高齢者のリスキリングを容易にし、従来とは異なる業務を担う可能性を広げる。これは、生涯を通じた成長実感や自己効力感の向上につながるだけでなく、人手不足が深刻化する産業への円滑な労働移動を促進する可能性もある。人口減少社会においては、高齢者を支援の対象としてのみ捉えるのではなく、経験と知識を有する重要な人材として位置付けることが求められる。
労働供給を補完するもう一つの可能性が、AIとロボティクスの活用である。今後、AIの活用も単なるデジタル業務の効率化にとどまらず、フィジカルAI領域へ拡大していくことが必須となる。ロボティクス、自動運転、物流自動化、工場オペレーション支援など、物理空間における作業をAIが補完・代替することで、限られた労働力でもより大きな生産量を実現できる余地が広がっている。これは単に人手不足を補うだけではなく、高齢人材や経験の浅い人材でも高い生産性を発揮できる環境を構築することを意味する。人口減少下において日本が成長を維持するためには、人材の流動化や制度改革に加え、人とAI・ロボティクスを組み合わせた新たな生産モデルへの転換が重要となる。
3. 大胆な戦略的行動による成長企業の創出
前章まで新たな時代の転換点における日本の構造的な立ち位置と、1人あたり生産性というマクロ的な視点を見てきた。本章では経済成長の原動力は何よりも企業の意思決定にあるという点に重点を置き、ミクロレベル、すなわち企業の業績や、個々の企業が成長を実現するにあたり何が求められるかに焦点をあてる。
企業の生産性向上による経済への貢献
企業の生産性が高まれば、経済全体の生産性も大きく向上することはよく知られている 35。これは当たり前のようにも聞こえるが、MGIが行った米国、英国、ドイツの調査では各企業の寄与は均等ではなく、往々にしてダイナミックで先見性のある一握りの企業が経済全体の生産性向上の大部分をけん引する構造となっている。調査対象の3か国の例では全調査対象の8,300社のうち1%の企業が成長の2/3を占めていた。こうした企業に共通するのは、単に規模が大きいことではなく、資本と人材を積極的に再配分し、新技術を迅速に導入するとともに、ビジネスモデルを絶えず刷新しようとする姿勢である。対照的に、資本と労働力が生産性の高い分野へ移行するスピードが遅い経済圏では、全体のパフォーマンスも低くなる傾向がある。ここから得られる示唆は明確であり、国全体の生産性を高めるには、より多くの企業がトップクラスのパフォーマンスを実現できるようにするとともに、ベストプラクティスを企業全体に幅広く普及させる必要がある。
これまで見てきたように日本では生産性の伸びの停滞が課題となっているが、他国の企業業績を分析することで生産性向上の鍵について示唆を得てみよう。例えば米国では生産性成長率の低下傾向が反転している。ここでは、その「なぜ」に着目する。
ミクロ、つまり企業レベルで見ると、その理由が明らかとなる。 MGIによる企業の生産性に関する調査では、米国企業はドイツや英国さらには日本の企業を上回る生産性の伸びを示している。2011年から2019年までの米国企業サンプルの生産性成長は2.1ポイントであったのに対し、2019年から2023年までの日本企業サンプルではゼロであった (図表16)。MGIによる調査タイミングの違いにより両国の対象とする分析期間は異なるが、期間をまたいでも全体的な傾向は大きく変化しないことが示されており、以下この分析を深めて見てみたい。
米国が高いパフォーマンスを示している背景には、以下の要因がある:
- 米国には、他の主要経済国に比べて、生産性成長に大きく寄与する企業 (以下、「卓越企業」。定義は図表16を参照)が多く存在する。
- 米国には、生産性が低迷している企業が比較的少ない。その一因として、米国では労働市場の流動性が高く、また業績不振の企業がより競争力の高い企業に吸収されたり、市場から撤退したりしやすいことが挙げられる。
- 米国では、プラス寄与の約半分が、低生産性企業から高生産性企業への労働力の再配分によってもたらされている。
これらすべての点において、日本は米国と対照的な状況にある (図表17)。
- 日本にも生産性の伸び率へのプラス寄与の大きい企業は存在するが、その数は限られている。一方で、マイナス寄与の企業が大きな割合を占め、プラス寄与企業の生産性向上への寄与を相殺している。我々のサンプルでは、本分析で定義する卓越企業はわずか33社 (全体の0.3%)であったのに対し、今回の対象企業群の生産性成長にマイナスに寄与する企業は5,000社を超え、サンプル全体の50%を占めている。
- 注目すべき点は、日本では労働力の再配分による生産性の押し上げ効果が、米国と比べて極めて限定的ということである。企業内のプラス寄与には、2.2ppの生産性向上効果があるものの、他の企業のマイナスが寄与それを相殺している。加えて企業間の労働力の再配分による押し上げ効果も限定的である
- これは、ダイナミズムよりも安定性を優先してきた日本の企業システムを反映している。日本では市場から撤退する企業が少なく、その割合は年間2%未満であるのに対し、米国では7~8%にのぼる。これは、日本における競争圧力がこれまでは限定的で、企業の新陳代謝が米国に比べて遅いことを示唆している36。また、日本では、マイナス寄与の企業が、競争の激しいシステム下にある国々よりも長く存続する傾向にある。こうしたマイナス寄与企業の存続には、弱体化した企業を支える銀行中心の資金調達システム、失敗を忌避する社会的規範、中小企業の存続を後押しし得る制度的支援など、構造的・文化的な要因が影響している。
- 歴史的な低金利が企業の財務負担を軽減し、銀行との関係や制度面での支えが企業経営の安定をもたらしてきた。その結果、低生産性企業が存続し、総体的な生産性を押し下げる一因となっている37。また、日本では新規企業の参入率も低く、特に高成長セクターにおいてその傾向が顕著である。これは、新たな企業が生まれ、規模拡大していく上で障壁が存在することを示唆している。
- 前章で述べた通り、労働市場の制約により高成長企業は経験豊富な人材の確保が困難である一方、多くの労働力が生産性の低い企業にとどまっている。これにより、高成長企業の事業拡大が遅れるだけでなく、新たなスキルやノウハウが経済全体に広がることも妨げられている。
卓越企業に共通する特徴の一つは、大胆な戦略的施策を打ち出していることである。重要なのは、効率性だけではなく、戦略、ポートフォリオの転換、価値創造を追求することである。また、規模も重要な要素となる。イノベーションを大規模に展開できる卓越企業が、生産性向上をけん引する。
この点でも、企業の規模拡大の遅れや資本配分の硬直性が、日本企業の制約となっている。日本企業は総じて多額の現金を保有しているが38、新たな成長分野への投資は依然として低調である39 。資本は、より高いリターンが見込める機会へ積極的に再配分されるのではなく、既存の事業部門内に留保されたり、漸進的に配分されたりすることが多い。 コングロマリット構造や株式持ち合いネットワークも、低収益部門に資本を滞留させ、事業再編や売却への圧力を弱める要因となっている。このような状況は、文化的要因も影響している可能性がある。研究によると、日本では投資や起業家精神、将来の起業意欲のレベルが他国に比べて低く、その格差の多くは、企業に対する自信の低さによって説明できるという40。
ガバナンスのあり方も、こうした傾向を強めている。改革によって透明性や株主還元は改善されたものの、日本企業は戦略的な資本配分において依然として慎重な傾向がある 41、42。その結果、特に破壊的な技術革新への対応において、戦略的な事業再編のペースが遅れる可能性がある。
有力企業が台頭したとしても、急速な規模拡大には障壁がある。ベンチャーキャピタル、プライベートエクイティ、レイターステージの資金調達など、成長資本を供給するエコシステムは、米国や中国に比べて十分に発達していない43 。 その結果、特にデジタルプラットフォーム、ソフトウェア、AIといった新たな分野では、成功した中堅企業から世界をリードする企業へと成長するケースが少ない。
日本にはさらに多くのグローバル企業が必要である
日本企業の生産性を制約しているダイナミズムの不足は、高生産性企業と低生産性企業のバランス (前述の通り、後者に大きく偏っている)だけの問題ではない。真の成長ポテンシャルがある分野で、卓越企業が大胆な戦略的投資を行えるかどうかも重要である。持続的な生産性向上には、イノベーションを拡大し、市場を形成し、グローバルレベルで価値を獲得できる企業が不可欠である。
現在、日本企業は大きなグローバルプレゼンスを有している。海外現地法人を有する製造業企業を対象とする調査では、2023年度には海外売上高比率が40%、海外生産比率が36%に達した 44 。上位100社では、海外売上高が売上高全体の約67%を占めており、これは世界で最も国際化が進んだ経済圏に匹敵する水準である45 。日本は世界的に競争力のある企業基盤を築いてきたが、その多くは伝統的な産業に集中している。日本企業のグローバル展開は、自動車や機械産業に大きく偏っており、いずれも日本が数十年をかけて世界トップクラスの能力を培ってきた分野である 46 。これらの産業は依然として好調であり、サイバーフィジカル世界における基盤となっているが、世界の価値創造の重心はすでに別の分野へと移りつつあり、ポートフォリオの問題となっている。
海外売上高比率が増加する一方でフォーチュン・グローバル500にランクインする日本企業の数は、1995年の149社から現在では38社へと大幅に減少している。さらに注目すべきは、現在ランクインしている日本企業の顔ぶれがほぼ1995年時点ですでにランクインしていた企業のままであるということである。現在の38社のうち、新規参入企業はわずか2社 (約5%)にとどまる。 これは米国とは対照的である。米国ではランクイン企業数は1995年の151社から2025年の138社とほぼ横ばいであるものの、約60%の企業が入れ替わっており、現在の138社のうち81社が新たにランクインした企業である (図表18)。
成長分野への投資の再活性化が、大胆な戦略的行動につながる
グローバルプレゼンスが高くても、主要な成長分野において戦略的な投資が行われているとは限らない。実際、日本企業によるこうした投資は全体として十分とはいえない。前述の通り、企業が真の成長ポテンシャルを引き出すには、適切な分野で大胆な戦略的投資を行うことが極めて重要である。
もっとも日本の純投資率は1990年代のGDP比約10%から、近年では約1%にまで低下している。 この水準では、最新のソフトウェアから最先端の工場に至るまで、生産を支える資本ストックがほとんど拡大しておらず、投資によるGDP成長への寄与もごくわずかである。さらに重要なのは、投資を成長分野に振り向けることで、生産性向上につなげることである。
加えて今日の日本は、投資量の不足だけでなく、より根本的なポートフォリオの問題も抱えている。純投資の低さに加え、将来の成長を支える資産へ投資が向かっているかという投資攻勢の問題を検討する必要がある。この問題が最も顕著に表れているのが無形資産への投資である。一般的にリターンが高いとされる知的財産生産物 (IPP)が投資全体に占める割合は、日本では過去10年間にわたり26%前後でほぼ横ばいであるのに対し、米国では26%から39%へと大幅に上昇している (図表19) 47 。
世界のリーダー企業は、デジタルプラットフォーム、ソフトウェア、AIをはじめとする高成長分野に集中している。これらの分野には世界の時価総額が集中し、利益の多くを獲得し、エコシステム全体を形成している。こうした分野において、日本の存在感は乏しい。
米国や中国の主要企業と比較して、日本企業はデジタルやAIなどの成長分野への投資に消極的である48。 研究開発費や設備投資の規模も小さく 49 、無形資産への投資の伸びも鈍い50。資本は依然として既存事業にとどまっている。つまり、日本は成長が加速する分野に十分な投資が行えていないのである。
こうした状況が変わらなければ、日本が経済成長に必要な生産性の飛躍的な向上を実現することは難しい。企業を主たる担い手として、成長分野への投資を拡大することが不可欠である。
また、この構造が自然に是正されることも期待しにくい。対内投資は依然としてOECD水準を大きく下回っており、新たなビジネスモデルの流入や競争圧力が限定されている51。 ガバナンス体制は改善しているものの、依然として変革よりも安定を優先する傾向がある。
これらの結果として日本は堅実な企業を生み出し続けることはできても、未来を切り拓くような企業を十分に創出できない可能性がある。したがって、日本の課題はさらなる海外売上増ではなく、最も重要な産業において、世界で競争力を持つ企業を増やしていくことが中核にある。次のセクションでは、企業が注力すべき分野について詳しく検討する。
日本企業の成長モデルを再構築する5つのシフト
ここまで近年の日本企業が世界の舞台において十分な規模へと成長できていないことを見てきた。この課題に取り組むには、企業の競争や運営のあり方に加え、業界構造そのものが変わることまで視野に入れる必要がある。
以下ではマッキンゼーの日々のコンサルティング業務も通じ見てきた、あらゆる産業を通じて共通する、競争力の源泉となる産業構造、グローバルな企業経営、企業間エコシステム、新規事業創出、そして資本・人材の再配分を支えるガバナンスという、成長を規定する主要なレバー全体を同時に変革していく必要がある。かつ全てをゼロからではなく、既存の資産を活かしながら行うマインドセットのシフトのアイデアを5つ提示する。
シフト1: 国内の業界再編を通じた戦略的ポジションの確立
企業のグローバル競争力において規模は依然として重要な要素であるが、今日の競争力は企業の大きさそのものよりもグローバルなバリューチェーンにおいてどれだけ代替困難なポジションを確立しているかどうかに大きく左右されるようになっている。産業はグローバル化が進むにつれ、コモディティ化の圧力は一段と強まる。とりわけ大量生産セグメントで競争する企業は利益率の低下や、コスト競争力や機動力が高い企業との競争激化に直面しやすい。一方で、重要な技術や部品、システム間のインターフェースを押さえている企業は容易に代替できないため高い収益性と競争優位を維持しやすい。
この観点から見ると日本は大きな優位性を持つ可能性がある。MGIの推計によると世界貿易の約10%は高度に集中している。ここでいう高度に集中とは、3カ国以下で世界の輸出の90%以上を占める状態を指すが、こうした貿易品目において、日本は化学製品、輸送用機器、金属などの主要産業で大きなシェアを占めている。例えば、写真用プレート・フィルムの世界輸出の55%、船舶用エンジンの63%、掘削用ステンレス鋼の63%を日本が占めている。
例えば化学分野では、日本は半導体製造に不可欠なフォトレジストやシリコンウェーハなど高付加価値材料に強みを持つ。輸送用機器では、船舶用推進システムなど高度な技術が求められるニッチ市場で競争力を維持している。金属分野でも、銀粉末などの高スペック工業材料に強みを有する。半導体分野では、日本企業は重要な材料セグメントで世界的に高いシェアを持ち、高度な半導体製造に不可欠なシリコンウェーハの約53%、フォトレジストの50%を占めている52。精密機械分野では、ファナック (FANUC)などが、製造設備のオペレーティングシステムともいえるCNC市場で大きなシェアを有している。これらに共通するのは、日本の強みが、切り替えコストが高く、かつ信頼性が極めて重視されるグローバルシステムの戦略的要所に位置していることである。
これは産業用資材に限ったことではない。TOTOは、消費者向け市場における好例である。同社は、コモディティ化した衛生製品で競争するのではなく、衛生、快適性、持続可能性を融合した「ウォシュレット」や「ネオレスト」といったプレミアムカテゴリーを創出してきた。世界累計出荷台数が数千万台に達するTOTOは、既存市場でシェアを争うのではなく、自ら市場の基準を定義するポジションを築いた。同社の競争優位性は規模の大きさそのものではなく、自らカテゴリーを創出しその主導権を握っていることにある。
こうした代替困難なポジションこそが、日本企業の構造的な競争優位の源泉となっている。これは単なる競争優位だけでなく、不確実な世界情勢下での強靭性を支えるものとなる。サプライチェーンが複雑化し、地政学・エネルギー・AIの相互依存が深まる中、重要な技術やプロセス、システム間のインターフェースで不可欠な役割を担う企業は事業やサプライチェーンの再構築にも柔軟に対応できる。代替困難性は戦略的自律性を高めることにもつながる。
一方で日本の多くの企業や業界では、重要な技術や人材、顧客基盤が多数の企業に分散し、本章冒頭で見たような低生産性の企業も含めて企業数が過多となっている。こうした経営資源の分散が企業の規模拡大や競争力強化を阻んでおり、経営資源の集約や事業ポートフォリオの再編を通じて代替困難な規模・能力を形成する余地が大きい。そこでは既存の業界区分にとらわれない発想も求められる。AI、半導体、エネルギー、産業機器、ソフトウェアが融合する時代には、個社の取り組みだけでは十分ではない。M&A、資本提携、業界再編、異業種連携を通じて競争の単位そのものを拡張することが重要となる。
例えばSchneider Electric、ZEISSなどは、構造的な成長市場を取り込みながら、売上高の拡大、利益率の向上、企業価値向上を実現してきた。これらの企業は高い技術力だけでなく、自らの強みを核としながら、M&Aや事業転換を通じて事業ポートフォリオを進化させ、変化する産業構造の中で不可欠なポジションを維持してきた点にある。また半導体分野では、Infineon、STMicroelectronics、NXPなどが、欧州域内での半導体主権の確保に向け、生産能力、研究開発、顧客基盤を横断する連携を強化している。欧州では近年、政策・企業戦略の重心が個社の競争力から産業エコシステム全体の戦略的自律性に移行しつつある。防衛・航空宇宙・エネルギー分野でもまた、サプライチェーンの再構築や域内統合を目的とした大規模な再編が進んでいる。すなわち、代替困難なポジションと戦略的自律性を個社ではなく、エコシステム全体で確立しようとしているのである。
このような時代の大きな転換点では官民が連携することも当然ながら重要となる。例えば日本でも歴史をさかのぼれば、1970年代後半から1980年代初頭にかけて、繊維や造船などの分野で意図的に生産能力の削減が行われた。 繊維産業では1978年10月に「合成繊維安定化基本計画」が実施され、4種類の合成繊維製品について、生産設備の平均17.4%が廃棄された52。 造船業では、政府が大手造船所の生産能力を約35%削減する計画を打ち出す一方、大手造船各社も不況カルテルを形成した53。当然のことながら、不況期の施策が現在の経済にもそのまま適用できるわけではないが日本における実例として示唆となりうるのではないか。
シフト2: 世界の経営資源を取り込むグローバルモデルへの転換
日本企業は長年にわたり、国内で培った製造、調達、品質管理、そして業務効率において卓越した実績を上げてきた。しかし、こうした能力は国内の個々の業務をベースに最適化されていることが多く、多くの企業が海外展開を進め海外売上比率を高めてきた現在でも、海外事業の経営、人材、意思決定の中枢は依然として本社や日本人材に集中しているケースも少なくない。日本企業にとってグローバルモデルの構築は長年の課題であり続けている。
今日の環境では、そのことが一層の構造的な制約になりつつある。AIの進化や技術革新の加速により、人材、技術、データ、資本が国境を越えて集積する一方、企業の競争力は、製品単体の性能だけでなく、製品開発、生産、物流、販売、顧客データを一体的に結び付けた統合型のオペレーションモデルから生み出されるようになっている。こうした機能を国内や自社内に閉じて最適化するだけでは、世界各地に存在する優れた経営資源を十分に取り込めず、需要変動への迅速な対応、サービスによる収益機会の拡大、さらには顧客との継続的な関係構築において不利になりやすい。
具体例を見てみたい。半導体製造装置やロボティクス分野では、すでにこうしたモデルが競争力の源泉となっている。ASMLやApplied Materialsは、単に装置を販売するだけではなく、装置の稼働状況やプロセスに関するデータ等を活用し、保守やプロセス最適化まで含めたサービスを提供している。また、ファナックはFIELD systemを通じてロボットや工作機械をネットワーク化し、生産現場全体をデータでつないでいる。現場データを生産や保守に関する意思決定に反映することで、迅速な調整と継続的な改善を可能にし、顧客の生産性向上に貢献している。このようなクローズドループ型のシステムによって、価値創出の中心は単体ハードウェアから、ハードウェアとソフトウェア、データ、サービスを組み合わせた統合型の価値提供へと移りつつある。
こうした変化は、ファナック、ダイフク、コマツといった企業でも進んでおり、単に優れた機械を製造するだけではなく、機械を取り巻くシステムやオペレーションを通じて、システム全体の設計や運営を担うことによる新たな価値提供を進めている。
専門領域を深めたり、他社とのパートナーシップを通じて補完したりするなど、異なる戦い方がある中で、企業の強みや顧客基盤に応じて、システム全体の設計・運営を担う事業へ展開することも有力な選択肢の一つである。
こうした価値創出モデルをグローバルに展開する上では、本社が開発した製品を各国で販売するだけでなく、グローバルに蓄積された技術、製品、データ、専門人材を共通のケイパビリティとして活用し、各地域の顧客ニーズに応じて組み合わせ、価値に転換することが重要となる。日本が強みを持つロボット、工場自動化、物流、建設、エネルギー最適化、精密機械といった物理的な領域についてもこうしたケイパビリティを組み合わせることで、現場のオペレーション全体を高度化し、新たな価値を生み出す余地は大きい。
多くの日本企業にも同様の転換が求められる。本社が定めた商材を個別に営業・販売するだけではなく、顧客起点で複数の製品・サービス、デジタル、エンジニアリングを組み合わせ、顧客の経営課題そのものを解決する営業へと進化する必要がある。同時に、こうした転換に必要なケイパビリティを、すべて自社内でゼロから構築する必要はない。ソフトウェア、データ・AI、システムインテグレーション、業界別ソリューション、さらには各地域の顧客基盤や営業・サービス網など、戦略上不足するケイパビリティを明確にした上で、プログラマティックM&Aなどを通じた中小規模の買収によって補完していくことも重要である。M&Aも、単発の売上・規模拡大の手段ではなく、将来必要となるケイパビリティを計画的に獲得し、自社の事業基盤を強化する手段として位置づける必要がある。
もっとも、こうしたグローバルモデルの構築に必要な変革は決して容易ではなく、これまでも多くの試みが道半ばに終わってきた。一方で、現在は従来とは異なる条件が整いつつある。第一に、AIやデジタル技術の進展により、国境を越えた協働や知見の共有、組織運営のあり方そのものが変わりつつある。かつては本社への集約が必要だった機能も世界各地の拠点や人材との連携を前提として運営できる環境が整いつつある。第二に、日本企業が持つ強みの価値が改めて見直されている。先端素材、製造装置、ロボティクス、エネルギーインフラなどの分野では日本企業は依然として世界の価値創造システムにおいて重要な役割を担っている。こうした強みを起点として世界中の企業や人材、資本との連携を拡大する余地は大きい。
国内の人口減少や人材不足、技術競争の激化により、国内市場や自社単独の経営資源だけでは持続的な成長が難しくなりつつあるなか、求められるのは世界中の経営資源を活用して価値創造を行う企業へと進化することである。その実現に向けては、人材・資本・技術・事業ポートフォリオをグローバル前提で再設計し、それらを各地域の顧客接点と結び付け、顧客価値へと転換する一連の仕組みを経営モデルとして構築することが新時代においてグローバルで持続的に成長するための重要な条件となる。
シフト3: 中小企業を含めたAI/フィジカルAI活用による生産性の向上
これまで主にAIや半導体、製造業などの分野で世界市場を舞台に競争する大企業の競争力について論じてきた。しかし日本経済全体に目を向けると、GDPや雇用の過半を占めるのは、地域に根差したサービス産業である。小売、外食、介護、物流、建設、生活関連サービスといった分野は、国民生活を支える基盤である一方、その生産性は製造業などと比べて依然として低い水準にとどまっている。日本経済全体の成長力を高めるには、一部のグローバル企業だけでなく地域経済を支える企業群全体、とりわけ中小企業も含めて生産性を引き上げることが不可欠である。
中小企業は日本経済の成功にとって二次的な存在ではなく、生産性向上の鍵を握る存在である。企業数の99.7%、雇用の約70%を占める一方、その生産性は大企業を大きく下回る。一般的に、中小企業の生産性は大企業の40~60%程度にとどまり、サービス業ではその差はさらに大きい。大企業が規模拡大、グローバル化、自動化、デジタル化によって生産性を高めてきた一方で、多くの中小企業では、設備投資やデジタル技術導入、経営の近代化が十分に進んでいない。
その結果、日本経済では、一方で世界的な競争力を持つ企業群、他方に低生産性の企業群が存在するロングテール構造が強まっている。小売、建設、地域サービスなどでは大手企業がデジタル化や規模拡大を進める一方、中小企業は分散型の構造と労働集約的な事業運営を続けており、生産性の格差は拡大し続けている。この構造を放置すれば、人口減少が進む中、日本経済全体の成長余地は大きく制約されることになる。
こうした課題は、個々の企業の取り組みだけでは解決できない。重要なのは、企業エコシステム全体の生産性を引き上げることである。そのためには、有力企業がオーケストレーターとして中小企業を巻き込みながらイノベーションやデジタル化、海外展開を推進していくことが効果的である。トップ企業が生み出した知見や生産性向上の成果を、サプライチェーンや地域経済全体へ波及させることで、日本経済全体の競争力向上につながる。
ダイキンはその代表例である。同社は単なる取引先管理にとどまらず、共通基準、技術教育、デジタルプラットフォームを通じて、販売、施工、保守ネットワークを自社の事業モデルに組み込んでいる。これにより小規模事業者であっても高い品質と効率性を実現できる環境を整えている。ミスミもまた、設計、調達、生産の各プロセスにおける摩擦を削減することで、自社のみならず、顧客企業やサプライヤーを含むエコシステム全体の生産性向上に貢献している。競争力の源泉は、個社の効率性だけでなく、企業群全体をいかに高度に連携させられるかへと移行しつつある。
さらに、こうした変革を後押しする重要な手段となるのが、AIやデジタル技術である。小売、物流、介護、建設といった分野では、人口減少と高齢化に伴い、深刻な人手不足が避けられない。今後は、業務の自動化や標準化に加え、サービスの提供方法そのものを再設計することで、一人当たりの生産性を引き上げる必要がある。
なかでもフィジカルAIは、日本の技術的な優位性を生かしながら、社会課題の解決にもつなげ得る有望な分野である。生成AIや大規模言語モデルでは米中の巨大プラットフォーム企業が先行する一方、日本はロボット、工作機械、センサー、制御機器、産業機械、自動化設備など、物理世界を支えるハードウェア領域で世界有数の競争力を持つ。これは日本が強みとする現場やものづくりの知見を、新たな競争優位へと転換する大きな機会となる。
また、AI・フィジカルAI活用の価値は働き手不足に限らない。精密加工、材料、製造装置、特殊部品などの分野には、世界市場で高い競争力を持つニッチトップ企業が数多く存在する。こうした企業は、独自技術や現場起点の創意工夫を強みとする一方、その競争力の多くを、熟練技能者や創業者に蓄積された暗黙知に依存している。経営者の高齢化が進み、事業承継が課題となる中、AIやデジタル技術を活用して技能やノウハウを形式知化し、企業や世代を超えて共有できる資産へと転換していくことは、生産性向上だけではなく、日本の産業競争力そのものを維持する上で極めて重要である。
日本の生産性向上の成否は、一部の大企業の業績だけではなく、そうした企業がより広範な中小企業のエコシステムをどこまでけん引できるかにかかっている。これは戦略的自律性の観点からも重要である。企業間の連携が不十分な国内エコシステムは、依存関係や供給制約を把握しにくく、危機時の対応力を損なう可能性がある。共通基準、デジタル統合、人材育成、知識共有を通じて企業間連携を強化することは、生産性向上だけでなく、日本の産業システム全体のレジリエンス強化にもつながる。
シフト4:課題解決型スタートアップを連続的に育む企業エコシステムの構築
日本では近年、スタートアップ支援策が強化され、資金調達額も増加しているものの、主要国との差は依然として大きい。2025年時点で日本のユニコーン企業はわずか8社であり、米国の700社超、中国の150社超と比べ、その存在感は限定的である。また、国内スタートアップへの投資額は年間約9,000億円規模まで拡大したものの、政府が2022年に掲げたスタートアップ投資額を2027年度までに10兆円規模へ拡大するとともに、将来的にユニコーン100社、スタートアップ10万社を創出するという目標との距離はなお大きい。日本の課題は、起業数そのものではなく、世界市場で競争できる企業を継続的に生み出し、成長させるエコシステムが十分に形成されていないことにある。
その背景には、単にスタートアップへの資金が不足しているという以上に、創業から成長、M&AやIPOによるEXIT、さらなる成長投資へとつながるエコシステムが十分に形成されていないことがある。日本では国内市場を前提とした事業開発になりやすく、世界で大きくスケールする企業を生み出すことに課題が残る。また、大企業とスタートアップの接点も、資金提供やPoCにとどまらず、顧客基盤・技術・人材・販路を活用した事業成長やM&Aへと広げていく余地が大きい。
ここで日本が持つ固有の強みを活かす余地がある。日本には、世界で競争力を持つ技術、顧客基盤、ブランド、人材、資本を蓄積した大企業が数多く存在する。スタートアップの俊敏性とこれら大企業が持つリソース・経験を組み合わせることで、新たな事業を生み出すアプローチは有効である。
大企業によるスタートアップ育成やベンチャービルディングはもはや取り組むべきかを議論する段階ではなく、重要な経営課題となっている。重要となるのは、新規事業を単発的ではなく、継続的に創出するケイパビリティを、組織として構築することである。実際、グローバルでは複数の事業を連続的に立ち上げるシリアルビルダーが高い成果を上げており、経験を蓄積した企業ほど、新規事業の成功率や投資対効果が高いことが示されている。
一方、日本のスタートアップ政策は、米国型のデジタルプラットフォーム企業を模倣するだけであってはならない。日本が世界に先駆けて直面する人口減少、高齢化、人手不足、地域経済の衰退といった社会課題こそが、新たな事業機会の源泉となり得る。特に、地方経済やサービス産業はGDPや雇用の大きな割合を占めるにもかかわらず、生産性向上の余地が大きい。介護、医療、物流、建設、小売り、観光などの分野でテクノロジーを活用し、社会課題の解決と成長を両立する企業を育成することは、日本独自の競争優位につながる可能性が高い。政府も近年、「社会課題の解決を成長の源泉とするスタートアップ」の重要性を強調している。
また、AIの普及によってスタートアップの成長モデルそのものが変わりつつあることも、好機と捉えるべきである。従来は数十人から数百人規模の組織を必要とした事業開発やソフトウェア開発、マーケティングも、少人数のチームで実現可能となりつつある。マッキンゼーの調査では、AIの活用によって、新規事業の立ち上げ期間を短縮し、より少ない資本で市場投入できる可能性が示されている。また、グローバルでは、事業創出を一度限りの挑戦ではなく、組織能力として繰り返し実行する企業が増えている。今後の日本に必要なのは、個別の成功事例を増やすことだけではない。起業家、大企業、投資家、人材が循環し、新たな事業が連続的に生まれるエコシステムを構築することが、世界との競争力格差を縮める重要な打ち手となる。
今後は、スタートアップを何社増やすかではなく、世界で成長する企業をいかに連続的に生み出すかに焦点を移す必要がある。大企業によるカーブアウトや新規事業創出、スタートアップとのM&A、グローバル展開を通じて、大企業に蓄積された資産を新たな成長企業へと移し、そこで生まれた人材・資本・知見を次の起業へと循環させる。スタートアップを外部から支援するだけでなく、大企業自身が新たな企業を連続的に生み出す主体へと変えていくことが、日本におけるスタートアップエコシステムの次の進化となり得る。
シフト5(エネーブラー):新陳代謝と長期的価値創造を両立するガバナンス
日本企業は長年にわたり、株主利益を過度に優先することなく、「三方よし」の精神に象徴されるような、様々なステークホルダーとのバランスを重視する経営思想を維持してきた。こうした姿勢は、雇用や地域経済の維持に一定の役割を果たしてきた一方、市場に収益性の低い事業や競争力を失った企業が残り続ける一因にもなってきた。本レポートの分析にもある通り、生産性の成長を実現出来ていない企業の存在が、資本や人材の再配分を遅らせ、生産性向上の足かせとなってきたことは、これまでにも述べてきた通りである。
このように、日本には前時代から引き継いだ課題が残るものの、同時に成長余地があることも意味する。実際、多くの産業で需要が縮小する中でも産業構造の調整が十分に進んでおらず、過剰な供給能力や長期にわたる価格競争が収益力を押し下げている。さらに、人口減少が進む中、過度に分散した産業構造を維持することは難しくなっているが、業界再編や企業統合を通じて経営資源を集約することで、成長力を高められる可能性がある。市場規律や一定の外部圧力は、こうした新陳代謝を促進する上で、引き続き重要な役割を果たす。
しかし、この議論を短期的な利益や財務指標の最大化へと結び付けることには注意が必要である。資本市場による規律は重要である一方、それが短期利益の追求に偏れば、企業価値そのものを毀損するリスクもある。近年、日本でもアクティビストファンドの存在感が高まっているが、短期的な収益改善や資本効率の向上を通じた株主還元を過度に重視すれば、長期的な競争力の源泉となる研究開発、人材育成、事業基盤への投資が後回しになるリスクもある。
とりわけ、AI、エネルギー転換、半導体、デジタルインフラといった分野が競争力を左右する現在、短期志向に偏ることのリスクは一段と大きくなっている。これらの分野では、多額の先行投資と長期にわたる投資回収が必要であり、成果が現れるまでに10年以上を要する場合も少なくない。不確実性が高い時代だからこそ、短期的な収益変動への対応だけでなく、将来の競争力を支えるケイパビリティや資産を継続的に構築していくことが求められる。
実際、欧米でも近年は、株主資本主義の限界をめぐる議論が活発になっている。かつては資本効率や四半期業績の改善が重視されていたが、現在ではサプライチェーンの強靭化、技術主権、人的資本、研究開発能力といった、長期的な競争力の源泉にも注目が集まっている。企業価値とは、単なる短期的な利益の積み上げではなく、将来にわたって価値を創出し続ける能力そのものであるという認識が広がりつつある。
こうした環境下で、経営陣と取締役会の役割が一段と重要になる。求められるのは、現状維持を正当化することではなく、短期的な市場の期待と長期的な企業価値の双方を見据えながら、資本、人材、技術への投資を適切に判断し続けるガバナンスである。事業ポートフォリオの見直しや撤退判断については従来以上に厳格であるべきだが、その目的は短期的な利益の最大化ではなく、将来の成長領域への資源再配分にある。
日本企業にとって真の課題は、市場規律を強化するか、または企業を保護するかという二者択一ではない。過去の延長線上にある事業や企業については果断な再編や退出を進める一方、未来の競争力を支える領域には忍耐強く資本を投じ続けることである。次の時代に求められるのは、こうした新陳代謝と長期的な価値創造を両立させるガバナンスである。
4. 世界のメガ成長領域から見た成長ポートフォリオ
新たな時代において、投資、戦略、価値創造などの面で、日本企業がどこに注力すべきかについては様々な考え方がある。こうした問いを検討するには体系的なアプローチが有効であり、本レポートでは、約4,000社のグローバル企業と4,000社の日本企業を分析し、日本企業が次の時代を形作るために戦略投資をすべき領域、競争力の構築を加速すべき領域、優位性を拡張し得る領域をそれぞれ検討した (コラム1「調査方法」を参照)。また、最大のインパクトを得るためのポートフォリオ戦略、つまり、どの分野に注力し、どのようにリソースを配分すべきかについて考察する。個別の領域固有の課題や機会の詳細については今後のレポートでさらに掘り下げる予定である。
今回の調査では、以下の3つの視点から分析を行った。
- 世界の成長領域:MGIは、高い成長率とダイナミズム、活発なイノベーション、国境を越えた規模拡大を特徴とする18のメガ成長領域を「アリーナ」として特定している。これらは、価値の構造が大きく変化しつつある分野であり、将来的には世界の2022~2040年のGDP増加分の最大3分の1を占めると予想されており、日本にとっても重要な領域である54。
- 日本の競争力:売上高シェアや収益性といった現在のパフォーマンス指標に加え、ベンチャーキャピタルやプライベートエクイティの活動、特許の競争力など、将来のポテンシャルを示す指標を組み合わせて評価した (コラム2「日本のイノベーションは、急成長するデジタル分野より伝統的な分野に強みがある」を参照)。その結果、日本には高いケイパビリティがある一方、それを事業として大規模に展開する力にはばらつきがあることが明らかになった。
- 日本にとっての重要性: すべてのセクターが同じ重要性を持つわけではない。そこで、各セクターが雇用に果たす役割、エコシステム間の相互依存性、経済全体のレジリエンスに加え、政府の優先事項も考慮した。
これら3つの視点を総合することで、日本が持つ多様な強みに基づき、新時代における戦略上の優先事項を明確にすることができる (図表20)。
多極化が進む世界、AI主導の技術革新の加速、人口動態上の圧力の高まりなど、新時代に伴う構造変化を踏まえると、戦略的に重要な分野で日本企業の競争力を強化することが不可欠となる。こうした観点は、ルールや競争優位の源泉が変化する時代において、これまで以上に意味を持つ。
日本は戦略的ポートフォリオに大胆な投資を行う余地がある
各セクターをこれらのアリーナに分類する上で、「唯一の正解」や科学的に確立された方法があるわけではない。以下に示すものは、一つの見方である。アリーナの境界は一定の判断に基づくものであり、その構成や分類も、経済状況や技術、競争環境の変化に伴って変わり得る。本分析では網羅的なリストを示すのではなく、ポートフォリオという枠組みを用いることで、どこに注力すべきかについて明確な選択を促すことを目指している。日本が企業経営の上で、また産業支援の上で、アリーナごとに、主導権を握るのか、競争力を構築するのか、事業の重点を移すのか、あるいは現状を維持するのかという方向性を明確にすることで、企業の生産性向上を後押しすることができる。
以下に、MGIが特定した18のメガ成長領域である「アリーナ」に加え、日本との関連性を踏まえて、造船とバイオ医薬品の2つのアリーナを追加して評価した。
前述の3つの視点に基づき、これらのアリーナを「戦略投資 (Shape)」「構築加速 (Accelerate)」「優位拡張 (Sustain)」「選択参入 (Participate)」の4つのカテゴリーに分類した (図表21)。
これらの分類は、産業の社会的重要性を一列に並べるものでも、すべての企業に同じ投資行動を求めるものでもない。各領域では、代替困難な専門性を深める、他社の能力を組み合わせる、システムの設計・運営を担うなど、異なる成長経路があり得る。また、供給企業としての事業機会と、技術を利用する企業の生産性向上、安定的なアクセスの確保は区別して考える必要がある。
戦略投資 (Shape)
このカテゴリーでは、決定的な規模を確立し、バリューチェーン全体で競争することで、グローバルで主導的なポジションを築くことが重要となる。対象となるのは、半導体、バッテリー、ロボティクス/フィジカルAI、原子力発電であり、日本はいずれの分野においても、現在の商業化と将来の可能性の両面で既に一定の地位を占めている。 一部の産業では、部品レベルの強みを超え、設計、製造、最終用途に至る統合システムを通じて、より大きな価値を獲得することが優先課題となる。そのためには、既存企業、サプライヤー、スタートアップ、研究機関間の連携に加え、人材、資本、インフラ、長期的な研究開発への継続的な投資と、グローバル標準の策定への積極的な参加が必要となる。
例えば半導体産業では、競争の軸が個々の半導体チップの性能から、統合型コンピューティングプラットフォームやシステムレベルのソリューションへと移行しつつある。日本は半導体製造装置や材料では依然として強みを持つ一方、成長の大部分を生み出しているチップ設計や最先端の製造プロセスの分野では競争力を低下させている。今後、日本企業には、こうした高付加価値領域への事業展開を進めるとともに、革新的なアプリケーションやユースケースを通じて新たな需要を喚起し、市場機会を拡大していくことが求められる。
ロボティクスでは、日本は産業用ロボット分野の世界的なリーダーであり、精密製造やメカトロニクス、減速機、モーター、センサーなどの主要部品で高い競争力を維持している55。 しかし、市場は変化しつつあり、AI を活用した汎用ロボットやヒューマノイドロボットの次の波は、米国と中国が主導している。日本は依然としてハードウェアに重点を置いており、ソフトウェアやデータ層との統合も限定的であることから、今後拡大する価値の一部を取り逃すリスクがある。
蓄電池を含む蓄エネルギーシステムは世界のエネルギー転換において中心的な役割を果たしており、EV用バッテリーと定置型蓄電システムはすでに総需要量の85%以上を占めている。 日本は、1991年に旭化成と共同でリチウムイオン電池を世界で初めて商品化したソニーや56、初期段階からリチウムイオン電池の量産を進めたパナソニックなどを擁し、かつてはこの分野のリーダー的存在であった。現在ではコストの課題もあり、世界のリチウムイオン電池生産の70%以上を中国が占めているが、なお成長機会は残されている。日本は上流の材料や電池化学で高い競争力を持ち、全固体電池の特許数でも世界をリードしており、強固な基盤を有している。
原子力発電は、電力需要の急増と脱炭素化のニーズを両立できる発電手段として、世界的に再び強い脚光を浴びている。世界で現在70基以上の原子炉が建設中であり、新設投資額は2030年には年間700~1,500億ドル超に拡大すると予想されている57。 日本は、設計、建設、運転を含む原子力のバリューチェーン全体にわたる能力を有する数少ない国の一つであり、大型原子力用鍛造品などの重要部品でも高い競争力を持つ58。しかし、前述の通り多くの原子炉が再稼働しておらず、新設も進まないなか、原子力技術者や機器面においてサプライチェーンが失われつつあり、日本の国際的な競争力は低下している。こうした待ったなしの状況が打開できれば、日本が持つ貴重な技術・エンジニアリング人材をさらなる成長の原動力として生かすとともに、小型モジュール炉 (SMR)開発などの次世代技術でも競争力を確立するための基盤を築くことができる。
構築加速 (Accelerate)
このカテゴリーは、AI等による競争構造の変化を捉え、日本が基盤構築をすべき領域であり、優先すべきはスピードと集中である。AI、クラウド、サイバーセキュリティ、宇宙などのアリーナが含まれる。これらの分野は競争力にとってますます重要となる一方、日本のプレゼンスは一部の領域で依然として限定的である。日本は、フロンティア技術とシステム統合への投資を加速し、スタートアップやグローバルリーダーとの提携を深化させ、的を絞った政策支援を通じてグローバルなイノベーションへのアクセスを迅速化することで、ケイパビリティと規模を急速に構築することが求められる。
AIソフトウェアおよびサービスに関しては、日本は製造、自動車、インフラ、医療など、自国が強みを持つ産業の業務プロセスにおいて、従来型IT・デジタルの手法でAIツールを応用することに注力してきた59。 しかし、こうした産業面での強みだけでは限界がある。第一に、日本はクラウドインフラやコンピューティングといった中核技術、特に基盤モデルにおいて、海外 (特に米国)のプロバイダーに依存している。第二に、AI関連の専門家が著しく不足している。 日本には、産業面での強みを、応用およびシステムレベルのAI導入におけるリーダーシップへと転換する機会がある。また、クラウドサービスは、80%以上の企業が利用しており60 、企業変革とAI導入の両方を支える中核的なデジタルインフラとなっている。しかし、創出される価値の大部分は、大規模なテクノロジー企業に集中している61。加えてクラウドとAIは融合しつつあり、プラットフォームとインフラを制御するケイパビリティが、価値をどこで獲得できるかを左右するようになっている。日本企業はシステムインテグレーションやマネージドサービスでは競争力を持つものの、その役割は主に下流工程にとどまっている。今後、より自律的に価値を獲得するため、プラットフォームとインフラをいかに制御すべきかを検討する必要に迫られている。
サイバーセキュリティは、経済および国家インフラを支える重要な基盤となりつつある。世界市場は年間約10~15%のペースで成長しており、IT支出の伸びを上回っている62。日本は大きな市場であり、産業・製造分野のセキュリティでは相対的な強みを持つ一方、クラウドセキュリティ、ID管理、ゼロトラストアーキテクチャといった高成長分野では競争力が低く、構造的な制約も抱えている。 レガシーITシステムが広く残っていることが、最新のセキュリティアーキテクチャの導入を遅らせている。また、企業は国内ベンダーへの依存度が高く、ベンダー市場が細分化されているため、規模の拡大や研究開発投資が制約されている。人材不足も深刻で、専門家の不足数は10万人以上にのぼると推定されている63。しかし、サイバーセキュリティ能力の強化と、より能動的な防御への転換を目指す政府の取り組みが、こうした状況を変える機運を生み出しつつある。
宇宙もまた、急速に成長している市場である。日本の宇宙産業は現在、規模が限定的であり、世界の打ち上げ総重量の約2%を占めるに過ぎない64。しかし、高信頼性衛星の製造、地球観測、新たな軌道上サービスにおいて、高いケイパビリティを有している65。他の分野と同様、日本の焦点は商業化よりも技術開発にある。
最後のアリーナは、産業用および一般用 (非医療用)バイオテクノロジーである。これには、代替タンパク質 (培養肉や精密発酵を含む)や農業バイオテクノロジーの進歩 (例えば、CRISPR遺伝子編集を用いた作物の改良)など、生物や生物学的要素を活用した製品やサービスが含まれる。 この市場は急速に成長しており、2022年の約1,400億ドルから、2040年には3,400~9,000億ドルに拡大すると予測されている。日本は、材料科学、精密加工、エンジニアリングに強みがあり、これらの重要性が高まる中、高付加価値分野で有利なポジションにある。 政策面でも取り組みが加速しており、政府は2030年までにバイオエコノミーへの年間投資額を約3兆円 (約200億ドル)とする目標を掲げている66。一方、日本は、事業規模の拡大を制約する構造的な課題も抱えている。依然として輸入原料への依存度が高く、スタートアップから商業化への移行が十分に進んでいないほか、加工を含む下流のエコシステムも未発達である67。 その結果、世界的な競争が激化する中、日本は研究分野では強みを維持しながらも、産業化では後れをとるリスクがある。
優位拡張 (Sustain)
このカテゴリーに含まれるアリーナは、日本が中核的な強みを生かし、隣接する成長機会へと展開できるセクターである。例えば、EV (電気自動車)は、世界的な競争力を持つ日本の自動車産業基盤を生かしつつ、競争条件変化への対応が求められる領域である。これらは、直ちにグローバルなリーダーシップを発揮できる分野ではなく、前述の「戦略投資」や「構築加速」カテゴリーのようにシステムレベルの競争力の基盤となる分野でもないが、世界的にはなお重要である。重要なのは、多くの場合、日本が技術、知的財産、産業能力といった強力な資産を保有しており、それらをより高付加価値のセグメントへと再配置できるという点である。
これらのセクターにおける企業の戦略的課題は、選択的な再配置、すなわち、将来の成長が集中する分野へ資本、ケイパビリティ、注力先を移す一方、競争力の弱い分野からは撤退するか、事業を再構築することである。ビデオゲームやモジュール建築などは、世界的に重要であり、場合によっては既存の強みを持つ分野でもあるが、国益上の重要性という観点では、相対的に優先度が低い可能性がある。 こうした選択的な事業拡大は、資本の再配分、事業再編、必要に応じた統合、的を絞った規制上のインセンティブによって支えることができる。
選択参入 (Participate)
このカテゴリーに含まれるアリーナでは、日本が世界的な主導権を握ることは難しい可能性があるものの、戦略的な観点から継続的に関与することが重要である。これには、確立された大規模市場と、今後の展開が不透明な新興分野の両方が含まれる。すでにグローバルなプラットフォームや規模の経済が確立されているケースもあれば、市場構造が変化する中、主導的なポジションを確立する道筋が不透明なケースもある。
ここで重要なのは、規律あるアプローチである。企業が戦略的な足場を維持したい分野を見極め、過度なリソースを投入することなく、継続的なプレゼンスを確保することである。これには、電子商取引やデジタルサービスといった大規模で確立された分野に加え、シェア型自動運転車や次世代エアモビリティのように、重要かつ不確実性の高い分野も含まれる。目標は、選択的な投資、パートナーシップ、エコシステムへの関与を通じて、将来の選択肢を確保しておくことである。
日本が抱える課題として、優れた技術や知的財産を、グローバル市場での事業成長や価値獲得に十分につなげられていないことが挙げられる。多くのアリーナで、技術やIPを生み出す力は高いものの、それを競争力のあるプラットフォームやビジネスモデルへと発展させ、大規模に商業化する力には課題が残る。こうしたイノベーションを事業価値へと転換する力を高めることが、日本にとって重要な戦略課題となる。
日本は、各分野にわたる強みを統合的に組み合わせることで最大の成果を引き出せる
MGIは、今回はアリーナ間のより大きなつながりを捉えるという別の観点から、前述の18のアリーナをAI基盤、デジタル化、電化、ハードテック、新バイオフロンティアという5つのテーマに分類した。ただし、こうした分類はあくまで単純化したものである。実際にはその境界は曖昧であり、例えばクラウドは純粋にAI基盤ではなく、デジタル化は物理システムへの需要をますますけん引しており、半導体はほぼすべての領域を支えている。
より重要なのは、これらのアリーナ間で相互依存が高まり、多層的な構造を形成していることである。これらは個別に切り離された分類ではなく、密接に連携したシステムである。AI、クラウド、サイバーセキュリティは、先端半導体と大規模なエネルギー供給に依存している。ロボティクスは、フィジカルAIとして、チップ、AI、安全な接続性が交わる領域に位置している。 EVやより広範な産業変革を通じた電化は、バッテリーと安定したベースロード電力に依存しており、原子力発電の重要性を高めている。ある分野での進展は、他の分野に依存すると同時に、その発展を後押しする。したがって、競争力を左右するのは、個々のセクターの強さではなく、相互につながったバリューチェーン全体を構築し、統合的に動かす能力である (図表22)。
第1章で論じたように、日本はこれまでの「市場の時代」に、自らの地位を強化するいくつかの機会を逃したものの、今なお重要な強みを有している。特に模倣が困難な高精度分野を中心に、グローバルのサプライチェーンで重要なポジションを占めている。品質へのこだわり、卓越したエンジニアリング、そして強固な製造基盤が、日本独自の競争優位となっている。
- ロボティクス: 日本はギアボックスおよび精密減速機において世界シェアの60~80%を占め、世界トップ5社のすべてが日本企業である。この地位は、一朝一夕には再現できない、数十年にわたって蓄積された暗黙知と職人技に基づく卓越した製造技術によって築かれてきた。
- 半導体: 日本は、ロボット工学、AI、デジタル産業の全分野を支える半導体の製造装置では約30%、シリコンウェーハなどの材料では50%以上の世界シェアを占めている。これらの分野の成長が加速すればするほど、日本の存在は不可欠なものとなる。
- 原子力発電: 日本は世界でも数少ないサプライチェーンを一気通貫で供給可能な基盤を有する国である(中でも大型鍛造部品などでは世界市場の80%を占めた)。これにより世界で電力需要が急増し原子力発電が注目されるなかで、次世代型の開発・設計・保守運用の領域において構造的な優位性を有している。
- 非医療バイオテクノロジー: 日本は、バイオテクノロジーの物理的基盤となる材料科学、精密加工、エンジニアリングといった高付加価値分野で有利なポジションを築いており、これにより様々な領域での進展を支えている。
- 動画配信とビデオゲーム: 日本のゲームやアニメの知的財産は、エンターテインメントの枠をはるかに超えたグローバル産業へと成長し、他のビジネス分野において日本の影響力を増幅させる「ソフトパワー」となっている。デジタル世界と現実世界の融合が進むにつれ、その価値はさらに高まっている。
これらは確かな強みであるが、必ずしも幅広い領域に及んでいるわけではない。例えば、日本の競争力は部品や材料の層に集中しており、そこからシステムレベルの統合へと移行すること――これらのアリーナにおける収益やプラットフォームの主導権の大部分が最終的に集まる領域――は、まだ十分には実現できていない。 ここでの機会は、こうした上流の能力をより高付加価値の領域へと拡張することにある。すなわち、半導体では材料分野でのリーダーシップを基盤に、先進パッケージングやAIチップのサプライチェーンにおける存在感を高めること、ロボット製造のノウハウを生かしてソフトウェア定義型の自動化やヒューマノイドシステムへと展開すること、そしてバッテリー材料の専門知識を、エンドツーエンドの全固体電池プラットフォームへと発展させることである。日本がこうした領域への展開を実行できるかどうかが、今後の重要な焦点となる。
主要なアリーナで優位性を築くことができれば、日本は成長軌道を大きく変えられる可能性がある
日本には、競争力の向上にとどまらず、未来志向の領域への重点的な投資を通じて長期的な成長軌道を変え、停滞から活力ある成長へと転換する機会がある。MGIの調査によると、18のアリーナは将来的には世界の2022~2040年のGDP増加分の最大3分の1を占める可能性がある。その成長の中で日本が十分な価値を獲得できれば、生産性の成長軌道をより高い水準へと引き上げることが可能となる。
その重要性は、市場規模だけにとどまらない。これらのアリーナは、生産性の向上、質の高い投資、新たな輸出の原動力、さらにはサービス業、製造業、地域経済への波及効果など、複合的な効果をもたらす。
本レポートのシナリオは、こうした機会の規模を示している。もし日本が戦略投資(Shape)に分類される各領域において、高成長シナリオを2パーセントポイント上回るペースで成長した場合、2024年比で2040年までに約5,000億ドルの追加収益を生み出す可能性がある。同様に構築加速(Accelerate)領域が高成長シナリオを1パーセントポイント上回るペースで成長し、優位拡張(Sustain)領域が高成長シナリオ並み、選択参入(Participate)領域が中位成長シナリオ並みに成長した場合、それぞれ約4,000億ドル、5,300億ドル、2,200億ドルの追加収益を生み出す可能性がある
これらを合計すると、日本にとって約1.7兆ドルの追加収益を生み出す可能性がある (図表23)。
この分析・試算は、対象領域における日本企業の年間売上高の拡大余地を示すものであり、累計利益や日本のGDPの増加額を示すものではない。また、世界での売上拡大が国内の付加価値や所得へ与える影響は、研究開発、本社機能、雇用、取引先などとのつながりによって異なる。企業の成長機会を捉えることに加え、その成果が国内経済へどう波及するかを検討することも重要である。
しかしながら、こうした機会は、日本経済に実質的な影響を与えるのに十分な規模である。この戦略的ポートフォリオをいかに効果的に実行できるかが、日本の長期的な成長軌道を左右する重要な要因となる。
同時に、そのハードルは高い。他の経済分野での成長鈍化を考慮すれば、これらのアリーナにおける日本の存在感を単に拡大させるだけでは不十分であり、日本企業には他国を上回る成果が求められる。そのためには、これまで論じてきた人材、企業、産業レベルでの取り組みに加え、次章で扱う構造的な変化も必要となる。
5. 新時代に向けた構造的なシフト
日本の競争力と影響力がさらに低下することは、決して避けられない運命ではない。日本はこれまでも、大きな環境変化に直面するたびに、自らの強みを生かしながら経済や産業のあり方を進化させてきた。
今回求められているのも、日本の強みを否定し、ゼロから作り直すことではない。むしろ、これまで蓄積してきた技術、人材、産業基盤、社会的信頼を、新たな競争環境のもとで成長へと転換する仕組みを再構築することである。
本レポートを通じて浮かび上がったのは、日本の課題が、強みの欠如というよりも、強みを成長へ転換し、その成果を経済全体へ広げるダイナミズムの不足にあるということである。世界有数の企業や技術を持ちながら、その成果が経済全体の生産性向上へ十分に波及していない。高い技術力や知的財産を持ちながら、それを世界でスケールする事業やプラットフォームへ十分に転換できていない。そして、資本、人材、技術が、既存の領域から次の成長機会へ十分なスピードで移動していない。
世界の競争のルールが大きく変わる今、漸進的な改善だけでは十分ではない。重要なのは、日本がこれまで培ってきた強みのうち、守り、磨き続けるべきものと、前提そのものを変えるべきものを見極めることである。
本レポートから見えてきたこと
かつて世界をリードした日本経済は、地政学的不確実性、AIによる変革、人口減少、資源・エネルギーをめぐる競争、そして資本コストの上昇という5つの構造変化に直面している。安定性や継続的な改善はこれまで日本の強みであった一方、資本や人材、事業を既存の領域に固定化する側面も持っていた。他国が新たな産業やビジネスモデルを急速に拡大するなか、現状維持はもはや中立的な選択とはいえない。
第二章では、人口減少下で成長を実現するためには、総人口一人当たりGDPと労働生産性を高めることが不可欠であることを見た。日本の労働時間当たり生産性の伸び率は長期的には他の主要先進国と大きく異ならない一方、産業ごとの生産性水準には大きな格差があり、人材がより高い付加価値を生み出す企業や分野へ移動する力も十分とはいえない。したがって課題は、個々の現場における効率化だけでなく、人材や資本をより生産性の高い活動へ動かす経済全体のダイナミズムにある。
第三章では、そのダイナミズムを企業の視点から分析した。日本にも生産性成長を大きくけん引する企業は存在する。しかし、そのプラスの寄与がマイナスの寄与を示す多数の企業によって相殺され、企業間の労働力再配分による生産性の押し上げ効果も限定的である。また、フォーチュン・グローバル500に入る日本企業は大きく減少し、新たな産業から世界規模の企業が継続的に生まれる新陳代謝も十分には機能していない。
ここから得られる示唆は、国全体の成長を実現するには、平均的な企業を少しずつ改善するだけでは十分ではないということである。成長企業を増やし、資本と人材を成長する企業や事業へ移し、それらを世界規模へ拡大できる環境をつくる必要がある。
そのために、日本企業の成長モデルには5つのシフトが求められる。
第一に、国内の業界再編やエコシステムの再構築を通じて、グローバルな価値創造システムの中で代替困難なポジションを確立する。単に規模を追うのではなく、日本が持つ技術や顧客基盤を束ね、競争力とレジリエンスを同時に高めていく。
第二に、優れた製品や技術を世界に販売する企業から、世界の人材・技術・資本を取り込み、顧客や社会の課題を解決するグローバル企業へと進化する。ハードウェア、ソフトウェア、データ、サービスを統合し、世界の経営資源を価値創造へ結び付けることが求められる。
第三に、AIやフィジカルAIを、一部の大企業だけではなく、中小企業やサービス産業を含む経済全体へ広げていく。人手不足への対応と生産性向上を同時に実現するとともに、日本のものづくりや現場の強みを新たな競争優位へ転換していく。
第四に、人口減少、高齢化、人手不足といった日本が世界に先駆けて直面する社会課題を、新たな成長産業を生み出す機会へ変える。スタートアップだけでなく、大企業、投資家、大学、人材が連携し、課題解決型の新事業を継続的に生み出し、世界へ展開するエコシステムを構築する。
第五に、こうした変革を支える経営判断と資本配分の仕組みを変える。過去の延長線上にある事業や企業については果断な再編や退出を進める一方、将来の競争力を支える領域には長期的に投資する。求められるのは、新陳代謝か長期的価値創造かという二者択一ではなく、その両立である。
第四章では、こうしたシフトをどの領域で実行するかを検討した。半導体、ロボティクス/フィジカルAI、蓄エネルギーシステム、原子力のように、日本の強みを生かし世界市場で主導的なポジションを目指す領域がある一方、AI、クラウド、サイバーセキュリティ、宇宙など、競争構造の変化を捉え、能力構築を急ぐべき領域もある。
これらの成長領域は独立して存在するわけではない。AIは半導体、クラウド、エネルギーに支えられ、ロボティクスはAI、半導体、センサー、ソフトウェアを結び付ける。日本の機会は、個別の技術や企業の強さだけではなく、複数の強みをつなぎ、システムとして価値を生み出せるかどうかにある。本レポートの分析が示すように、こうした成長領域で十分な価値を獲得できれば、その経済的なインパクトは大きい。
言い換えれば、日本企業が向き合うべき二つの大きな経営課題は、「どこで戦うか」と「どう勝つか」である。
「どこで戦うか」については、世界市場の成長性、日本の競争力、日本にとっての戦略的重要性を踏まえ、限られた資本、人材、経営資源をどの領域へ重点的に配分するかを選ばなければならない。
「どう勝つか」については、代替困難なポジションの確立、世界の経営資源を取り込むグローバルモデル、AI・フィジカルAIの経済全体への普及、課題解決型の新事業創出、そして新陳代謝と長期投資を両立するガバナンスが重要となる。
魅力的な市場を選ぶだけでも、既存事業を効率化するだけでも十分ではない。成長する領域へ資源を動かし、そこで日本の強みを組み合わせ、世界規模で価値を獲得する企業を増やしていくことが求められる。
新時代に向けてリーダーが向き合うべき問い
日本は岐路に立っている。外部からのショックやシステム的な破綻が変化を強いるのを待つのか。それとも、明確な野心と方向性を持ち、自ら変化を起こすのか。その選択を考える上で、企業や社会のリーダーは、少なくとも以下の問いに向き合う必要があるのではないか。
1. 我々のビジョンや目標は十分に挑戦的なものか
現状の延長線上の改善ではなく、競争上のポジションや事業規模を大きく変える成果を、明確な期限を持って目指しているか。
2. 資本、人材、経営時間を、本当に将来の成長機会へ移しているか。
新しい投資を増やすだけでなく、何を縮小し、何をやめ、どこへ再配分するのかを明確にしているか。
3. 真にグローバルな企業として経営できているか。
海外で製品を売ることにとどまらず、世界の人材、技術、データ、資本を取り込み、意思決定やオペレーションをグローバルに統合できているか。経営陣や次世代のリーダーは、主要市場で十分な実務経験を持っているか。
4. 自社単独ではなく、エコシステムとして勝つ設計ができているか。
自社で持つべき能力、他社から取り込むべき能力、パートナーと共に構築すべき能力を明確にし、世界の企業やスタートアップと積極的に連携しているか。
5. 企業と国は、成長に徹底的にこだわり、連携と協働をどのように強化できるか
人材、資本、規制、インフラ、技術、標準といった要素を個別に考えるのではなく、より多くの企業を成長させ、新たな産業を生み出すという共通の成果に向け、過去および現在の取り組みも踏まえて、企業と政府が更に連携と協働を加速するにはどのようなやり方があるか。
日本に必要なのは、これまで築いてきた強みを捨て、別の国になることではない。技術、人材、産業基盤、社会的信頼という蓄積を、新しい競争のルールの下で組み替え、成長へと転換していくことである。
そのためには、守るべき強みと、変えるべき前提を区別する必要がある。個々の現場で磨き続けるべきものがある一方、資本や人材が動く仕組み、企業や産業の境界、グローバルな経営モデル、成長領域への資源配分については、これまでの延長線を超えた選択が求められる。
世界の競争ルールが変わりつつある今、問われているのは、日本が変化に適応できるかだけではない。日本が持つ強みを結び付け、自ら次の成長機会を形づくることができるかである。
企業、政府、そして社会のリーダーが、何を守り、何を変え、どこに資源を投じるのかを明確にし、それぞれの立場から行動を始めること。その積み重ねが、日本の躍動と成長に向けた競争力の再構築につながっていくと信じてやまない。マッキンゼーも、そうした今後のシフトやその加速について、最大限に貢献すべく、活動を進めていきたい。