似鳥昭雄会長が語る 『ロマンを実現する経営哲学』

本インタビューは、日本で最も価値を創造するリーダーたちを特集する「卓越したCEOの軌跡」シリーズの一環です。このシリーズでは、大胆な目標を掲げ、それを実現するためのリーダーシップの在り方を探ります。

1967年の創業以来、ニトリは「暮らしの豊かさを世界の人々に提供する。」という理念のもと、日本全国に店舗網を広げ、さらに海外展開を加速させてきました。家具・インテリア業界において「製造物流IT小売業」という独自のビジネスモデルを確立し、商品開発から物流、販売に至るまで一気通貫の仕組みを構築することで、アジアを代表する企業へと成長しています。創業者である似鳥昭雄氏は、前半30年と後半30年に分かれた長期ビジョン「60年計画」のもと、半世紀以上にわたり挑戦を続けてきました。世界に誇るトップリーダーの一人として、両輪となるロマンと現実のマネジメントをどう両立してきたのか──リーダーシップの秘訣をマッキンゼーでCEO研究グループ日本統括の北條元宏が聞きました。

「理想は現実を動かす」──ロマンが導く経営の原点

北條: 似鳥会長のご著書や記事等を拝読しますと、企業にとっての「常」(変えないもの)と「変」(変えるもの)のなかで、「常」として「ロマン」を中心に据えて経営の舵を取ってこられたと感じます。創業時は欧米で見た暮らしの豊かさを日本へ、現在は視野を世界に広げておられます。ロマンは、その時々の経営判断や行動にどのような影響を与えてきたのでしょうか。

似鳥: 私が初めてアメリカ合衆国に行ったとき、アメリカの暮らしの豊かさに本当に驚きました。バス1台でアメリカを回る家具業界の勉強会があり、全国から50人くらいの業界関係者が集まりました。私はその中では最年少。当時は事業がうまくいっておらず、倒産の危機に直面しており、借金もして藁にもすがる思いでの参加でした。

そこで、アメリカの暮らしの豊かさに衝撃を受けました。家具もダイニングセットやソファ、ベッドが部屋全体に調和するようにコーディネートされていました。日本の多くの人は、このままでは、豊かさを知らないまま一生を終えてしまう。私は、多くの日本人にも、生きているうちに豊かな暮らしを味わってほしいと強く思うようになりました。

「なぜアメリカはこんなに豊かなのか?」と考えたとき、チェーンストアの存在に気付きました。アメリカでは1つの会社が何百、何千、何万店舗と展開しているんです。チェーンストアの仕組みを使えば、仕入れ値を下げたり、販売価格を安くしたりできることが分かり、「それなら自分もまず100店舗を目指そう」と決めました。アメリカに行ったことで「ロマン」に出会えたんです。ピンチをチャンスに変える発想が大事だと、今でも思っています。

北條: 今、日本はモノという面ではかなり豊かになりました。その中でも、日本でまだロマン・志によって成長する余地はどこにあるとお考えですか。

似鳥:私が自身の仕事人生を振り返ったとき、「革命」「改革」「改善」という3つのステージがありました。本当に世の中を変える「革命」を起こすために、40代で「改革」を積み重ねてきました。これまでのやり方を否定して、新しい道を切り開いていくことです。そして40代で「改革」をするには、30代で「改善」を重ねる必要があります。この逆算の流れは、やっぱり「ロマン」に突き動かされて始まるものだと思います。

今では価格でも品質でもアメリカの水準に追いつき、追い越した部分も多いと思っています。一方で、さらなる成長余地もあります。暮らしのコーディネート提案が足りていないなど、今後は提案の深さが重要と考えております。

それから、成長について言えば、日本だけでなく海外に進出することが重要です。特にアジアです。「アジアを制する者が世界を制する」と考えています。アジアの店舗数は、現在日本を中心に1,000店舗くらいですが、人口規模と今後の成長を考えれば最終的には5,000店舗にはなると思っています。そのためにも、まず今後10年はアジアで実力をつけていきたいです。

「アジアを制する者が世界を制す」── 海外展開を支えるロマンと短期成果のバランス

北條:投資家の視点として、「アジアの人々の暮らしを豊かにする」というロマンを追求される一方で、一言でアジアと言っても市場ニーズは国ごとにバラバラで、国単位での規模拡大も難しく、サプライチェーンを含めたSPAモデルの確立の難度も高まるため、多くの日本企業が事業としては苦戦しています。「ロマン」と「資本市場」、つまり「長期の理想」と「短期的な成果」のバランスは、ご自身でどうバランスを取られていますか。

似鳥: お客様の暮らしをどう豊かにできるか——そこがすべての出発点です。 短期的な数字を追うのではなく、長期的にお客様の暮らしを豊かにすることを目的に考えなければなりません。お客様の利益を先に考えれば、結果として売上げや利益はいイヤでも後から必ずついてくる。結果が出なかったとしたら、それはお客様の満足を生み出せなかったということです。

海外においては、国・地域によって売れるものが違ってくるので、事業のアプローチも変える必要があります。国・地域ごとに対応するのは本当に大変です。形を作るにはやっぱり時間と規模が必要なんですよね。

北條:会長の中には明確なビジョンがあり、「絶対にあきらめない」という志があると思います。一方、中国の店舗を一部閉鎖されたということですが、こういった状況下において、 『戦い方』をどうご判断されているのでしょうか。

似鳥:多くの企業が中国大陸から撤退しています。私たちも困難に直面するなかで、不況に合わせた戦略を立てて再建を目指すことにしました。店舗のサイズや立地を見直して、今はようやく底を打ったと思います。去年・今年の不況に合わせて整理を進め、来年からは攻めに転じられる。短期的な数字だけを見れば、撤退の方が合理的かもしれません。しかし、長期的にはこの地域こそ成長の舞台だと考えています。

北條: 確かに私たちマッキンゼーも日々多くの経営者とお話をする中では、論理的に導出すると中国市場からの撤退を勧めるケースもあります。もし、市場構築およびサプライチェーン構築を、中国、東南アジア、インドで考えるなら、それぞれに「第2の創業」レベルの覚悟が必要となると思いますが、どうそれを再現されようと思っておられますか。

似鳥:私は去年、10年ぶりにニトリの社長に復帰しました。中国大陸やアジアの事業体制は全部直轄に戻しています。また、一番大事なのは商品だと思っているので、今年から商品部も私の管理下に置きました。もう一度原点に戻って、各国・地域の産地を実際に見て回り、「現場・現物・現実」を確かめることにしたのです。来年からは商品開発のスピードを加速させ、現在14%の新規開発商品比率を1年で40%にしたいと考えています。高い目標を掲げ、全社的に活動を始めています。

「10年先の目標を掲げて、それを言行一致させるのが社長」──次世代へのバトン

北條: お話をお伺いしていると、新たに創業されるような強いご意志を感じます。

似鳥: まさに「第二の創業」だと思っています。

北條: 国に合ったサプライチェーンを組むべく、再び自ら指揮を執られている。こうした『創業者の再登板』のようなことは、一般的には難しいものですが、その背景には理念の引き継ぎや信条の継承、チャレンジ精神の引継ぎ、機能の引継ぎの課題がおありになるからでは、と思います。創業者としてご自身が一番難しいと感じておられる部分はどこですか。

似鳥: ロマンとビジョンの部分です。私は、「ロマン」「ビジョン」「意欲」「執念」「好奇心」があれば、だれでも成功できるという内容の本 1を出しました。ビジョンは20年以上先を見据えるものです。それを5年ごと、3年ごと、1年、半年、月、週と逆算してワークデザインをしてきた。でも最近は「ロマンとビジョンを徹底して追いかける姿勢」が少し弱まっていたように感じています。やはり未来から逆算し行動することが重要です。今はお客さんが求める商品を安く、コーディネートして届けることをに集中する必要があると思っています。

北條:経営には「右脳」と「左脳」が非常に大事になると思いますが、卓越した経営者はそのバランスが基本的に優れている。管理が得意な人と、ビジョン・夢を語る人、両方がある経営者、両方を一人でやってる経営者は多くはないという感覚があります。特に、会長のように夢とかビジョン、原体験を伝えていくというのは難しいと思いますが、その部分はどうお考えですか。

似鳥: ものすごく難しいですね。過去の例を見ても、創業者のあとに同じようにビジョンを語れる人はそう多くない。社長を一度退いても、再び戻って現場に立つ方もいます。90歳になっても現役で続けている経営者もいる。それだけ「先を読み、夢を描き続ける人」というのはそうはいません。結局、社長というのは『常に10年先を夢見て、それを現実と一致させる』ことだと思っています。そういう人って本当に少ないです。

北條:管理型の社長として株式市場への説明責任を果たすことに時間とエネルギーを要している経営者が多く、将来のビジョンやアスピレーションを語る社長は少なくなっている印象は同感です。

似鳥:多くの会社が、次の年の計画を立てるくらいの短期的な目標設定にとどまっていることが多いのではないでしょうか。それでは夢は実現しない。そうではなくて、「10年で売上げを2倍、3倍にする」といった長期的なビジョンが必要だと思います。ただ積み上げ型で改善を続けても、10年や20年経っても売上げが2倍になることはありません。

私は、経営者には、営業経験が豊富にあり、特に商品に強くならなければいけないと考えています。会社を動かすのは、やはり商品であると考えています。商品を企画開発する現場でも、常にそのことを実感してきました。台湾での仕入れの黎明期には、電話帳を片手に業者を探して、一週間で70社を回りました。実際に成果が出るのは10社のうち1社あるかどうか。それでも諦めずに積み重ねてきたから、今までなかった商品を安く、お客様に届けることができたと思っています。

ほとんどの企業は途中で止めてしまいます。中でも商品に対するクレームが多くて続けられない。日本の品質基準は非常に高いから、少しのズレでも通らない。でも私は「そこに学びがある」と思っていました。失敗を何度も重ねながら改良を続けてきました。結果として、『世界のどこにもない品質で、手の届く価格』を実現できたと思っています。

北條: 夢を語るだけでなく、現場で実現し続けること。それが会長にとっての『右脳と左脳のバランス』だということですね。

「倒産寸前から生まれたイノベーション」── 『運を創る経営』

北條: 創業当時、倒産寸前だったとお話しされていました。商品や経営のレベルで非常に厳しい状況もあったと思います。多くの人がそこで挫折する中、会長ご自身は「もうダメだ」と思われたことはなかったのでしょうか。

似鳥: 本当にギリギリでした。月40万円の売上げでは生活が成り立たない。80万円は必要だったけれど届かない。従業員雇えず、「結婚でもして働き手を増やした方がいいかな」と思っていました。そんな中で今の妻と出会ったんです。私は接客は苦手でしたが、家内がどんなお客様にも笑顔で対応して、少しずつ売上げが伸びていきました。それでも生活は苦しくて、夜遅くまで働いても利益はわずかでした。

そこから成長していくためには、やっぱり「安さ」と「品質」の両立が一番大事だと思いました。それを実現するには、問屋を通さずに家具メーカーと直接取引するしかないと考えたんです。

メーカー側も特に4月から11月までは繁忙期で忙しく、動けるのは主に冬でした。津軽海峡を越えて、どんどん遠くまで足を伸ばし、新潟や前橋の木工センターまで行ったりしてね。ところが、ここで問屋から圧力がかかったんです。「ニトリに商品を出すなら、うちはもう買わないぞ」と、メーカーに対して東北から九州まで包囲網を敷かれてしまいました。その時はさすがに「もう辞めたいな」と思うこともありましたね。

北條: それでも、その安さを定価に反映させるというのは「絶対にやるぞ」という強い意志があったんですね。

似鳥:そうです。当時、アメリカの豊かな暮らしを実際に目の当たりにして、「やっぱり人々の暮らしを豊かにするには、安さが一番大事だ」と確信しました。それに、プラザ合意で円の価値が倍になったことで、海外から商品を仕入れるチャンスが来たんです。海外に目を向けたら、国内での妨害はなくなりました。

北條: 今の言葉で言えば、それはまさに「イノベーション」を起こされたということかと思いますが、似鳥さんのやり方を真似しようとした人もいたと思いますが、なかなかうまくいかないのはなぜでしょうか。

似鳥: そんなに簡単には続かないからです。店舗数の拡大に関しても、国内ではあまり追随する動きは見られませんでした。国内では、共同で仕入れをやっていた会社もありましたが、海外からの仕入れとなると、どの会社も手を出さず、結局うち一社でやることになりました。

日本に合ったサイズや品質を実現しようと思うと、どうしても大量に仕入れる必要が出てくるのです。ただ、安いだけではダメで、品質が良くないといけない。そのバランスを取るのが難しいのです。

「理念を共有できる仲間が企業を育てる」── 共感と学びが組織の礎となった原点

北條: チェーンストア経営というのは、店を一定の基準で標準化していくことが前提になります。一人の力では限界がある中で、これまでの成功を振り返ると、理念を理解し、同じ方向に動いてくれた社員の存在が大きかったのではないでしょうか。そうした仲間に支えられたという実感はありますか。

似鳥: 新卒を採りはじめたのは社員が60人くらいの時です。ニトリの成長を支えてきたのは36人が入社した4期生でした。採用しすぎて、全社員の3分の1以上の規模になりました。多くが辞めていったけれど、残った人が優秀だった。考え方を共有できた人たちが残ったんです。そのメンバーが、今のニトリの柱であり、基礎を作ってきてくれました。

その頃から「チェーンストアを本気で勉強しよう」と決めました。何もできていませんでしたが、理想を掲げて勉強しました。毎月東京に出て、渥美俊一 2先生の勉強会に通っていました。あの先生は本当に厳しい人で、遅れるなんて絶対に言えないし、ちょっとでも間違ったことを言うと「出ていけ!」と怒鳴られる。もう震えながら聞いてました。

でも話がとにかくものすごく面白い。笑いながらメモを取って、感動して、吸収して。私はとにかくメモを取りまくりました。「メモは忘れるためにある」と自分に言い聞かせて、何でも書きました。

「製造まで自分でやるしかない」──理論からの守破離で切り拓いた勝ち筋

北條: 私たちも小売業の変革を一つの研究テーマとしておりますが、時代とともに小売りの形も大きく変わりました。かつては「製造までやるのは小売りの領分ではない」と言われていたものの、今やSPA(製造小売)モデルでなければグローバルで生き残れない時代です。その意味では、会長は早い段階で『分業時代の小売り』から脱却し、コスト・品質に責任を持つ製造に踏み出された。ある意味、チェーンストア理論に逆らうような決断だったと思います。当時、いわゆる教科書的なアプローチから外れた取り組みを進める中で、成功への確信はどの程度お持ちだったのでしょうか。

似鳥: 当時、渥美先生には「小売業は小売りに専念すべきだ」とよく言われていました。製造、卸売、小売りの各分野が日々進化していく中で、すべての領域に精通した人材を確保するのは難しく、全てを手掛けると小売業としての発展が遅れる、という考え方です。それも一理あると思いましたが、実際にはダイニングセットやテレビ台、食器、家具など、デザインや色、素材がメーカーごとに全く異なり、それを統一するのは簡単ではありませんでした。さらに、工場の技術力によって仕上がりのレベルも違う。「これはもう自分たちでやるしかない」と決断し、工場を買い取ったのがニトリにおける製造の始まりです。

最初は旭川工場で事業を始めましたが製造コストが高く、品質管理にも課題がありました。そこで、「自社で工場を持ち、一貫して製造するしかない」と確信しました。そこからニトリの本格的な製造がスタートします。具体的には、1994年にインドネシア工場でベッドの生産を開始し、2013年にはベトナム・ハノイのニトリファニチャー工場でソファやマットレスの生産を始めました。

北條: 現地の方にニトリのロマンやビジョンをどのくらいまで理解してもらう必要があるとお考えですか。

似鳥: インドネシア、アジアの人の暮らしを豊かにするんだっていうことは、ロマンとしてね、工場でもやりましたね。ビジョンも30年単位の長期ビジョンをもとに逆算し、毎年発表するという日本型の教育を現地でも実施しました。

「夢見る人を育てる」──人生をかけて働ける組織へ

北條: 10年先を見据えて動こうとすると、人材の発掘や育成は本当に難しい課題ではないでしょうか。開発・製造まで取り込み重い固定費を抱えると、時代の変化に合わせて、常にサプライチェーン全体をアップデートし続ける必要が付きまとい経営難度が上がる。だからこそ、変化対応のために「小売りは小売りに専念するべきだ」という理論があったんだと思いますが、現在世界で勝っている小売り企業は、そういったSPAモデルが実現できているところだけと言っても過言ではない状況です。その長いバリューチェーンを進化させ続ける必要があり続ける中、人材の採用や発掘が本当に重要なポイントになってくると思います。ニトリとして、長期的なビジョンを実現するために、どんな人材が必要だと考えていますか。

似鳥: なぜニトリの採用が日本一と言われるのかというと、「世のために働いてほしいけど、会社のためとか社長のため、親のためじゃなくて、自分自身の人生のために頑張ってほしい」という考え方があるからだと思います。これが最も大事です。

待遇面でも恵まれていますし、日本トップクラスの技術を身につけられる環境が整っています。ニトリでキャリアを積めば子会社の社長になる道も開けています。実際、今は50歳前後で子会社の社長を務めている人が10人ほどいます。そのような選択肢も含め、ニトリでは年に2回、自分が何をやりたいのかを書かせる仕組みを取り入れています。どの分野でどんな技術を身につけて、どのようなキャリアを築くかという道筋を具体的に描くのです。また、3年ごとに配置転換を行い、最長でも本部勤務は6年までとし、現場経験を重視しています。多様な経験を通じて、本人が自分に向いている分野を見つけられるようサポートしています。そして20年後には数値責任を負えるスペシャリストを目指す仕組みです。

北條: 数字に対する責任は小売業だとやはり計画目標を達成することが大事だと思いますが、コロナのような外部要因でどうにもならないこともありますよね。そういう中で、どれくらい数字にこだわっているのでしょうか。

似鳥:「仕方がない」なんて考え方は、そもそも存在しないです。暑いとか、台風が来たとか、そういう外部要因を理由にしても意味がない。結局、原点は商品です。お客様が求める商品を作れるかどうかが全て。だから、観察・分析・判断を繰り返すことが大事。「なぜ売れないのか」という原因を突き止めて、そこから対策を考える。対策には、すぐに対応する応急処置と、根本的に変える改革案の2つが必要です。これを徹底することが、失敗したときの絶対条件です。問題を発見し、現場の数字を変える人材を育てるために、教育にもっと力を入れなきゃいけないと思っています。そしてさらに、組織のものの見方や考え方を根本的に変える「第二の創業」が必要です。この変革を実現して、次の世代にバトンタッチするのが私の役目だと思っています。

北條:ロマンとビジョンを理解し、3現主義で顧客ニーズに繋がる技術獲得を追及していけば、結果として数字はついてくるものだと思いますが、愛社精神について語られることはありますか。

似鳥:愛社精神って「持て」って言われて持つものじゃないんですよね。やっぱり、自分の仕事とか会社に誇りを持てるようになれば、自然とそういう気持ちが出てくるものだと思います。だから、社員に「愛社精神を持て」なんて一切言ったことはないんです。むしろ、自分が成長して、世の中の役に立てたのはニトリのおかげだなって、結果的にそう感じてもらえたらいいなと思っています。

北條:ステークホルダーは全部繋がっているので優劣はないと思うのですが、何か順番のようななものはお持ちですか。

似鳥:やっぱり一番はお客さんということです。寝ても覚めてもお客さん。それにはね、ロマンとビジョンがないとね、お客さんが求めているものが浮かんでこないんですよね。自分のロマンとビジョンが足りないと改革は出てきません。

北條: これからもっと豊かになりたいと思っている若い人たちが多い新興国では、自然と人材も豊富だと思いますが、アジアの人材と日本の人材をどう活用していくかについては、どのようにお考えですか。

似鳥: 20年前から似鳥財団を通じて、国内の学生だけじゃなく海外の人たちにも奨学金を提供してきました。特にアジアの人たちにはすごくお世話になったし、ここまで来られたのもアジアのおかげだと思って、何か恩返しがしたいという気持ちで始めたんです。最初は日本に来ている留学生に奨学金を支援していました。その後、少し余裕が出てきたので日本の大学生にも支援を広げて、さらに今では中学生や高校生の母子・父子家庭にも支援をしています。

海外の拠点は現地の人たちに運営してもらいたいと思っていて、そのために必要な技術を身につけてもらえるよう教育を行っています。実際、台湾ではマネージャークラスを中心に現地の人材の割合が増えてきていて、これを他の海外拠点にも広げていきたいと考えています。

北條: 理想的な組織とは、現場の人たちが自分たちでお客さんのことを考えて、日々の問題・課題を必死に解決してくれるようなところだと思います。ただ、現実的には会社が大きくなればなるほど、組織やコストが肥大化したり、あちこちで顧客価値に紐つかない無駄遣いが出たり、コンプライアンス上の問題が起きたりすることもあるかと思います。だからこそ、常に課題に向き合って解決し続ける組織文化が必要なのだと思いますが、それをどう維持・進化されておられますか。

似鳥: 毎年、同じものでも現状を否定して、どんどん変えていくことが大事です。既存の商品を改良するのは当たり前のことなので、ニトリでは「この世に全くないモノだけを新製品とする」と決めています。常にお客さんの不満や不便なところを探していると、次々に新しいアイデアが出てきます。若い人向けの商品なら、若い人に直接聞いたりして、どんどん意見を取り入れています。

北條: 大学生に人気のある企業ランキングで1位になると、みなさんは大企業に就職するという意識になるかと思います。その中で、会社の若い世代に「創業者精神を持て」と言ってもなかなか難しい部分があると思いますが、創業の精神を浸透させるうえで意識していることはありますか。

似鳥: ニトリは大企業と言われますが、中身は中小企業みたいなものなんです。だから、いつまでも小さなことをコツコツ探して、改善していくことが大事です。20代のうちは体で覚える時期だと思っています。そして30代になったら頭を使って、改善を繰り返していく。うちでは全社員が毎週、問題点をレポートにまとめて報告する仕組みがあります。

ニトリの基本は「現状否定」です。何かを作った瞬間から「もっと良いものはないか」と考える。それを訓練として、毎週の発表や毎月、四半期ごとの大会など、いろんな場を設けて実践しています。私自身も毎月30分から1時間くらい時間を取って、自分の考え方や物の見方を社員に伝えるようにしています。こういうことは言い続けないと忘れられてしまいます。

「お客さん第一」「お客さんの立場で考えろ」といつも言っていますが、気づくと自分の立場で物事を考えてしまう人が多い。例えば、テレビCMや商品をお客さんの目線で見てみると、次々に問題が見えてくる。ただ実際にやっている人たちはその問題に気づかないことが多いんです。これが今、私が一番悩んでいる課題です。

「アイデアってどこで出るんですか?」とよく聞かれるんですが、私は仕事中じゃなくて、仕事以外の時間、例えば家に帰ってからとか、出勤前とか、休みの日とか、寝る前に考えるんです。そして、それを実行に移すのは会社の中でやる。会社にいる間は忙しくて考える時間が取れないから、自分の時間で考えるんです。でも、社員の中には「自分の時間を使うのはもったいない」と思っている人もいる。それも事実です。だからこそ、「自分の技術を高めるために、自分の時間を使って考えてほしい」と伝えています。

北條:考えること自体はお金もかからないし、アイデアを思いつくのも一瞬のこと。別に長い時間をかける必要もない。

似鳥: 私も昔、サラリーマンをやっていた時にクビになったり、自分で事業を始めても失敗したりして、全然ダメだったんです。でも、アメリカに行って「こういう理想があるんだ」っていうのを見て、自分の考え方が大きく変わりました。だからこそ、社員にもアメリカを見せて、「日本はまだまだ発展途上なんだ」って感じてもらいたいんです。そして、自分で未来のビジョンを描いてほしいと思っています。そういう思いで、アメリカセミナーを通じて毎年約1,200人をアメリカに連れて行っています。その中で、たとえ1割でもいいから、ロマンを持ってくれる人が出てきたら、それで十分だと思っています。

「創業家の常識を超えて」──未来を描き異論を唱え続けるガバナンスを

北條: 最後にお伺いしたいのですが、最近どの会社でも「コーポレートガバナンス」が大きな課題になっていますよね。特に資本市場からアクティビストが入ってくるような状況もあります。創業ファウンダーの場合、後継者の問題と株式の問題という2つの大きなテーマがあると思いますが、これについての考えを聞かせてください。特に、例えば上場・非上場についてや、後継者選定、社外取締役を過半にすべきかどうかなどについて、どのようにお考えですか。

似鳥: 私自身、いつ何があるかわからないので、後継者選びも含めて、会社の未来をしっかり考えています。そのために、イエスマンではなく、あえて厳しい意見を言ってくれる社外取締役を集めているんです。その結果、役員会は毎回4~5時間に及びますが、それくらい徹底的に議論しています。例えば、官公庁出身者や民間の方など、さまざまな経験を持つ方々に入ってもらっています。

結び

本インタビューを通じて浮かび上がったのは、似鳥昭雄氏の経営を貫く一本の軸です。「暮らしの豊かさを世界の人々に提供する。」というロマンと、実現のためのビジョンでした。倒産の危機という逆境で磨かれ、米国での原体験で確信に変わったこの軸は、100店舗チェーン化に象徴される「理想からの逆算」を常に促し、価格・品質・供給の仕組みづくりへと一貫して結び付いてきました。10年先を語り、それを一致させるのが社長の仕事。描いたロマンを実現させる確かなテーマを感じました。

同時に、そのロマンとビジョンを現実に変えるための要諦として、似鳥氏は三つの土台を強調します。第一に、使命感。困難に直面した時こそ、ビジネスの本質に立ち返り、時には商品本部長となり、時には1週間に70件工場を回ることで、真にお客様の価値となる提案を行ってこれらたこと。第二に、人材。「会社のためではなく、自分の人生を賭けて働ける人」を採り、3年サイクルの配置転換、ニトリ大学、そして毎年のアメリカセミナーによって『現場の数字を変える力』を育てること。第三に、コーポレートガバナンス。耳の痛い意見を恐れず、社外・社内が拮抗する取締役会で、10年・20年先を見据えた投資を徹底的に議論し、合意すること。

日本初の「製造物流IT小売業」というビジネスモデルを磨き、アジアで生活提案を拡げる挑戦は、まさに現在進行形。「現状否定」を合言葉に、商品・物流・IT・教育の全てを更新し続ける。ロマンが方向を示し、人材とガバナンスが推進力になる。 その循環こそが、ニトリを「日本を代表する企業」へ押し上げてきた原動力であり、「アジアを代表する企業」を切り拓く鍵でもあります。

似鳥氏の経営者としての軌跡は、理想を掲げつづける胆力と、顧客ニーズを追及する徹底力、課題解決の仕組みを磨き続ける地道な取り組みによって特徴づけられます。その伝承と継続は、世代を超えていく上では容易ではないものの、「理想があるからこそ、現実を動かす方法が見えてくる」という会長の言葉は、長期的な視点で経営を考える上で企業経営者に多くの示唆を与えてくれます。

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