欧州の消費財・小売業界における「AIパラドックス」

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欧州のコンシューマー業界を率いる経営陣にとって、こうした葛藤は、今年何度も繰り返されてきた馴染み深いテーマに違いない。取締役会からはAI戦略の明確なロードマップを迫られ、CFOからは厳格なROI(投資対効果)を突きつけられる。一方で、現場や戦略部門からはマーケティング、カスタマーエクスペリエンス、サプライチェーン、さらには技術開発にいたるまで、際限なく広がるAI活用のアイデアが次々と持ち込まれる。しかし、いざ「で、収益には具体的にどう貢献するのか」と問われると、多くの企業が「効果を測定するにはまだ時期尚早だ」と口を揃えて言葉を濁す。

現在、欧州のコンシューマー業界では、まさにこうした「AIパラドックス」が顕在化している。かつてない規模の資金をAIに投じ、その適用領域を急速に広げているにもかかわらず、手応えのある財務インパクトを出せている企業は一角にすぎない。AIに対する「期待や意欲」が組織の「実行力」を遥かに上回るスピードで膨らんでおり、この乖離(ギャップ)をどう埋めるかが、今後1年間にわたり業界リーダーたちが直面する最大の試練となる。

マッキンゼーでは2025年12月から2026年1月にかけて、欧州のコンシューマー業界(小売、消費財、アパレル・ファッション、関連サービス)の経営幹部27名を対象に定性調査を実施した。調査では、各社のAI戦略、投資の優先順位、人材・データ・テクノロジーの準備状況、そして全社展開(スケール化)に向けた進捗状況について回答を得た。回答者の半数以上はCIOやCTOが占め、約4分の1はCDOやデータ・アナリティクスの最高責任者である。また、回答企業の半数以上(27社中16社)が従業員2万人を超える大企業である。サンプル数は限定的であり業界全体を代表するものではないが、変化の最前線にいる意思決定者たちの生の声は、欧州コンシューマー業界におけるAI活用の「現在地」と「本質的な課題」を鮮明に浮き彫りにしている。

高まる期待と、立ちはだかる「実行力」の壁

調査結果からは、AI活用への「強い意欲」と「成果創出の難しさ」との対照的な構図が浮かび上がった。

回答者27名のうち、じつに23名が「過去1年間でAI活用をさらに拡大した」と答え、投資を縮小した企業は1社もなかった。しかしその一方で、AIによってEBIT(金利・税引前利益)を1%以上改善できたと回答した企業はわずか6社にとどまり、半数以上は「財務的なインパクトを判断するにはまだ早すぎる」としている。

この「意欲と実行力のギャップ」こそが、現在の欧州コンシューマー業界におけるAI活用の本質的な課題である。多くの企業がバリューチェーンの各所で幅広い実証実験(パイロット)を走らせているものの、それらを事業全体へとスケールさせ、持続的な成果に結びつけるための組織能力を構築できていない。

高まる期待と膨らむ予算

今回の調査では、AIに対する期待感の高さが改めて証明された。

回答者の半数以上が、今後3年間でAIが自社のビジネスにもたらすインパクトを「極めて重要」、あるいは「ビジネスモデルそのものを変革するもの」と捉えている。また、27社中22社が今後1年間でAIへの投資を増額する計画であり、その多くが10〜30%の投資増を見込んでいる。さらに5社は、30%以上の大幅な増額を予定している。

投資額の絶対値も小さくない。回答者の半数以上が、IT・デジタル予算全体の5%以上をAIに配分していると回答。3分の1以上にのぼる企業は、デジタル予算の10〜30%をAI関連施策に集中投資している。

AIの活用領域は、今やバリューチェーン全体に浸透しつつある(図表1)。特に導入が進んでいるのは「マーケティングおよび成長戦略」領域であり、次いで「ソフトウェア開発・技術運用」「需要予測」「カスタマーエクスペリエンス(CX)」「価格設定・プロモーション」「サプライチェーン」「商品開発」と続く。

図表 1

企業は特定の領域に一点賭けするのではなく、全社的なポートフォリオを組んで多様なユースケースを同時並行で検証している 。

しかし、戦略面での足元は依然としておぼつかない。自社のAI戦略の成熟度について尋ねたところ、10名が「発展途上(組織の一部では戦略が存在するが、全社的な統合には至っていない)」と回答し、同数が「初期段階(限定的なプロジェクトレベル)」と答えた。バリュー創出のロードマップや優先順位が全社レベルで明確に定義された、強固な戦略を持つ企業はごく少数にとどまる 。

多くの企業において、AI関連プロジェクトの立ち上げスピードが全社戦略の整備を追い越してしまっており、この「戦略なき実行」が、成果創出の遅れを招く一因となっている。

しかしながら、戦略面では依然として課題が残る。自社のAI戦略の成熟度について尋ねたところ、27名中10名が「発展途上(組織の一部では戦略が存在するが、全社的な統合には至っていない)」と回答し、同数が「初期段階(限定的なプロジェクトレベル)」と答えた。バリュー創出のロードマップや優先順位が全社レベルで明確に定義された、強固な戦略を持つ企業はごく少数にとどまった。

多くの企業では、AI施策の拡大が全社戦略の整備を上回るペースで進んでおり、これが成果創出の遅れを招く一因となっている。

追いつかない「組織能力の基盤」

AI投資を具体的な事業価値に転換するために必要なのは、「意欲」ではなく「実行能力」である。

調査結果から明らかになったのは、多くの企業が「人材」「AIリテラシー」「データ」「テクノロジー」という4つのコア基盤(能力)において、深刻なボトルネックを抱えているという現実だ。

特に「人材」は最大の障壁となっている。「AIを効果的に開発・拡張するための適切な人材が配置されている」と確信を持って答えた企業は、わずか9社にとどまる。マッキンゼーのこれまでの支援経験からも同様の傾向が見られるが、課題の本質は単なる外部からの人材獲得ではない。データサイエンティスト、機械学習エンジニア、プロダクトマネジャー、そして現場の業務エキスパートが「一つのチーム」として協働し、成果にコミットできる「体制(組織能力)」を作れていないことにある。

また、組織全体の「AIリテラシー」の低さも顕著である。回答者の約3分の2が自社のAIリテラシーを「発展途上」と評価しており、組織全体で日常的にAIが活用されていると回答した企業はわずか2社であった。ツールとしてのAI導入は進んでも、従業員の「働き方そのものの変革」には至っていない。

さらに、データ基盤やテクノロジー基盤も大きな制約となっている。回答者の4分の3が「データ基盤が未成熟である」と評価し、全社規模でAIを展開・運用できる強固な「テクノロジーインフラ」を保有していると答えた企業は、27社中わずか1社のみであった回答者の4分の3が「データ基盤が未成熟である」と評価し、全社規模でAIを展開・運用できる強固な「テクノロジーインフラ」を保有していると答えた企業は、27社中わずか1社のみであった。

一方で、前向きな兆候もある。事業部門とテクノロジー部門の連携について、回答者の約半数が両者の連携は良好であると評価した。ただし4分の1は依然として両部門の間に目標の不一致があると答えている。マーケティングからサプライチェーンまで、複数領域にまたがるAI活用を成功させるには、こうした組織横断の緊密な連携が不可欠であり、この壁を早期に突破した企業ほど成果創出を加速できるだろう。

広がる案件パイプラインと、進まない本格展開

AI活用への期待が高まる一方で、実際の導入成果は依然として限定的である。その背景には、多くの企業がいわゆる「パイロット(実証実験)の罠」に陥っている現状がある。

調査対象企業の多くは、相当数のAI案件を抱えている。8社が「常時10〜20件のプロジェクト」を走らせており、6社は「50件以上」を数える。しかし、それらのプロジェクトのうち、実際に現場で本格展開(実用化)にまでこぎ着けた案件は、平均してわずか10%程度にすぎない。

大半のプロジェクトはPoC(概念実証)や開発段階のまま足踏みしており、3分の1以上は着手すらされていない。その結果、多くの企業は広範なパイロットプロジェクトを進めている一方で、全社規模のインパクトにまで「スケールアップ」させるためのロードマップが欠落している。

財務成果にも同様の傾向が表れている。前述の通り、半数以上が「EBITへの影響をまだ判断できない」としており、成果を数値化できた9社のうち、5〜10%のEBIT改善を達成したのはわずか2社であった(図表2)。

これまでに確認された価値創出の領域をみると、「コスト削減」が最も多く、次いで「顧客満足度の向上」「イノベーションの創出」が続く。

図表 2

現時点において、欧州コンシューマー業界におけるAIは、売上成長を牽引するドライバーというよりも、主に「業務効率化によるコスト削減ツール」として機能している。今後、企業がより高付加価値な領域へと舵を切るのか、あるいは実現しやすい低難度の効率化プロジェクトに終始するのかが、今後の投資対効果を分ける分岐点となってくるだろう。

次のフロンティア: エージェントAIと拡大するリスク

既存AIの本格展開(スケール)に苦戦する一方で、企業はすでに次のパラダイムシフトを見据えている。その代表例が「エージェントAI(Agentic AI)」である。

エージェントAIとは、複数のタスクを自律的に判断・実行できる次世代のAIシステムを指す。コンシューマー業界での関心は急速に高まっているものの、多くの企業はまだその活用方法を模索している段階だ。回答者の約4分の3が、自社のエージェントAI活用は「初期段階」または「発展途上」であると回答した。

これは重要な意味を持つ。エージェントAIは、従来のAI以上に高品質なデータ、シームレスなシステム統合、厳格なガバナンス、そして高度なインフラ基盤を必要とする。現在推進しているAIの基盤整備すら不十分な企業が、より高度なエージェントAIへと移行しようとすれば、さらに大きな壁に突き当たることになる。結果として、先行企業と後発企業の格差はこれまで以上に二極化する可能性が高い。

同時に、AIの高度化に伴い「リスク」も肥大化している。企業が特に警戒しているリスクは、「サイバーセキュリティ」「データプライバシー」「規制への準拠(コンプライアンス)」「生成結果の正確性(ハルシネーション対策)」である。さらに、「雇用への影響」や「レピュテーションリスク(信用リスク)」、「公平性(バイアスの排除)」も経営上の懸念事項として挙げられている(図表3)。

もっとも、現時点でAI導入による重大なセキュリティ事故や倫理的トラブルを経験した企業は少ない。これは、多くの企業の導入段階がまだ初期であること、また一定のガバナンス体制が初期から意識されていることを反映している。

図表 3

欧州において、規制の影響は避けて通れない。2026年にかけて段階的に施行される「EU AI法(EU AI Act)」は、AIの透明性やリスク分類、ガバナンスに対して極めて厳格な要件を課す。顧客接点が多いコンシューマー企業にとっては、パーソナライズ、価格設定、採用・人材管理など、ビジネスの根幹に関わる領域でAI活用の見直しを迫られることになる。

しかし、この規制対応を単なる「コスト」や「義務」ではなく、顧客や社会からの「信頼(トラスト)を勝ち取る好機」と捉える企業こそが、規制環境の整備後に強力な競争優位性を確立するだろう。

AIをスケールさせ持続的な成果を上げる4つの要諦

企業はいかにして「AIパラドックス」を打ち破り、実質的な事業価値を創出すべきか。マッキンゼーが提唱する企業のデジタル・AI変革のフレームワークの実践から、4つの重要な示唆が得られている。

1. 事業価値(ビジネスバリュー)を起点とし、大胆に集中する

多くの企業はAI投資を幅広い施策に分散している。一方で先進企業は、まず明確なAI戦略を定義し、最も価値の大きいユースケースを厳選する。

投資を均等に配分するのではなく、勝てる領域に「集中投下」する。例えば、「実証済みのコア案件のスケール化」に80%の経営資源を割り当て、残りの20%を「エージェントAIなどの次世代テーマの探索」に向ける「80:20ルール」を採用するアプローチが極めて有効である。

2. 「完璧なデータ」を待たず、「実用的なデータ」で俊敏に動く

データやインフラの未成熟は大きな障壁だが、完璧なシステム構築を追求するあまりにプロジェクトを停滞させるのは本末転倒である。

先進企業は、すべての課題がクリアになるのを待たない。特定の優先ユースケースを実行するために「必要十分(Good Enough)」なレベルでクイックにデータを整備し、即座に実行に移す。その後、実際の運用から得たフィードバックをもとに、データやテクノロジーの成熟度をアジャイルに高めていく。スケール化の成否を分けるのは、技術的な完璧さではなく「実行のスピード」である。

3. テクノロジーの導入ではなく「経営変革(チェンジマネジメント)」として取り組む

AI推進における最大のボトルネックは技術そのものではなく、「人」と「組織」にある。

AIリテラシーや利用状況にばらつきがあることは、働き方や組織運営そのものに課題があることを示している。成果を上げる企業は、AI人材(データサイエンティスト等) を事業部門の現場へ直接組み込み、全従業員のアップスキリングを義務化し、さらにAI導入の成果を評価やインセンティブ設計と直接連動させている。AIは一過性のITプロジェクトではなく、オペレーティングモデルの抜本的なアップデート(経営変革)として推進されるべきである。

4. 段階的に進め、現場の「定着(ユーザーアダプション)」に投資を惜しまない

全社規模でのスケール化は、一朝一夕には実現しない。

数多くのプロジェクトを同時に走らせて頓挫する企業が多い中、持続的な価値を生み出す企業は、まず特定の店舗や特定の商品カテゴリーなど「限定的な領域」で圧倒的な成功事例(Quick Win)を作り、そこで得た成功パターンと能力をもとに、段階的に横展開していく。

このプロセスにおいては、従業員の教育、チェンジマネジメント、そして経営層の足並みを揃える取り組みなど、現場への「定着化(アダプション)」への継続的な投資が欠かせない。場合によっては、アルゴリズムやシステムそのものへの開発投資以上に、この「現場への定着化」に資源を割く覚悟が必要となる。

まとめ:「実験」から「実行・定着」へ

 

欧州のコンシューマー業界は、いま大きな転換期を迎えている。

AIはもはや「興味深い実験」のフェーズを終え、大企業にとって経営戦略の最優先事項となった。投資予算は膨らみ、活用範囲はバリューチェーン全体へと急速に広がっている。

しかし、今回の調査結果が示すように、「投資額の大きさ」や「プロジェクトの多さ」そのものが成果を保証するわけではない。

次のフェーズで真の競争優位を築くのは、最も多くのパイロットプロジェクトを立ち上げた企業ではない。「人材」「データ」「テクノロジー」「ガバナンス」という組織の基盤能力を愚直に構築し、本当に事業価値のある少数の施策を、全社規模で実用化(スケール)し、現場に定着させることができた企業である。

AIパラドックスは克服不可能な問題ではない。しかし、それを突破するためには、経営陣のマインドセットを抜本的に転換する必要がある。

  • 「実験の幅」から「実行の深さ」へ
  • 「プロジェクトの立ち上げ数」から「具体的な財務成果の測定」へ
  • 「壮大なビジョン」から、AIを実務に定着させるための「地道な組織能力の構築」へ

この変革(パラダイムシフト)を成し遂げた企業こそが、次世代の競争優位を手にすることになるだろう。

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