ネクスト・ベスト・エクスペリエンス: AI活用を通じた顧客体験の進化

お客様自身が気づく前に、必要なタイミングを検知できるAIエンジンを自社に導入できると想像してみてほしい。AIエンジンが、タッチポイント(顧客接点)を自動で優先順位付けしつつ、コミュニケーション内容をパーソナライズし、最適なメッセージを最適な方法で届けられるとしたらどうだろうか。

マッキンゼーの調査によれば、いくつかの企業では、既にこの「ネクスト・ベスト・エクスペリエンス」と呼ばれるアプローチを活用し、顕著な成果をあげている。適切に調整されたAIモデルが、顧客ライフサイクル全体を網羅する統合データセットにアクセスすることで、企業は顧客に実質的な価値をもたらす体験を創出することができる。

マッキンゼーによる分析では、AIを活用したネクスト・ベスト・エクスペリエンスの導入により、顧客満足度が15~20%向上し、収益が5~8%増加、サービス提供コストが20~30%削減されることが明らかになっている。

本稿では、AIを活用したネクスト・ベスト・エクスペリエンスのアプローチが、顧客体験における重要課題をどのように解決するのかについて考察し、構築・運用の要件・事例を紹介し、企業が導入を進めるための6つの実践ステップを概説する。

「ネクスト・ベスト・エクスペリエンス」とは何か

AIを活用した「ネクスト・ベスト・エクスペリエンス」とは、企業が各顧客に対し、最適なタイミング、チャネル、方法で最適なインタラクションを提供することを可能にするアプローチであり、企業が一方的にオファーやプロモーションを送りつける一般的な「プッシュ型」マーケティングとは異なる。

このアプローチは、データとAIを用いて「この顧客が今最も必要としているものは何か」という問いに対する答えを導出するもので、シームレスで一人ひとりに最適化された、満足度の高い顧客体験を提供することを目的としている。これにより、ロイヤルティと顧客生涯価値(Customer Lifetime Value:CLTV) を向上させることが可能となる。AIを活用したネクスト・ベスト・エクスペリエンスの実現には、データ分析、機械学習やAIによる予測モデル、レコメンデーションエンジン、生成AIによるコンテンツ生成・パーソナライズ機能が不可欠である 一方、保険会社側にも好影響が及んでいる。ネクスト・ベスト・エクスペリエンスの導入により入電件数が減少したことで、サービス提供コストが削減された。また、顧客離脱率の低下とクロスセル /アップセル率の向上により収益が増加し、これらすべてが企業の利益向上に直結している。

「ネクスト・ベスト・エクスペリエンス」で顧客エンゲージメントの課題を解決

顧客体験のデジタル化が進むにつれ、顧客対応の管理はこれまでになく複雑になっている。多くの場合、請求、顧客体験、カスタマーケア、マーケティングなど複数の部門が、独立して顧客とやり取りしており、結果として十分な成果をあげられないケースが少なくない。

例えば、顧客インサイトチームがアンケートを送信するのと同じタイミングでロイヤリティチームが自動請求登録のメールを送付し、一方でマーケティング部門が新たなアップセル提案を発信するといった具合である。顧客は企業からの連絡をスパムのように感じ、あらゆる能動的なコミュニケーションを無視する、あるいはマーケティングの同意を撤回する可能性がある。

こうした課題を解決するのが「ネクスト・ベスト・エクスペリエンス」であり、顧客体験を価値創出の中核に据え、タッチポイントを最適に順序づけし、AIを活用してパーソナライゼーションを推進する。

顧客体験を価値の源泉として再フォーカス

企業は、ネクスト・ベスト・エクスペリエンスのアプローチを活用し、既存顧客に有意義でパーソナライズされた体験を提供することで、顧客とのコミュニケーションやエンゲージメントを高めることができる。また、予測分析を導入することで、適切なメッセージを最適なタイミングで届けることが可能となる。

グローバルに事業を展開する決済処理会社の例を見てみよう。同社は、最も価値の高い加盟店の離脱を防ぐことを目的に、ネクスト・ベスト・エクスペリエンスのアプローチを採用した。高度な機械学習モデルを構築し、加盟店が今後7日以内に取引を縮小する可能性を予測したのである。

このモデルでは、運用、財務、顧客情報を含む膨大なデータセットを活用し、決済処理会社と各加盟店の間で日々発生するやり取りをデジタルツインとして再現した。各加盟店にスコアを付与した後、クラスター分析を用いて加盟店を課題 ( 異議申し立てなど) や機会 ( 運転資金不足など) 別に分類し、優先順位を付けた。

最終段階では、介入策の大規模なライブラリを構築した。その範囲は、新製品や機能の導入といった営業施策から、手数料免除や技術的修正を含むサービス施策まで多岐にわたる。これらの施策をクラスターにマッピングし、自動化されたアクションにより、収益の保護、離脱の抑制、あるいは顧客機会の最大化を実現する仕組みを構築した。

このグローバル決済処理会社は、新システムの導入により加盟店の離脱率を年間最大20%削減できると見込んでいる。

タッチポイントを優先順序付け

ネクスト・ベスト・エクスペリエンスを活用してタッチポイントをより効果的に優先順序付けることで、顧客満足度が向上し、収益の増加とサービス提供コストの削減につながる可能性がある。

例えば、欧州のある通信会社は、未解決の苦情を抱える顧客、継続的なケアプロセスの途中にある顧客、サービス関連の問い合わせを行う傾向が強い顧客に対して、すべての販促活動を停止することを決定した。販促活動に先立ってケア対応を確実に実施したことで、同社のネット・プロモーター・スコア(NPS)は市場リーダーと同水準に達し、クロスセル率の上昇と解約率の改善を同時に実現した1

AIによりパーソナライゼーションの大規模展開を実現

新規顧客獲得やパーソナライズドレコメンドなど、様々なユースケースにおける意思決定を統括するAI 搭載の意思決定エンジンは、顧客生涯価値(CLTV)[の向上に寄与する(図表2)。さらに優れているのは、AI駆動のネクスト・ベスト・エクスペリエンスのアプローチが、各ユースケースを通じて継続的に改善される点である。顧客とのやり取りが統合データセットにフィードバックされることで、時間の経過とともに意思決定の精度が高まる。

米国のある大手航空会社は、AIを活用して顧客行動を予測し、高価値顧客やリスク顧客に対して、より的確でパーソナライズされたオファーを実現している。従来、顧客サービスチームは、フライト遅延や欠航時に補償バウチャーを提供する際、顧客を区別していなかった。

しかし、機械学習モデルを導入して最適な推奨事項を導き出すことで、顧客サービス担当者は特定の顧客セグメントを優先し、補償内容を適切に差別化できるようになった。

これにより、例えば、直近で3 回遅延を経験した常連顧客と、遅延経験のない観光客を区別して対応することが可能となった。

この AIを活用した取り組みにより、リスク顧客へのターゲティング精度は210%向上し、顧客満足度は 800%上昇、高価値で損失のリスクがある顧客の離脱意向は59%減少した。

ネクスト・ベスト・エクスペリエンス・エンジンを構築

ネクスト・ベスト・エクスペリエンス・エンジンは、クラウド、基盤技術、ファウンデーションモデル、生成AIソリューションを含む技術パートナーのエコシステムを活用し、組織の既存テクノロジーアーキテクチャ上に構築することができる。このエンジンは、データエンジニアリング、アドバンストアナリティクス、生成AI、キャンペーン配信プラットフォームの4つの主要コンポーネントで構成される(図表3)。

データエンジニアリング

堅牢なデータエンジニアリング基盤は、すべての顧客記録を単一のリポジトリに統合し、一貫した洞察を提供する。このプロセスは、データをデータレイクに取り込み、請求記録、CRM(顧客関係管理)データ、ウェブ解析、モバイルアプリイベント、コールセンターログを収集することから始まる。取り込まれたデータは、標準化されたスクリプトを用いてクレンジングされ、分析に適したデータテーブルに集約・変換される。

これらのデータテーブルは、通常、最新のデータウェアハウスに保存される。品質管理プロセスは不可欠であり、例えば自動チェックによって、データの欠損や記録量の急激な減少などの異常を検出することができる。これらの管理プロセスはデータリネージュによって補完され、各データ要素の起点、変換内容、更新履歴を記録する。これにより、コンプライアンス遵守やデバッグのためのトレーサビリティが確保される。

アドバンストアナリティクス

データ基盤の上には、行動を予測しビジネスコンテクストに基づいて意思決定を推奨する一連のモデルが構築される。これには、1)顧客のアップグレード、解約、キャンペーンへの反応などの確率をスコア化する傾向モデル、2)メール、テキスト、アプリ内メッセージ、音声通話のうち、どれが最も効果的かを判断するチャネルモデル、3) 生涯価値 (LTV) や短期的な収益機会を算出する価値モデル、の3種類のモデルが含まれる。

これらのモデルは、統計的な出力データと現実の運用ロジックを融合する意思決定オーケストレーション層を通じて解釈される。例えば、解約リスクが高いと判断された顧客は、すべての販促キャンペーンから自動的に除外され、代わりにロイヤルティ特典やサービス改善を含む顧客維持プロセスに組み込まれる。逆に、解約リスクは低いもののアップセルの可能性が高い顧客には、アップグレードの案内が能動的に送信される。

生成 AIとエージェント型 AI

生成 AI は、顧客体験を向上させるパーソナライズドコンテンツを生成する。大規模言語モデル(LLM)は、直近の取引履歴やサービス利用状況、利用傾向といった文脈を参照し、動的なメッセージ生成を可能にする。これらのメッセージは、顧客の嗜好に応じてトーンや詳細度を調整でき、配信チャネル (SMSメッセージ、パーソナライズドメール、リアルタイムチャットボット対話など)に合わせて最適化される。

生成されたメッセージは、初期段階では通常、マーケティングチームやコンプライアンスチームによってレビューされることが多い。しかし、時間の経過とともに、自動化されたガードレール、テンプレートベースの制約、学習ループの導入によって、人による監視を最小限に抑えながらコンテンツを拡張できるようになる。さらに高度なシステムではエージェント型AI要素が追加され、エージェントが自律的にメッセージを改良し、影響を予測し、異なる表現をテストし、予想される反応を評価したうえで調整を行う。組織は、エージェント型AIを実装することで、テンプレート化されたメッセージングから脱却し、拡張性が高く高品質でパーソナライズされたコミュニケーションを実現することが可能となる。

キャンペーン配信プラットフォーム

この最終コンポーネントにより、適切な顧客チャネルを通じて、タイムリーかつ確実にメッセージを配信できるようになる。このコンポーネントでは、メール配信、SMS 通知、モバイルプッシュアラートを管理するマーケティングオートメーション(MA)システムとの統合を手始めに、CRMシステムやコールセンターインターフェースとも連携し、AIの推奨事項を反映したリアルタイムのプロンプトを人間のエージェントが閲覧できるようにしている。

生成AIを活用することで迅速な拡大が可能になるだけでなく、中央エンジンからの推奨に基づいて、パーソナライズされたコンテンツを生成する際に大いに役立つ ( 企業事例については、コラム「効果的なコミュニケーションを実現するネクスト・ベスト・エクスペリエンス・エンジンの活用」を参照。個別事例については、コラム「AIを活用した顧客コミュニケーションのハイパーパーソナライゼーション」を参照)。

もっとも、テクノロジーそのものの精度だけでは成果は得られない。ワークフローへの組み込み、運用プロセスによる支援、組織変革との連動がなされてこそ、ネクスト・ベスト・エクスペリエンス・エンジンは真に価値を発揮する。どれほど精度の高いモデルであっても、現場チームがその推奨を信頼せず実行に移さなければ成功を手にすることはできない。

このことは、マッキンゼーが社内AIアシスタント「Lilli」を導入した際の経験からも明らかである。チームの50%以上が、技術面ではなく、チェンジマネジメント、導入推進、トレーニングに注力できるようになった2

「ネクスト・ベスト・エクスペリエンス」導入の進め方

組織のリーダーは、テクノロジーを活用したネクスト・ベスト・エクスペリエンスの可能性を検討する際、以下の6つの側面を考慮する必要がある。

  • データ:まず、CRM、請求、運用データセットなどの主要データソースを、初期の機能ストアやサンドボックス型データレイクに統合する。その上で、概念実証 (PoC) 用のデータ取り込みパイプラインを構築し、データのアクセシビリティと品質を検証する
  • アドバンストアナリティクス:顧客離脱予測やアップセルの可能性といった影響度の大きいユースケースを選択した後、パイロットワークフロー内で基本的な予測モデルを開発・展開する。そして、パフォーマンスを週次でモニタリングし、フィードバックループを通じてモデルを継続的に改善する
  • 強固なテクノロジーエコシステム: MLOps( 機械学習運用 )、DevOps( 開発運用 )、MarTech( マーケティングテクノロジー) などの技術への投資を検討し、モデル開発と展開の効率化を図る。このアプローチは、分析とマーケティングの連携を強化し、顧客エンゲージメント向上にも寄与する

     

  • 運用モデル:部門間のインセンティブ調整の重要性に焦点を当て、運営モデルを再考する。例えば、全チームに共通する単一コンタクトポリシーを導入することで、請求、顧客体験、マーケティング、営業といった異なる部門間で協調的な顧客対応を推進できる。実施方法としては、統一のコンタクトポリシーや共有目標など一貫したインセンティブを設定し、協働を促進することが挙げられる
  • インパクト測定:全社共通のコントロールグループとターゲットグループを設定する。両者を比較することで、顧客行動や取引パターンに関する洞察を得ることができる。併せて、コントロールグループを用いてキャンペーンの A/Bテストを実施し、ダッシュボードを通じて予測モデルのパフォーマンスの透明性を確保する
  • アドバンストアナリティクス:顧客離脱予測やアップセルの可能性といった影響度の大きいユースケースを選択した後、パイロットワークフロー内で基本的な予測モデルを開発・展開する。そして、パフォーマンスを週次でモニタリングし、フィードバックループを通じてモデルを継続的に改善する

    このアプローチにより、迅速な成果を得ながら、大規模展開を実現することが可能となる。


  • テクノロジーの進歩と顧客期待の高まりが相まって、顧客エンゲージメントの変革に理想的な環境が整いつつある。顧客体験の新たなフロンティアである「ネクスト・ベスト・エクスペリエンス」アプローチは、AIと生成AIを効果的に活用して予測精度を高め、競争優位性を確立しようとする先進企業によって、今まさに解き放たれようとしている。

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