日本の医療制度は、診療の質の高さ、円滑なシステム、国民皆保険で知られている。 しかしながら、超高齢化社会へと変化する中で、日本の医療制度は、今、人口属性上の課題や慢性疾患の増加による医療費の圧迫に直面している。このたび、マッキンゼーは、MSD株式会社*の代表取締役社長であるヤニー・ウェストハイゼン氏に、疾病の早期発見率向上のための投資、包括的なソリューション、またこの課題において協働によりイノベーションを推進する方法などについてお話を伺った。(* MSD株式会社は米国とカナダ以外のメルク社の社名)
マッキンゼー: イノベーションという意味において、日本をどのようにご覧になっていますか? どのような面で成功していると言えるでしょうか、あるいは可能性を最大限に発揮するうえで障壁になっていることはありますか?
ウェストハイゼン氏: 日本は、歴史的にも、基礎化学、基礎研究のケイパビリティがとても高いです。特に低分子医薬品は、その多くがはるか昔に日本で開発されています。今、医薬品の世界では、イノベーションの主流が生物製剤へと大きくシフトしていますが、日本はまだこの変化の波に乗っているとは言い難いのではないのでしょうか。日本で開発された生物製剤がないわけではないのですが、かつて低分子医薬品が発売されたペースよりはスローなようです。しかしながら、このペースを上げていこうとする意欲は確かにあり、特殊分野に的を絞り、いっそう注力していこうとしているようです。国立がんセンターといくつかの日本企業の間でがん関連の生物製剤の開発に関する合意が締結されていますが、それらの一部にもこの傾向が見られます。世界では、今後も低分子医薬品と生物製剤両方のニーズが継続します。低分子医薬品は、生物製剤が主流である標的療法と同程度の利益を多くの患者さんにもたらします。また、基礎化学や基礎研究、開発によって生まれる低分子医薬品が対応できるアンメットニーズも多く存在しています。
マッキンゼー:日本の医療制度について何かご意見はありますか? 日本の医療制度は諸外国に比べてどのあたりが優れているのでしょうか?
ウェストハイゼン氏: 日本は、国民が等しく利用できる優れたユニバーサルヘルスケアシステムを確立しています。例えば、年1回の健康診断。これは、特定の領域においてメリットがあると思います。毎年実施される健康診断は、疾病の早期発見・早期治療や症状の悪化の防止などに役立っています。これは他国よりも優れている点でしょう。
さらに、日本の医療制度には、また別のメリットもあります。例えば、日本の病院では、最も有効な治療法の提供にまで辿り着くことができます。糖尿病の場合、II型糖尿病の早期診断の可能性が高くとも、必ずしもそれが早期治療につながらないという課題があります。しかしながら、私は医療制度の利用のしやすさと、その結果としての疾病の予防レベルの高さにおいては、日本は抜きんでていると思います。肺がんなどの発見されにくいタイプのがんでも、日本は世界屈指の早期発見率を誇っています。日本のような医療制度を活用することは実に素晴らしいと思います。
マッキンゼー: 今後5年間で、何が大きく変わると思いますか?
ウェストハイゼン氏: あと5年のうちに医療制度全体として本当に戦わなくてはならないのは、個別の薬価うんぬんの問題ではなく、慢性疾患の方だと思います。現時点では、医療における課題は投薬や治療のコストにあると考えられています。我々は、その見方を改めなくてはなりません。超高齢化社会において本当に戦うべきは、慢性疾患による医療費の圧迫です。この問題を総合的に解決するにはどうしたらよいか、一歩離れて問い直してみる必要があります。
マッキンゼー: 日本の組織間での協働や提携などは、今後も増えると思いますか? それとも減るでしょうか?
ウェストハイゼン氏: 日本では、そうした協働の多くは商業目的で行われているのではないでしょうか。特に、プライマリケアの分野ではその傾向が強いですね。スケールアップはしたけれども、必ずしもポートフォリオが伴っていない。ですから、複数のポートフォリオを取りまとめてクリティカルマスを構築し、一定のスケーラビリティを獲得しよう、というわけです。日本では、ローカル企業が多国籍企業を必要とするよりも、多国籍企業からローカル企業に対するニーズの方が高い。米国の場合は逆で、多国籍企業が日本企業を必要とするよりも、日本企業から多国籍企業に対するニーズの方が高いのです。一部の専門領域ではこの傾向はあまり見られませんが、それは、集中度や専門性が高く利益性も高い分野で、連携へのニーズそのものが低いためです。生物製剤へのシフトや専門性重視の傾向が高まり、より高い成長機会が見込まれる―商業的な提携やパートナーシップが行われる機会が減ったのは、それが理由です。
現在の傾向は「いかにしてイノベーションを推進するか」ということです。イノベーションは、我々の連携によって生まれます。組織間で力を合わせることで、より多くの適応症に有効な薬剤を開発できる可能性があります。がんの分野では、コンビネーションプロダクトも重要な要素となってきていて、また違ったタイプの連携を推進しています。特に、がんの分野では、「どのように継続するか」が重要な問いになります。また、この問いによって、コンビネーションプロダクトの開発か、あるいは既存のアセットからより多くの適応を可能にしてより多くの価値を引き出すか、など、力を合わせるべき方向へと進んでいくことになります。全体として、今後はこうした連携の背景にある目的そのものもシフトしていくでしょう。
マッキンゼー: 御社は、他社やアカデミア、バイオテックとの連携にどのように取り組んでいますか?
ウェストハイゼン氏: これは、つい数ヵ月前に公表いたしましたが、MSDはアルツハイマー病向けの初期開発段階のタウ化合物に関して、帝人と契約を締結しました。このほかにも、こうしたごく初期開発段階での契約を結んでいます。これは有望なテクノロジーで、関心領域の一つです。私共は、今後、日本においても、世界の他の地域においても、このテクノロジーをさらに推進していきます。当社のワクチンの多くは日本から来ています。日本で開発されたものです。日本の発明であり、当社の製品です。競合他社の多くと同じく、我々はネットワーク構築に常に重点を置くことで、現状を把握し、周囲と対話し、耳を傾け続けています。また当社は、研究者が彼らの研究成果や我々の関心領域に対する意見をプレゼン・提案する仕組みも用意しています。
マッキンゼー: 海外からの日本への投資という視点から、グローバル展開の機会を狙う日本企業にとっての、日本と多国間の国際投資の重要性についてはどのようにお考えですか?
ウェストハイゼン氏: テクノロジーに関する国際投資は確かにあります。実際、さまざまな形で投資が行われています。アセットレベルで見ますと、開発が分散化しているのが散見されます。例えば、日本企業があるアセットを持っていて、日本やアジアでは開発をしたいが、欧州や米国では多少のサポートが必要、といった具合です。実質的なM&A、または海外からの日本への巨額の投資に関しては成長の余地があると思います。日本を基盤とする企業を見れば、総売上げのうち海外の売上げが占める割合は最大で約60%程度なので、海外市場への展開には確実に成長の余地があり、また貢献も大きいでしょう。この状況により機会が生まれ、多くの企業が海外展開を通じて成長を推進しようとさまざまな取り組みを行っています。常々思うのですが、日本でのRocheと中外製薬の提携のモデルは、うまく機能しているようでとても興味深いと思います。ですので、こういった事例から見ても、機会はあると考えられます。
マッキンゼー: 世界というステージにおける日本をどのようにご覧になりますか? グローバルにおける役割という意味で、何か重要な発展はありましたか? 日本の競争優位性とは何でしょうか?
ウェストハイゼン氏:まず、日本は世界で2番目に大きい市場です。ですから、日本は医薬品業界において重要な存在です。何かを開発しようとする時に、それに関する討議や意思決定を日本抜きで行おうとは考えられません。日本は、製薬業界で活動するすべての企業にとって非常に重要な存在なのです。このことに疑いの余地はありません。
次に、日本はアジア地域でも大きな影響力を持っています。すでに重要な役割を担っていますが、今問われるのは、日本は今後どのようにその役割を担っていくのか、従来のまま変わらないのか、それともより積極的で意識の高い存在になっていくのか、ということです。
最後に、これからのイノベーションの推進は、米国、欧州、日本による公平な連携をなくして進めていくことはできません。ここでの課題は、互いに公平なバランスとは何か、先進国が持続可能な方法でイノベーションの開発に貢献していく方法とは何か、感染症とどのように戦っていくか、どのようなインセンティブを提供できるか、といったことです。日本やドイツ、英国、フランス、そしてもちろん米国がこれらの課題に取り組まなければ、イノベーションを成功させることはできません。日本を含むこれらの国々が、今後について各々の視点を持つだけでなく、相互協力に向けた実質的な意思決定を推進していくことがますます重要となります。