気候変動適応の推進:暑熱対策から沿岸防護までの費用を可視化

| レポート

概説

  • 人類社会は何千年もの間、地球の気候に適応してきた。メソポタミア人からイヌイットまで、異常気象はあらゆる人々の生活方式を決定づける要因となってきた。現在では効果が広く認められ、費用対効果に優れた適応策が既に多数存在していることから、ここではエアコン、灌漑設備、防潮堤など、そのうちの20種類を検証していく。
  • 世界各国は現在、年間1,900億ドルもの予算を異常気象対策に費やしている。しかしそうした対策で先進国水準に即して災害から守られている人々は12億人にすぎない。気候変動による災害の危険にさらされている場所で暮らしていて、適応に苦慮し、既にその対価を支払わされている可能性のある人々は世界全体で41億人に達しているが、そうした人々全員を同水準の保護対策で守るには、おそらく5,400億ドルもの費用が必要になる。
  • 気候の温暖化によって最も増加するのは、暑熱と干ばつにさらされる頻度である。温暖化ガスの排出量動向が現状を維持すると、世界の気温は2050年頃までに産業革命前と比べて2℃上昇すると予想されている。これにより、暑熱ストレスの危険にさらされる人が22億人、干ばつの危険にさらされる人が11億人増加する可能性がある。一方、沿岸洪水の危険にさらされる人は4,000万人の増加にとどまるとみられる。
  • 2℃シナリオでは、現行水準の対策を維持するための費用は現状の2.5倍になるとみられるが、先進国水準の対策をとるには、6.2倍の費用が必要となる見込みである。そうした基準を世界全体で達成するには推定で1.2兆ドルが必要になるが、その半分以上は空調と灌漑に費やされることになるであろう。予想経済成長率に合わせて支出を増やせば総費用の60%をまかなえるが、低所得者層の多い地域では引き続き予算が不足すると考えられる。
  • 適応策は予算を費やすに値するものだが、支出するのが当然というわけではない。 2℃シナリオのもとでは、適応策の便益は費用の7倍に上るが、支払い能力、競合する支出先との優先度、協調行動の難しさ、運用上のハードル、政治的意図といった要因のために、実施には様々な困難がつきまとう。今後は資金調達力、適応策や軽減策の規模拡大能力、更には異常気象による被害の推移と適応策の限界が、社会がどのようなリスクを負うかを決めることになるであろう。

はじめに

人類の社会と経済は何千年にもわたって一帯の気候に適応してきた。メソポタミア文明が干ばつと戦い、農業活動を維持するために大規模な灌漑システムを開発したのは、およそ8,000年前のことである。また現在オランダの国土となっている場所では、人々が2,000年以上前から洪水から身を守るために「テルペン」と呼ばれる人工の盛り土を築き始めた。1,000年前には北極圏で暮らすトゥーレ族の人々が雪を固めて作ったブロックでイグルーという家を作り始め、それによって外気温が-45°Cを下回る環境でも生活を営めるようになった。古代エジプトでは、建築家たちは分厚い泥レンガの壁や採風塔といったエネルギーを消費しない冷房技術を開発し、場合によっては45℃を上回る砂漠の炎暑に対処した。

現在では多種多様な対策が考案され、試行錯誤の結果、猛暑から極寒まで、更に深刻な干ばつから大洪水まで、様々な危険から身を守れるようになってきている。例えばオランダはデルタ計画という大規模かつ先進的な洪水対策を進めているが、これは一連のダム、水門、閘門、堤防、高潮防止壁によって繰り返し起こる洪水から国土を守る仕組みである 。またシンガポールの初代首相リー・クアンユーは、エアコンがシンガポールの成功の鍵になったとして、インタビューで以下のように語っている。「エアコンは我々にとって最も重要な発明であり、おそらく歴史上まれにみる発明のひとつといえるであろう。エアコンのおかげで熱帯地域の開発が可能になり、文明のあり方が変わったのだ 。」

しかし災害耐性には世界の国々の間で大きな差異が見られる。人類は全員が現在の異常気象から身を守れるわけではなく、それは気候がこれからどう変動するかを考慮しなくても変わらない。一般に使用されている気候変動適応策は20種類あり、そのうち少なくとも1つで守られている人は約10億人で、残り30億人は無防備なままである 。当然ながら格差は低所得地域の方が大きいが、保護策の対象から外れている人のうち約7億人は高所得地域の住民である。世界の気温が上昇するにつれて災害のパターンや発生状況は変化し、適応策が必要になる部分も変わってくる。

したがって、現在と将来両方の適応策に関して理解を深めることが不可欠である。最終的には、個人、政府、企業が、支出能力やリスク許容度から政治的意志や運用可能性まで、様々な考慮事項に基づいて、対応策を実施するか否かを決定する。しかし適応策に予算を費やす場合、単に予算が確保できればよいわけではない。問題になるのはむしろ、限られた予算や人材をどのような形で優先的に配分すれば、エネルギー転換、自治体サービス、家計支出といった互いに競合する需要に対処できるかという点である。十分な情報に基づいて適応策に関する意志決定を行うには、まず現状の災害耐性に関する格差を特定し、それがどう変化するかを予測し、現状と今後発生し得る災害から身を守るには何が必要かを判断しなければならない。

確かに、綿密に練り上げられた適応計画がこのところ増えてきている。2025年10月の時点では正式な適応計画を策定済みの国が141カ国と、5年前の84カ国から増加している 。しかし優先順位が明確に示され、費用の見積もりが盛り込まれているのはその中のごく一部にすぎない。

本稿ではピクセル単位の詳細な地理空間分析を用いて、従来と全く異なる形で現在および2050年までの適応費用を包括的に分析している 。調査対象とした20種類の適応策は、暑熱、森林火災、干ばつ、洪水という4カテゴリーの災害から幅広く身を守るためのもので、幅広い経済圏に適用可能である。災害がどのような形で発生し得るのか、適応するには何が必要でどのような便益が

あるのかを理解することで、各国の指導者は、現在も今後も含め、長期にわたって災害耐性に関する十分な情報に基づいた意思決定を行うことができる。

気候モデルには、どのようなものであれ、必ず補足事項がいくつかある。気候モデルは他の複雑現象のモデル作成と同じで、現在も改良と議論が続けられている分野であり、不確実性を伴っている。本稿の執筆者は気候学者ではないので、主に気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の第6次評価報告書に使用されている外部の気候モデルを使用している 。更にいえば、こうした不確実性は、特定の都市や特定区画など、地理的な範囲を狭く絞れば絞るほど顕著になる。また本稿はあらゆる災害、あらゆる場所、あらゆるセクター、あらゆるカテゴリーの影響を検証しているわけではなく、例えば小島嶼国とその生物多様性、サプライチェーンに対する影響などについては、本稿の範囲外の適応策が必要となる可能性がある 。本考察はあくまで叩き台的な分析を提供し、幅広い人口集団や地域の意思決定に役立てていただくことを意図したものである。

世界各国は現在、年間1,900億ドルもの予算を異常気象対策に費やしている

地球上の陸地の約40%が、このところの異常気象の影響で、周期的に猛暑、大規模森林火災、長期的干ばつ、大規模洪水に見舞われている 。そうした地域で暮らす人々はおよそ40億人にのぼっており、これは世界人口のほぼ半数に相当する 。本稿で「気候災害」と呼んでいるこれらの異常気象は、稀にしか発生しないこともあれば、毎年発生することもあるが、地球温暖化の進行によって発生箇所が増えたり、特定の場所で激甚化したりする可能性がある。更に世界の35%が極寒に見舞われているが、この割合は地球の気温上昇に伴って減少する可能性がある(コラム「本稿で考察対象とした災害」を参照)。

個人、政府、企業は現在、合計で年間約1,900億ドルもの予算を費やして、暑熱、森林火災を引き起こしやすい気象条件(本稿では「森林火災」と表記)、農業地域における干ばつ(同「干ばつ」)、洪水(コラム「寒波についてはどうか」を参照)対策用の資本支出と運営経費に充当している 。こうした投資によって、世界中で12億人の人々とその生活が少なくとも一部は守られている 。

しかしそれでも世界で30億人の人々が異常気象から守られておらず、災害の危険性にさらされている 。そうした人々は、本稿で「災害耐性格差」と称している格差にさらされ、現状の保護状況が先進国で現在一般的に確立されている基準を下回っている。当然だが、そうした基準も必ずしも守られているとはいえず、高所得層の多い都市部の中でさえ、若干ながら災害耐性の格差が存在する。

4カテゴリーの災害はいずれも防御策を講じるに値するものだと考えられているが、すべてが同列に扱えるものではなく、その影響は大幅に異なる場合がある。例えば、暑熱には二つの形態がある。本稿で「暑熱ストレス」と称しているものは、年間1カ月以上にわたって極めて高温多湿な気候が続き、生産性が低下し、健康を害する可能性のある期間と定義されている 。「熱波」はそれより発生頻度が低く、持続時間が短いもので、1週間以上にわたって局地的に高温が続くものを指す 。こうした状況は、よりわけ社会的弱者にとっては現実的なリスクとなりうるが、毎年発生するわけではなく、発生したとしても比較的短期間なので、多くの場合、全般的にみると暑熱ストレスより影響が小さい 。

災害耐性に関する格差が存在する場合、それはリスクを明らかに受け入れるという選択、例えば森林火災や洪水が高頻度で発生する地域に家を建てるという選択をする人がいるということかもしれない。また、不完全な情報、政治的な行き詰まり、資金不足といった要因によって、リスクをどの程度取るかが決まる場合もある。そうした格差がなぜあるのかはひとまず措くとして、それを解消し、現にリスクを抱えながら生活している30億人もの人々を災害から守るには、どれほどの費用がかかるのであろうか。

効果が広く認められ、費用対効果に優れた異常気象対策が存在する

人類は、少なくとも原則論から言えば、異常気象から身を守る術を持っている。多くのアプローチ、つまり本稿で「適応策」と呼んでいるものは、既にそうした気象パターンから身を守る役ことに寄与している。本稿では費用対効果が高く、多様な経済圏に幅広く適用可能で、分析対象とした4カテゴリーの災害から広く身を守るための対策を20種類検討する。そうした対策には、例えば沿岸洪水を防ぐ堤防、豪雨や地表水氾濫を迂回させる雨水排水ネットワークなど、多くの人々を守り、連携や集団行動を必要とする大規模な対策から、エアコンや扇風機といった暑さを和らげる機器のように個人や企業が導入できる対策まで、様々なものがある。(他の適応策やアプローチについては、コラム「適応策とは、その限界とは」を参照)

こうした対策は今日、世界中のあらゆる場所で行われている。例えば、冷房ソリューションとしてよく利用されているのがエアコンである。暑熱ストレスの影響を受けやすい地域では、主に高所得層の多い場所で、推定1億台のエアコンが約3億4,000万人の人々を熱中症から守っている。更に一部地域では他の暑熱対策も行われている。例えばドバイでは集中型地域冷房システムによって住宅や商業ビルに冷気が供給され、スペインでは地域密着型の熱波対策警報システムが導入されている 。

稼働中の適応策

本稿の調査対象となった適応策がもたらす便益は、回避できた経済的損失の額という形で測定することができるが、世界平均で1.5倍以上、実施費用を上回っている 。また対策の多くが損失回避以外の利益をもたらす可能性もある。 例えば灌漑を行うと干ばつによる被害が防げるだけでなく、作物の収量が増えるし、都市緑化を進めれば日陰ができて涼しくなるだけでなく、都市生活の質が高まるという効果も期待できる 。

各対策が提供できる保護の程度は様々である。中には対象となる災害に対して全面的な防御効果を発揮するものもある。例えば堤防や雨水排水ネットワークが適切に設計され、効果的に実施されていれば、日常生活や仕事が途切れることはなく、インフラや不動産は無傷で、農作物や家畜のような自然資本が防御対象となる災害の規模に影響されることはない。だがそれ以外の対策は、災害被害のかなりの部分を軽減できるが、被害を全面的に防ぐことはできない。例えばマングローブのような自然植生を利用した防御策は、高潮による被害を軽減することはできるが、洪水を全面的に防ぐことはできない 。

災害耐性の格差は、低所得地域では高所得地域の3倍以上に上る

各々の都市、町、農村地域は、立地環境や地形、更には異常気象の詳細なパターン、そしてそれをどう経験し、そう適応していくかという点で、一つとして同じものはない。例えば暑熱ストレスは農村の零細農家で労働を困難にする一方で、高所得都市の冷房の効いたオフィスで働く労働者の生産性には影響をおよぼさない。すべての政治が現地に根ざしたものであるように、適応策もすべてその土地に固有のものである。

災害発生の危険性と災害に対する脆弱性の各地域における動態をグローバルに把握するため、本稿では世界を1平方キロ単位のピクセルに分割し、所得水準と都市化の程度に基づいて9つの人口集団に分類した(コラム「本稿の調査手法」を参照) 。次に、各集団のピクセルが、先進国なら高頻度で防御できる規模の各種異常気象にどの程度さらされているかを検証した。その上で、暑熱、森林火災、干ばつ、洪水など8種類の個別災害について、現状ではそうした災害から保護されている場所と、災害耐性に関する格差が残っている場所を特定した 。暑熱ストレスと森林火災という2つの災害は慢性的なもので、発生の危険性がある場所では毎年発生している。一方、残りの6種類、すなわち沿岸洪水、河川洪水、豪雨による洪水、熱波、致死的酷暑、農業地域の干ばつは急性である。こうした災害は激甚だが発生頻度が低く、毎年発生するとは限らない。

現在、低所得地域では、気候リスクへの適応が遅れている 。実際、人口の約85%が、本稿で分析した4カテゴリーの災害への対策を十分に講じられていない。一方で、高所得地域では、同様の災害への対策が不十分な人は約25%にとどまる(図表1)。世界的にみると、資金面の制約、リスクに対する認識、リスク許容度、政治的意思、運用上の障壁といった様々な要因が、当該地域でどの程度の金額が適応策に投じられるかという点に影響を及ぼしている 。

図表 1

災害耐性の格差は、暑熱対策に関するものが最も大きい。例えばインドの全人口の60%とナイジェリアの全人口の30%は、暑熱ストレスを毎年経験している場所で暮らしている。しかし両国ではエアコンがまだ普及しておらず、インドでは普及率が約10%、ナイジェリアでは同3%にとどまっている 。一方、現在米国ではエアコンの普及率は90%を上回っており、暑熱ストレスを経験しているのは、本稿の定義によると全人口の4%にすぎない。全般的にみて、先進国は様々な適応策の普及率が比較的高い(図表2) 。

図表 2

低所得層や低所得地域は、適応策への投資はおろか、住宅や食料といった基本的で差し迫ったニーズさえなかなか満たせない場合がある。しかし適応策の主な利点は将来的な費用の発生を回避できることにあるのであって、そうした費用は本当に発生するのか否かが不確実で、災害が実際に発生してみないと明らかにならない性質のものである。様々な学術調査から、富裕層は保険に投資する傾向が高いことが分かっているが、これは気候変動対策に資金を費やす意欲の高さを示す指標のひとつである 。

全般的にみて、都市は所得水準に関わりなく、適応策の普及度が高い。例えば高所得都市で暮らす人々の5分の4は、防御策によって100年に一度の頻度で発生する50cm以上の河川洪水から守られている。こうした対策の恩恵を受けているのは、農村部の住民では35%にすぎない 。防潮堤のような適応策の多くは特定の土地区画を保護するものなので、人口密度の高い都市では一人当たりの適応費用が農村部より低くなる。また都市とその住民は、適応策に資金を投じる能力が農村部より高い可能性もある。

先進国の基準に即した保護策で現状の世界の全人口を災害から守るには、年間5,400億ドルの予算が必要

世界各国は現在、1,900億ドルもの予算を費やし、本稿の調査対象となった20種類の適応策のうち一つを用いて、国民を災害から守っており、総計12億人もの人々が何らかの形態の防御策の対象となっている 。先進国で一般に確立されている基準に即して、現状で異常気象発生の危険性にさらされている場所すべてで適応策を実施しようとすると、おそらく現状の3倍、すなわち年間5,400億ドルもの予算を費やして、現状で災害の危険性にさらされている41億人全員を災害から守る必要がある。したがって、災害耐性の格差を埋めるために必要な費用、すなわち現状で費やしている費用と先進国水準の対策を講じるための費用との差は3,500億ドルになる。この費用は低所得地域で最も高く、約2,000億ドルに達していて、これは中高所得地域の各々750億ドルの2.7倍に相当する(図表3) 。

日本は海岸線が長く、降雨量が多いため、気候災害の影響を特に受けやすい。 国土の5分の1が既に気候変動に由来する災害の危険にさらされており、人口でみても同程度の人々が影響を受けている。 本稿の調査によると、日本は現在、適応策に年間約20億ドル(約2,135億円 )の予算を費やしている。災害の危険性にさらされている地域で暮らす2,000万人全員を先進国水準で保護するには、その約2倍の年間約40億ドル (約4,270億円)が必要となる。

図表 3

どの所得層であれ、都市が現状の災害耐性に関する格差を埋めるために費やす予算の額は、災害によるGDPの目減り分に対する割合でみると、町や農村部より少なくて構わない。例えば高所得ではあるが現状では災害防御策がとられていない都市の場合、災害耐性に関する格差を埋めるための出費はGDPの0.3%ですむが、農村部では所得水準が高い場所でも0.8%の出費が必要になる。災害耐性格差は中低所得層になると更に大きくなり、農村部の災害耐性格差を解消するにはGDP比にして都市部より1.0から1.5パーセント多い予算が必要になる。

世界が適応策に費やしている年間1,900億ドルの予算の半分以上が、現状では暑熱災害、中でも暑熱ストレス対策に充当されている。しかし災害耐性に関する格差がいまだに最も大きいのが、低所得地域を暑さから守る対策である。この格差を解消するには約1,250億ドルの予算が必要になる。また中低所得地域における過度の降雨による洪水の対策には約400億ドル、全所得層における森林火災対策の格差解消には500億ドルの予算が必要になる。実際、森林火災は所得水準の高い都市で最も対策の進んでいない災害である。

もちろん先進国の防御基準を世界各国に適用する場合、全適応策がどこでも実現可能というわけではないことには注意が必要である。個々の利害関係者は支出に関して意思決定を行う際、費用対効果や適応策の物理的な実現可能性についても考慮する。例えば、所得水準の低い農村部で防潮堤を設置する場合、その費用は損害回避額を大幅に上回るものになるかもしれない。しかしマングローブ植林のような対策なら、同水準の保護は望めないが、はるかに費用対効果が高い場合が多い。同様に、電気のきていない場所ではエアコンは物理的に不可能なので、自然の力を利用した冷房手法がより現実的な選択肢となる。本稿の試算では費用対効果と物理的実現可能性をいずれも考慮対象としており、その評価は人口集団と地域別に行っている 。また現実的に考えると、利害関係者が適応策に関する意思決定を行う際、他にも様々な事項を検討している可能性がある。

2℃シナリオで先進国水準の適応策を実施するには、2050年までに年間1.2兆ドルが必要となる

温室効果ガス排出量が現行のペースを保った場合、地球の気温は上昇すると予想されている(図表4)。各種試算によると、数十年単位でみた世界の平均地表温度は2030年頃までに産業革命以前の水準を1.5℃上回り、2050年頃までに上昇幅は2℃に達し、それ以降も更に上昇する見通しである 。適応策の中には実施に10年以上かかるものもあるため、少なくとも2050年にかけて、世界の気温が2℃上昇するとしてニーズを予測するのが妥当であって、世界各国が排出削減に取り組んだとしても、それは変わらない 。したがって本稿で1.5℃または2℃シナリオという場合、それぞれ2030年と2050年までにその気温に達するシナリオを意味する。

図表 4

1.1°Cシナリオ

1.5°Cシナリオ

2°Cシナリオ

豪雨による洪水や干ばつといった災害は世界の多くの地域で深刻さを増しているが、地域によっては限定的ながら深刻度が下がる可能性もある。また、氷点下となる日数は世界的に減少すると見込まれており、増加する地域はと考えられる。このように、災害は世界中で増加するものの、その影響は地域によって異なり、適応策のあり方も変わっていくであろう。災害は、あらゆる地域で発生するわけではなく、同じように発生するわけでもなく、一度に発生するわけでもない。

2°Cシナリオのもとでは、先進国の基準で災害対策を行うと現状の6倍以上の費用が必要

世界の気温が上昇し、人口が増加するにつれて、気候災害の影響を受ける場所や人は増加し、時には深刻度も増すと考えられる。2050年までに気温が2℃上昇すると想定した場合、気候災害の危険がある場所で暮らす人の数は、先進国の保護基準に則って考えると約89億人に達する。

その結果、先進国の基準で災害対策を行った場合の費用は上昇することになる。20種類の適応策を物理的に実現可能で費用対効果の高い方法で実施した場合、先進国の基準を満たす適応策にかかる年間費用は現在の6.2倍に増大する。総費用は現状保護策の5,400億ドルから、1.5℃シナリオでは8,000億ドルに上昇し、2℃シナリオでは2050年にかけて1.2兆ドルに達すると考えられる(図表6) 。この金額は2050年までに気候災害の危険にさらされる地域におけるGDPの約0.8%に相当する。

しかしこの数字は実際の支出を予測したものではない。結局のところ、先進国の基準で現状の災害から身を守るために必要な予算は5,400億ドルだが、世界各国が費やしている予算は計1,900億ドルでしかない。むしろこの計算は、意思決定者が将来的に適応策を検討する際の基準となるであろう。

適応策にかかる年間1.2兆ドルの費用の約40%は資本支出に充てられる。例えば堤防や遊水池といったインフラの建設、エアコンや扇風機といった耐久消費財の購入がこれに相当する。残りの60%は、インフラの保守、冷却技術を動かすための電気代、灌漑に用いる水の料金といった運営経費に費やされることになるであろう。

資本支出と運営経費の内訳は、災害の種類によって異なる。例えば洪水防御費用の3分の2近くは堤防のような構造物の建設に伴う資本支出であり、多額の先行投資を必要とする。一方、暑熱対策にかかる費用の約4分の3は、エアコンの運転などによって継続的に発生する運営経費である。

以上の費用は2050年にかけて気温が2℃上昇するとした場合の防御策だけにかかるものである。温暖化が更に進めば適応策の費用は更に上昇し、ここで検討した以上の適応策が必要になると思われる。

図表 6

暑熱と干ばつ対策は2℃シナリオにおける先進国基準に即した適応費用の4分の3以上を占める

2℃シナリオのもとでは、適応策にかかる1.2兆ドルの予算のうち半分以上が暑熱対策に充てられ、エアコンのような人口的冷却ソリューションがその最大割合を占めることになるであろう。 干ばつはその5分の1を占め、その中で最大割合となる約15%は灌漑システムの設置に関わるものになると考えられる。堤防や遊水池を建設して河川の洪水や豪雨による洪水を軽減する対策にも莫大な投資が必要となる(図表7) 。適応策予算の構成は、1.5℃シナリオでもだいたい同様である。

暑熱ストレス対策には総費用の大半が費やされるが、海面上昇に由来する沿岸洪水の対策に費やされるのが総費用のほんのわずかの割合でしかないというのは意外に思われるかもしれない 。しかし2050年までに気温が2℃上昇するというシナリオでは、暑熱ストレスの危険にさらされる場所で暮らす人々は総人口の40%以上であるのに対し、沿岸洪水の危険にさらされる地域で暮らす人々は同1%弱である。ただし、たとえ地球の気温が横ばいで推移したとしても、海面の上昇は続くので、この割合は時が経つにつれて上昇する可能性がある 。

図表 7

どのような対策を実施するかという観点でみると、費用の半分以上が空調設備の導入、建物や設備ごとの浸水対策、農作物の日よけ対策といった個人や企業が主体となって実施する民間の取り組みに充てられる。約30%は、防潮堤、堤防、マングローブ林、早期警報システムといった公共財への投資に、残りの20%は灌漑など、民間主導または公的プログラムを通じて実施可能な対策に割り当てられる。

2℃シナリオのもとでは、日本がとるべき適応策の費用は年間70億ドルを上回る可能性がある。そのおよそ50%は、防潮堤、雨水排水、堤防といった洪水対策に充てられることになるであろう。費用がこれほど上昇するのは、災害がより広範囲に拡大し、深刻度が増すためである。日本の人口の95%近くが2050年までに1つ以上の気候災害にあうと予測されている。具体的に述べると、例えば沿岸洪水が激甚化し、地域によっては洪水時の水深が15-20cmも増加して、防潮堤の設置費用が上昇すると見込まれている。

その対策の実施にあたっては、慎重に計画を立てて適応不全を避ける必要がある。具体例をあげると、ある特定地域に防潮堤や洪水防御施設を建設すると、思いもよらず別の場所に洪水が押し寄せる可能性がある。灌漑の規模を拡大する際は流域レベルで取水可能量と水利用の競合に関して検討する必要があるし、エアコンを導入する場合はエネルギー使用と冷媒に関わる排出量が有意に増加する可能性があるので、注意しなければならない 。

複数の行政機関が連携して洪水の管理を行い、上流と下流におよぶ影響を共同で評価し、防御策を水の自然な循環や土地利用に合致したものにすると、洪水に関する適応不全の発生リスクを軽減することができる 。また高効率な灌漑システムと干ばつに強い作物品種を導入すると、灌漑に関する適応不全の発生リスクを軽減することができる 。同様に、高効率な冷房機器、地球温暖化の原因になりにくい冷媒、効果的な冷房需要管理機構を採用し、エネルギーを使用して積極的に行う冷房(能動的冷房)と通風や遮光を工夫して行う自然な冷房(受動的冷房)をうまく組み合わせれば、空調によるエネルギー使用量と排出量を削減することができる。また継続的に技術革新に取り組んで、ヒートポンプや蒸発式クーラーのようにエネルギー効率の高い代替冷却技術のコストを下げ、効果を向上させることも、排出量削減の一助となり得る 。

2℃シナリオのもとでは、適応策のもたらす便益は費用の約7倍に達する可能性がある

災害と同様、適応策もすべて同じというわけにはいかない。20種類の対策は費用、便益、保護水準がそれぞれ異なるため、投資の選択肢も様々である(図表8) 。

暑熱対策は様々な手法があるものの好例である。例えばエアコンは、電気が使えて設置可能な場所では暑熱による被害をほぼなくし、屋内労働者を保護することができる。便益費用比率 (BCR: Benefit-Cost Ratio)はおよそ3から5である。一方、扇風機は保護性能こそ劣るが、エアコンよりはるかに安価なため、BCRは高い。同様に、屋根に白色塗料を塗布するという対策もエアコンよりBCRが高い。保護性能は半分以下だが、費用もはるかに安い。

森林火災の適応策については、1種類の適応策で火災を完全に防ぐことはできない。送電線を埋設すると送電線の放電による発火リスクは抑えられるが、高額な資本支出が必要になる。一方、可燃物の管理を行うと延焼を抑制できるが、継続的な維持管理が必要になるため、BCRは送電線の埋設とほぼ同等になる。

洪水対策用の防潮堤や遊水池、干ばつ対策用の灌漑システムといった構造物を用いる対策は、効果的に実施されれば、防御対象となる災害の強度とその影響分を上限として、住民を保護することができる。BCRを左右するのは主として建設と維持にかかる相対的費用である。

上記のBCRは災害の危険にさらされている場所における対策全体の平均値で、実際の数字は地域によって大幅に異なる可能性があるが、特定の場所における適応計画を立てるには必要な検討事項である。例えば都市部は経済活動が集中しているため、防潮堤を設けようとするとBCRが10を上回るが、農村部に防潮堤を築く場合は、経済活動が都市部より少ないのでBCRが1.5を下回る。

対策全体を横断的に見ると、適応費用の80%以上が、BCRが平均で3倍を上回っている対策に振り向けられることになる。更に合算でみると、これら適応策の平均BCRは2℃シナリオでは7に達する可能性がある。ちなみに1.5℃シナリオの場合の平均BCRは4、現状の気候を維持した場合はおよそ3である。災害が深刻化するにつれて適応策の費用は上昇するが、そのスピードは損害回避額の増加より緩やかであることが多い。例えば、エアコンは暑熱ストレスの激化に伴って、更には保護対象となる人口の増加に伴って、冷却能力や稼働日数を拡大する必要がある。 しかしその費用の増加スピードは、少なくとも気温が2℃上昇するまでは、便益の増加スピードよりも緩やかになると考えられる。(コラム「適応策とは、その限界とは」を参照) 。日本では適応費用の75%以上が、BCRが3以上の対策に充てられることになる。

もちろんこれら20種類の対策は、あらゆる災害、あらゆる影響、あらゆる場所を保護するものではない。例えば一時的な冷却シェルターは熱波にさらされる地域で働く都市部の屋外労働者には役立つかもしれないが、農業その他セクターは職場が地理的に分散していて利用が困難であることから、労働者を保護するのは難しいといえるかもしれない。暑熱ストレスと熱波の両方にさらされる地域の屋外労働者については、ここで説明した以外の対策を検討する必要があるかもしれない。例えば労働時間の変更、定期的な休憩、適切な水分補給の維持といった行動面での適応策、農業や鉱業のような仕事で可能なら空調設備付きの機器類を使用するなど、他産業と異なる対策の活用が考えられる 。更に、小島嶼開発途上国のように2℃以上のシナリオでは、適応の限界に直面する国も出てくる可能性がある。これはリスクの上昇幅が対策の効果を上回り、脆弱性の軽減策ではとりわけその傾向が顕著なためである(コラム「適応策とは、その限界とは」を参照)。

図表 8

適応策の費用は、災害の発生場所が拡大し、時に深刻化することで上昇する

トロント、ワルシャワ、京都といった都市は、現状では本稿の定義に基づく4カテゴリーの災害の危険性にさらされていないが、気温が2℃上昇する頃にはさらされる可能性がある 。同時に、現状より深刻な災害に見舞われる場所も出てくるであろう。例えば暑熱ストレスの平均持続期間が現在の12週間未満から、気温が2℃上昇すると約16週間に延び、エアコンの運転時間が長くなるため、電力網の需要が増加し、運転費用が増加する可能性がある。

これら要因を合わせると、先進国で確立された基準を守るための年間費用が現行の5,400億ドルから2℃シナリオになるとなぜ1.2兆ドルに増加するのかが説明できる。この増加分の約3分の2は新たに危険にさらされる地域の人々の保護に充てられ、残りは災害の深刻化対策に充てられる(コラム「災害パターンの深化」を参照)。

個別災害のレベルでみると、一人当たり適応費用が最も高いのは暑熱ストレス、干ばつ、沿岸洪水である。2℃シナリオでは、先進国の基準に則って保護策を提供するということは、エアコンの設置や屋根への白色塗料塗布、灌漑や農作物の遮光、防潮堤や洪水防止といった対策を通じて、約41億人を暑熱ストレスから、15億人を干ばつから、2億人を沿岸洪水から保護することを意味する(図表9)。保護が必要な人の数が現在と比べて最も増加するのは暑熱ストレスと干ばつで、それぞれ22億人と11億人増えると予想されている。その一方で、高さ50cm以上の100年に一度規模の沿岸洪水にさらされる危険性のある場所で暮らす人の数は4,000万人増える可能性がある。しかしそれらの人々全員についてみると、そうした災害にあう頻度は平均で8倍になる可能性がある。

熱波対策については、先進国の基準に即して適応策を実施するために必要な費用は一人当たりわずか10ドル程度である。熱波とはその地域の平均気温を著しく上回る高温が7日以上継続する場合を指すが、その温度は場所によって異なり、例えばフランスのニースでは1日の最高気温が35℃以上、ニューデリーでは同45℃以上である。2℃シナリオのもとでは、こうした熱波に襲われる地域が増える可能性がある 。全般的にみると長期にわたる暑熱ストレスに比べれば衰弱は少ないが、それでも熱波が発生すると、特に社会的弱者に甚大な影響がおよぶ可能性がある。先進国で確立された水準で保護するということは、たとえ10年や20年に一度規模であっても、世界のあらゆる場所でこうした熱波の発生に備えるということを意味する。先進国の基準で保護すれば、早期警報システムや冷却シェルターといった必要に応じて作動する安価な対策でも多くの人々を守ることができると考えられる。

図表 9

GDPとの比較でみると、適応費用は低所得地域の方が高くなる

2℃シナリオのもとでは、適応策の費用は人口集団ごとに不均等なものになる。災害の危険にさらされている低所得地域を先進国の基準で保護しようとすると、その地域のGDPの平均1.7%の費用がかかる(図表10)。低所得の農村部を災害の危険から守るには、GDPの2.5%もの費用が更に多く必要になる。一方、より富裕な地域をみると、適応策に必要な費用がGDPに占める割合は高所得地域で平均わずか0.5%、中所得地域でも同0.8%と、大幅に少ない。こうした格差が生まれる原因は、災害の危険にさらされている場所に住んでいる人が多いこと、更に低所得地域のGDPが低いことにある。

所得層を横断してみると、本稿で試算した都市における適応費用の60-80%が暑熱ストレス対策に充てられることになる。対照的に、農村部は人口密度が低く(そのため全般的に冷房費が低めで、その多寡は一般に1人当たりの金額で把握される)、干ばつの発生が多いため、適応費用の試算額は、複数災害にわたってより均等に分散する可能性がある。

図表 10

適応策に充当される費用はどの程度か

適応策に対する支出額を費用と便益の経済性だけに基づいて決定していたら、現在のような災害耐性の格差は生まれなかったことであろう。ここまで議論したように、本稿で分析した20種類の適応策の便益を合計すると現行の適応費用の約3倍になり、2℃シナリオのもとでは便益費用比率は約7倍に増加する 。明らかなことだが、各々の家庭、政府、企業が異常気象から身を守るためにどの程度の金額を支出するかは費用と便益の経済性以外にも複数の要因によって決まっているのであって、同様の検討事項一式が2℃シナリオにおける適応策の選択にも影響を及ぼす可能性がある。未来が見える水晶の玉などというものはないので、本稿では複数の筋道を大まかに設定し、2050年までに気温が2°C上昇するというシナリオにあわせて適応策を講じるために、ステークホルダーがどの程度の額を支出する可能性があるのかを探った。

2℃シナリオで必要となる先進国水準の防護費用が、ステークホルダーに十分負担されない可能性がある背景

当然のことであるが、政府、企業、個人は経済発展やエネルギー安全保障のような国家的優先事項から市政の優先課題や個人のニーズのような一地域の検討課題まで、様々な要求を懐に抱えている。こうした要求の競合状態は、資源に制約のある中で、利害関係者それぞれのリスク許容度やリスク認識の水準とあいまって、適応策に関する支出の優先順位を決定づける要因となっている。

現在、先進国の基準にあわせて災害対策を実施すると1人当たり平均約130ドルの費用がかかるが、実際の支出額は1人当たり平均約45ドルにすぎない 。1人当たりの適応費用は、2℃シナリオのもとでは現在とだいたい同額になる 。場所によっては、これは管理可能な費用といえるであろう。例えば、130ドルという金額は米国の平均賃金の4時間分弱、あるいは自動車保険の平均最低保険料の約6分の1に相当する 。しかしバングラデシュでは、この金額は月平均世帯収入のおよそ半分に相当し、その40%以上が食料の購入に充てられている 。

適応策の機能は損害の回避という形をとるので、状況は更に複雑になる。これは目に見えるのものではないので、評価が難しい。またこれまで述べてきたように、適応策の機能は災害が実際に発生しなければ実現しない。実例が示す通り、人には異常気象の直後、つまり適応策のもたらす便益がすぐにでも明らかになりそうな時期に投資を行う傾向がある。 例えばカリフォルニア州の政府機関や企業は、2025年にロサンゼルスで山火事が発生したあとに防火策への投資を加速した 。そうした出来事の影響力は、発生から時間が経てば経つほど弱まっていく 。更にリスク認識は現在の気候に合わせる形で変化するかもしれないが、世界の気温が2℃上昇すると、先述のように適応策に対するニーズは全く違ったものになってしまう可能性がある。

更に、適応策への投資に対するインセンティブが整合性を欠く場合がある。投資する人が必ずしも恩恵を受ける人とは限らないため、支出意欲が減退するのである。例えば従来の資金調達方式では納税者全員が防潮堤のようなプロジェクトに資金を提供する一方で、その直接的な恩恵に浴するのは特定の沿岸地域だけである。

資金面の問題以外にも、適応プロジェクトは実行段階で困難に直面したり、展開が遅れたり、時に中止されたりすることさえある。サプライチェーンの問題は、技術的課題、調整面の障害、政治的意志とともに、大規模プロジェクトの進展を妨げる要因となる可能性がある。例えばオランダの「川のための貯水空間」プログラムは、オランダの河川デルタ地帯で暮らす400万人の人々の安全確保を意図したもので、複数階層にわたるステークホルダー間の調整と協議に10年もの月日が費やされた 。

2℃シナリオのもとで現状の保護水準を維持するには、年間4,700億ドル、すなわち現状の2.5倍の費用が必要

地球温暖化が進むと、新たに災害の危険にさらされる地域、あるいは災害が激甚化する地域では、気候条件や人口動向が似ていて、既に災害発生の危険にさらされている地域を見本にして支出が決定されたり、トレードオフが検討されたりする可能性がある。言い換えれば、現状で各地域の適応策に対する支出の決定に影響を与えている要因は、現行の保護水準をみれば明らかなように、今後も変わらない可能性があるということである。例えば現状で都市部の高所得世帯の70%が暑熱ストレス対策の対象となっているなら、将来も同様の割合を想定して対策を講じようとするかもしれない。

こうした場合、2℃シナリオのもとで適応策にかかる費用は、2050年にかけて年間約4,700億ドルに達する可能性がある。これは先進国が設定した基準で適応策を行う場合の支出総額1.2兆ドルの約40%に相当する(図表11) 。これは現行支出の約2.5倍である。この考え方でいくと、災害別にみて相対的に格差が最も大きいのは森林火災対策である。現状で対策がとられている土地の面積が森林火災の危険にさらされている土地全体の約10%でしかないことを考えれば、これは当然であろう。

図表 11

2℃シナリオのもとでGDPの成長に比例して支出を拡大すると、年間6,700億ドルの費用が必要

世界的な経済成長が続けば、適応策のための支出能力も拡大する可能性がある。より多くの人々が裕福になってエアコンを買う余裕ができれば、都市の予算も増え、より強固な洪水対策を施すことができる。

しかし支出面で少し余裕ができることだけでなく、他の要因も人々や政府、企業にとっては将来的に支出を増やす動機となりうる。例えば異常気象の発生頻度がますます高まった場合などがそれに相当する。また上記した通り、適応策の費用と便益に関する経済性は温暖化の進展とともに改善する。

適応支出がどの人口集団でも予想所得の拡大に合わせて増加していくとすると、年間総支出額は約6,700億ドルに増加することになる 。これは現行支出の3.5倍で、2℃シナリオのもとで先進国水準に即して適応策を講じるために必要な推定費用の約60%に相当する。

経済成長が2050年までに適応費用の充足にどの程度貢献するかは、世界各地で一様ではないと考えられる。適応支出を経済成長に連動する形で拡大すれば、高所得地域では2℃シナリオへの適応にかかる追加費用をほぼすべて相殺することができる。しかし低所得地域では、支出の拡大によって追加費用の一部を相殺することはできても、すべてを相殺することはできない。

適応費用と現行支出を地域単位でみていくと、こうした違いがよく分かる。北米を例にとってみよう。現状で気候変動の影響にさらされている場所では、平均するとGDPの0.4%が適応策に費やされている。経済が成長という見込みのもとで、支出額がGDPに占める割合が一定に保たれると想定した場合、これは2050年までに気温が2℃上昇するというシナリオのもとで先進国の水準に即して適応策を講じるための費用を賄うのに十分な額である。しかし新興国にはこれと異なる考え方がある。例えばアジア新興国では現在、気候変動による災害の危険にさらされている地域のGDPの平均0.6%に相当する金額が適応策に費やされているが、2℃シナリオのもとで先進国の基準に即して適応策を講じるための費用は、2050年までにGDPの1.4%に増加する可能性がある 。

日本では2℃シナリオのもとで現行の災害別保護水準が維持された場合、適応費用の80%以上を賄える可能性があり、所得の拡大予想に合わせて支出を増やせば全額を賄える可能性さえある。

もちろん、支出がGDPに連動する形で拡大しない場合もある。国の経済が成長していっても適応策に対する支出がGDPに占める割合が一定に保たれるという確証はない 。オランダは何世紀にもわたって洪水対策に投資してきたが、総支出額が経時的に増加しているのに、GDPに占める割合は低下してきている 。またGDPが同程度で特徴が比較的似ている地域同士でも、支出のパターンはそれぞれ異なる。例えばテキサス州とミズーリ州は1人当たりのGDPが比較的高水準だが、ミズーリ州では河川洪水に対する包括的な早期警報システムが開発されているのに対し、テキサス州の対策の進み具合は地域によってばらつきがある 。

また経済発展の軌跡そのものも既に定まっているわけではない。重要なのは、適応策を講じるか講じないかということ自体が経済発展のペースに影響を与える可能性が高いということである 。研究者複数の所見によると、平均湿球温度29.4℃以上の高温が毎日続くと、屋外労働者の労働生産性が25%低下する可能性がある 。同様に、干ばつや洪水が発生すると農業生産性が低下して零細農家の所得の伸びが鈍り、ひいては農業への依存度が高い国の経済成長が勢いを失う可能性がある 。

世界における適応策の展望

災害のあり方は世界各地で大きく異なる。それに適応するための費用も同様である。一般論として、先進国では2℃シナリオのもとで災害の危険にさらされる地域の割合が少ないので、適応費用は絶対額でもGDP比でも相対的に低いものになる。新興国は災害の危険にさらされる地域の割合がより大きくなるので、先進国水準で対策を講じると、より多額の費用がかかる可能性がある。暑熱と干ばつは世界のほぼ全域で普遍度を増し、費用全般に占める割合が最大になると考えられる。

先進国では適応費用をまかなえる割合が他より高くなる可能性が高い

絶対額で見ると、先進国で確立された基準に則って国民を守るための適応費用が最も高額になるのは中華圏とインドであると考えられ、2050年までに気温が2℃上昇するというシナリオに基づくと、それぞれ毎年2,000億ドル以上となる(図表12)。総額が他地域と比べて相対的に高くなっているのは、両国が災害発生の危険性がある場所に多くの人口を抱えているためである。しかもインドでは、1人当たり125ドルという金額までもが2025年の中央政府予算における1人当たり予算の3分の1以上に達している 。

GDP比でみると、先進国水準に則って対策を講じるための費用はサハラ以南アフリカ諸国が圧倒的に高く、域内で災害発生の危険性がある地域における予測GDPの3%に達すると考えられる。これは2024年に域内各国の政府が対外債務の返済に充てる金額の対GDP比を約50%上回っている 。中東・北アフリカとインドでこうした対策をとるのにかかる費用はこれと少し離れていて、それぞれ2位と3位である。

サハラ以南アフリカ諸国やインドといった低所得地域が2℃シナリオのもとで現行の保護水準を維持した場合、先進国水準に則って対策を打つのにかかる費用の約15%しか賄うことができない。仮にこれら地域の適応支出が予想経済成長率と歩調をあわせて増加したとしても、賄えるのは必要額のわずか25%にすぎない。

一方、先進国は前述の通り、現状でもより高い保護水準の恩恵に浴している。例えば2℃シナリオのもとでアジア先進国と北米がこの水準を維持した場合、これらの地域では適応費用の3分の2を賄える可能性があり、所得の増加予測に合わせて支出を増やすことで、2℃シナリオにおける適応費用を全額賄える可能性さえある 。

図表 12

暑熱ストレスと干ばつは2℃シナリオのもとで先進国水準に則って対策を打つ場合の費用増加分に占める割合が最も高い

気候が2℃温暖化すると、どの地域でも災害発生の危険性がある場所では暑熱と干ばつの発生回数が最も大幅に増加する可能性がある(図表13)。洪水や山火事はまた違った様相を呈する。どちらにせよ、現時点で既に災害の危険にさらされている場所に相当数の人々が暮らしている。しかし災害発生の危険性がある地域の地理的拡大は最小限にとどまるであろうが、現状で災害の危険性にさらされている場所の一部で、災害が発生した場合の被害が深刻化する可能性がある 。そうした場所全体で先進国の保護水準を採用すれば、2℃シナリオのもとで災害の危険にさらされている場所に住む人々を守ることができる。

暑熱にさらされる場所の面積と居住人口は最も増加幅が大きいが、このパターンを適切に解釈するには、幅広い暑熱災害の危険性を理解しておく必要がある。暑熱ストレスは危険地域に毎年甚大な影響をおよぼす可能性があり、対策費用が最も高額な災害のひとつである。発生箇所では毎年最低1カ月は高温多湿の気候にさらされるため、生産性が低下し、涼しくして過ごせない住民の健康に影響がおよぶ可能性がある。2℃シナリオのもとでは多くの地域で暑熱ストレスにさらされる人が増加すると考えられ、低所得地域では同水準の温暖化で危険にさらされる人の数が最大になると予想される。中国、アジア新興国、インド、サハラ以南アフリカ諸国を合わせると、暑熱ストレスにさらされる場所に住んでいる人の数は人口の半数以上に達する可能性がある。対策がとられる場合、こうした場所で暮らす人々はエアコンの設置や都市緑化といった対策によって保護されることになる。

先進国で確立された保護水準でいくと、2℃シナリオのもとではどの地域でも現在より更に多くの場所が熱波にさらされることになる。熱波は社会的弱者にとりわけ大きな打撃を与えるが、前述の通り、この災害は比較的発生頻度が低く、発生期間も短いため、平均的な人々への影響は少ない 。熱波は適応策の費用も比較的安価で、適応費用全体に占める割合はごくわずかである。先進国の水準に即して対策を打つということは、万が一の事態に備えて早期警報システムのような対策を講じることを意味する。

致死的酷暑は現時点ではほとんど理論上の懸念のようなものだが、世界の気温上昇が2℃に達すると、一部新興国でそれにさらされる危険が増加する可能性がある。致死的酷暑とは気温と湿度があまりにも高いために発汗によって身体を冷やすことができなくなる状態を指し、体温が上がりすぎて死に至る場合もある。致死的酷暑の危険にさらされた状態とは、そうした異常な高温と湿度が発生する確率が1%を上回ることをいう。致死的酷暑の危険にさらされた場所は一般に暑熱ストレスや熱波の危険にもさらされており、そうした災害に対する適応策は致死的酷暑に対する防御策にもなる。

図表 13

2℃シナリオのもとで先進国水準に則って対策を打つための費用は、致死的酷暑発生の危険拡大に対応して地域全体で増加する。アジア新興国、中華圏、インド、中東および北アフリカ、サハラ以南アフリカ諸国では、2℃シナリオにおける適応費用の約70%が暑熱対策、主に暑熱ストレスが長期間続いた場合に体を冷やすための空調費に充てられる(図表14)。防御策が現行水準のままだったとしても、これらの地域は適応支出のほぼ4分の3を暑熱対策に充てることになる。

対照的に、欧州30カ国、北米、その他欧州および中央アジア諸国では、暑熱ストレスの危険にさらされる場所に住む人口は10%未満である 。これらの地域では、2℃シナリオにおける支出で最大の割合を占めるのは干ばつ対策である。2℃シナリオのもとで現行の保護水準が維持された場合、その支出の40%以上が干ばつ対策に、3分の1強が暑熱ストレス対策に割り当てられることになる。

図表 14

誰が支払うのか

手持ちの資金を何に使うかを最終的に決めるのは、家計、政府、企業である。前述したように、適応策の決定には費用と便益の経済性だけでなく、支払い能力からリスク許容度、運用上の課題に至るまで、様々な要因が絡んでくる可能性がある。重要なのは、適応策への支出は単に資金があるかどうかという問題ではなく、複数の競合関係にある需要に対してリソースをどのように優先順位づけして充当していくかということである(コラム「対応策を他の支出先との優先順位争いという観点からみる」も参照)。今後は資金調達力や適応策や軽減策の規模拡大能力、更には異常気象による被害の推移と適応策の限界が、社会がどのようなリスクを負うかを決めることになるであろう。

ステークホルダーは複数いるが、いかにして適応策を決定するのであろうか。その費用は最終的に誰が負担するのであろうか。重要なのは、こうした決断は単独でなされるものではないということである。ステークホルダーそれぞれがどのような意思決定を行うかは他のステークホルダーの選択によって決まり、それが逆に他のステークホルダーの選択を決定づけることにもなる。

個人と家庭は暑熱対策の最前線に立っている

2℃シナリオのもとでの適応策に必要な費用1.2兆ドルの約半分は暑熱対策に関するもので、その約4分の3は運営費用である。エアコン、受動的冷房、太陽光を反射する屋根といった暑熱対策の多くは、経済的余裕があれば個人でも実施できる。前述の通り、経済発展に伴う個人の所得向上はその一助になる。だが家庭レベルの適応策は単なる個人の経済的問題ではない。政府は気候変動リスクに対する認識を改善し、リベートや税制優遇措置、コスト削減やサプライチェーン強化に向けた調達計画を通じて経済的負担を減らすことで、個人の意思決定のあり方に影響力をおよぼすことができる。オーストラリアのクイーンズランド州が実施している政府の洪水対策助成金を活用した改修の支援、カナダのトロントにおけるエコルーフ奨励プログラムは、的を絞った政策を行うと適用策の導入がどれほど進むかを端的に示している 。またニューヨーク市はエアコンの購入と設置に関して社会的弱者に支援を提供している 。後述するように、保険会社も適応策の導入を促すことができる。実際問題としては、民間の能力と公的支援のバランスによって、各家庭が適応策を導入する範囲と時期が決まることになる。

政府は特に洪水や森林火災に対する大規模な防護インフラを構築、整備することが可能

洪水防止用の堤防築造や森林火災予防策など、大規模なインフラ整備が必要な災害には年間約1,600億ドルもの資本支出が必要で、その実施にあたっては政府がより中心的な役割を果たす可能性がある。そうした場合、地域社会全体のリスク許容度やさらされる危険の程度が、リスクに適応するかそのまま受け入れるかの決定に影響する。

更に、そうしたプロジェクトには多額の資金が必要なため、資金調達をどうするか、納税者と投資の受益者にどのような形で費用を分担させるのが最善かという問題が生じる。一部にはロンドンで160億ポンドの予算をかけて進められている「テムズ河口2100年計画」のように、企業、開発業者、保護対象の土地所有者が計画義務や地域課徴金といった手段を用いて資金を拠出する「受益者負担」モデルを追求しているプロジェクトもある 。

必要になる資金の額やプロジェクトの一般的な耐用年数を考えると、こうした対策は現在の気候条件だけでなく、将来的な気候変動も考慮に入れて慎重に設計する必要がある。そのためには、例えばプロジェクトに柔軟性やモジュール性を持たせて、リスクの変化に応じてアップグレードできるようにするといった手法が考えられる。その一例がテムズ河口計画の根幹となるテムズ川防潮可動堰で、この堰は海面上昇に合わせてゲートを増設し、防御力を高められるように設計されている 。2℃を上回る温暖化を念頭においておくことも特定の場所では重要で、長期的な視点に立つことで、短期的な視点しか考慮しない場合とは異なる施策を打ち出せる可能性がある。例えばゾーニングを行って、単なる防御設備を構築するのではなく、災害の影響を受けやすい地域における構造物の建設を制限するという手法が考えられる。更に政府が都市計画プロジェクトやエネルギー転換関連のインフラ整備といった広範な公共インフラ投資を行う場合、そうした投資案件の設計仕様を気候変動に対する適応性を備えたものにすることもできる。

もう一つ検討すべき事項は、気候モデリングに伴う不確実性、とりわけ地域の意思決定に関わる微細なレベルでの不確実性をどのように管理するかという点である。それによって雨水排水ネットワークの流下能力、沿岸の洪水防御の高さといった設計のパラメータに影響がおよぶ可能性がある 。適応計画の策定にあたっては、どのような予測シナリオのもとでも便益が得られる「後悔のない」対策の実施から、上述のようなより慎重または厳格な設計基準の適用や柔軟な戦略の採用まで、様々なアプローチを通じて不確実性を勘案することができる。トリガーポイントを設けておいて将来的に状況変化があれば介入できるようにするという手法もその一例である。

政府は大規模な公的適応プロジェクトで中心的な役割を果たすばかりではない。適応策の支援という点で縁の下の力持ち的な役割も果たしている。例えば社会的保護を提供し、補助金の直接的な支払いやコミュニティレベルの投資によって最も弱い立場にある人々を支援することができる。ただし、アプローチはその場の状況や政治理念によって大きく異なる。例えばソウル市やアリゾナ州フェニックス市などでは低所得世帯を対象に、エアコンの設置や修理のような冷房対策に補助金を出している 。またインドでは公共機関が干ばつに強い作物の作出や灌漑システムに投資し、零細農家の適応に対する取り組みを支援している 。もう一つのアプローチとしては、住宅浸水対策のような適応策の初期費用を補填し、固定資産税評価を通じて時間をかけて返済できるようにするというものがある 。

政府が適応策の支援に用いる別手段として、計画策定や基準設定がある。土地利用を規制するとリスクの高い地域での新規開発を防ぐことができ、建築基準法を改正するとより強靭な不動産開発を促すことができる。こうした基準を設けておけば、将来起こりうる気候変動に事前に対処することが可能になる。例えばニューヨーク市は洪水が起こりやすい地域で建物の新規建設を制限しているし、フランスは公共建築を新築する際に遮光と換気を取り入れることを義務づけている 。もうひとつのアプローチとしては、広く認められた基準を導入して保険会社など民間の利害関係者が適応策を推奨できるようにするという手法が考えられる。例えば米国のFORTIFIED Homeプログラムは暴風雨に強い物件を認証するもので、認証を取得した物件の保険料を安くする設定することができる 。

企業は様々な災害に対する耐性を調べ、対策のメリットを比較検討することができる

極言すれば、企業は大企業から中小企業に至るまで、どこでどのように災害耐性強化策に投資し、どこである程度のリスクを負担するかを決定する必要がある。もちろん大企業は資金も人材も潤沢なので目算は違ったものになるかもしれないし、中小企業は資金面の制約が大きいかもしれない。

企業がどのような点に即して決断を下すにせよ、決断の内容は公共インフラや家計の所得水準といった、より広範な状況に左右される。政府が建設した堤防の背後で事業を営む企業は、直接的に洪水の危険にさらされる企業とは異なる目算を立てることになる。同様に、インドのインディラ・ガンディー運河のように政府が支援する大規模な灌漑システムのある地域で事業を行う企業と、公的機関が灌漑を管理していない地域で事業を行う企業とでは、干ばつリスクへの取り組み方が変わってくるであろう 。

企業が事業運営やサプライチェーン、あるいは流通チャネルにおける直接的または間接的な被災確率の抑制策に投資する場合、投資手法には多数の選択肢がある。現時点でも公益企業から食品や飲料を扱う企業に至るまで、様々な企業が気候変動リスクの抑制方法を積極的に検討している。現在稼働中の対策としては、浸水対策、建物周囲の防火壁、マイクログリッド、冷却システムなど、事業所単位の防御策があげられる。

適応策に関する決定を将来予測的な資本計画にどう組み込むかという点も重要な検討事項である。例えばコーヒーやワインのような特殊作物は従来と異なる地域でも生育する可能性があるため、農業従事者の中には栽培区域の移動を検討するところがあるであろう。また施設を新設する場合は、被災の危険性が低い場所に建設することができる 。

更に企業は従業員や顧客、更には周辺地域にまで支援を広げることができるし、既に多くの企業がそうしている。企業の一部には冷房ハブのような地域インフラに資金を提供したり、生態系の修復や水利用への取り組みを通じて農村部の生活を支援したり、更には生態系保護回廊を設けて干ばつや洪水の影響が周辺におよばないようにすることで、地域の災害耐性強化に向けた取り組みに直接的に投資しているところもある。

気候条件の変化によって、適応策に用いる製品やサービスの需要に応える機会が新たに生まれる可能性もある。個人や企業といった民間の活動主体が災害にあう危険を抑制しようとしたり、政府が国民を守るために投資したりすることで、収益源が生まれるかもしれない。例えば暑熱や水害に対する建物の耐久力を高める屋根材、断熱材、防水材を扱う企業が収益機会を手にすることがあり得る。気候変動に適応する上で不可欠な要素のひとつは、企業が解決策の提供に加わることである。例えば企業がもたらすイノベーションによって、適応策の費用削減、送電線の地中埋設、灌漑、空調といった技術の効率化と有効化が促進される。

資本の解放:資金調達と適応策の拡大

資金調達なくして適応策はありえない。本稿で分析した20種類の適応策にかかる費用全体の約40%は資本支出で、洪水のように大規模なインフラを必要とする災害では、その割合は更に高くなる。エアコンのような消費者主導の対策は、事前に必要な資本支出は比較的少額かもしれないが、それでも投資額は個人や世帯にとってかなり負担の大きいものになる可能性がある。

いずれにせよ適応策向けの資金調達は困難で、構造的障壁が多数存在する。資金を拠出する側と恩恵を受ける側が必ずしも同一ではないため、投資のインセンティブが整合性を欠いたものになる可能性がある。便益は損害の回避という形でもたらされ、直接的な売上に結びつかないことが多いこと、根本的な気候変動リスクの評価が困難であることから、便益の価値や発生時期が不明確である。

本稿で検討した20種類の適応策を実施し、2℃シナリオのもとで現行の保護水準を維持するには、2050年までに合計6兆ドルもの資本支出が必要になる 。その一部は個人、政府、企業に適応策自体の資金を提供させることで賄えるが、多くは外部からの資金を必要とするであろう。金融機関はそうした資本を動員する上で極めて重要な役割を果たすことができるが、その第一歩となるのは既存金融商品の拡販である。例えば銀行は耐水化のような家庭の改修工事向けに融資を行うことが可能で、特に住宅ローンで関係を構築済みの場合は融資しやすいと考えられる。同様に、大規模インフラ案件のプロジェクトファイナンスに災害耐性強化用の先行投資を盛り込むこともできるであろう。

2℃シナリオのもとで世界中の災害防御策を先進国水準まで引き上げるには総額約15兆ドルの資本支出が必要となり、資金需要は更に増大する。こうしたニーズを満たすには、従来の金融商品の規模を拡大したり、適応策に特化した新しい融資ソリューションを考案したりする必要があるであろう。

譲許的融資と市場金利による融資を組み合わせた混合融資モデルや地方債のような手段は既に適応策の支援に活用されており、規模を更に拡大することができる 。例えばマイアミが4億ドルを拠出して創設したMiami Forever Bondは、気候変動対策だけでなく、インフラや公共安全施策など他の自治体の優先案件にも資金を提供している。

耐性強化債券のような新しい仕組みは更に進んでいて、資本の充当先を適応策だけに絞ったり、場合によっては支払い額を災害耐性強化の成果を数値化したものと直接的に連動させたりするという手法を採用している。東京都が認定を取得したレジリエンスボンドは、洪水対策や電柱の地中化といったプロジェクトに資金を振り向けている 。これと並行して、機関投資家も災害耐性強化策への資金提供や適応策向けの製品やサービスを提供する企業への投資に関心を示し始めている。そうした企業を特定し、重点的な投資戦略の策定を可能にする新たな分類法が登場してきていることも、その促進要因となっている 。

金融機関はこうした適応資金調達市場の拡大に対応するため、気候リスクのモデル化、適応から得られるリターンの定量化技術、引受や投資の枠組みへのレジリエンス指標の組み込みなど、新たな能力を構築する必要がある。

最後に、適応策の資金調達額は当然ながら個人、政府、企業からのリスク管理策に対する需要がどの程度あるかという点に左右されるが、金融機関が需要を喚起し、規模拡大の促進をねらって積極的に対策を打っている例も一部にみられる。カリフォルニア州では保険会社が森林火災への適応策を導入する住宅所有者に対して損害保険の保険料割引を始めている。ただしそれがどの程度普及につながっているのかを判断するには時期尚早である 。

事態の収拾:適応策がない場合、あるいは不十分な場合、誰が資金を拠出するのか

他のリスクも同様だが、気候変動に関するリスクを抑制したいと望んでいる人々や組織は、投資を通じて様々な度合のリスクに適応すること、あるいはリスクを分担することができる。これまでみてきたように、リスク許容度から支出の優先順位、他のステークホルダーの意思決定まで、家計、政府、企業の意思決定に影響をおよぼす要因は実に様々である。

リスクの一部または全部を負担することを選択した人は、保険を活用してその経済的負担を管理または移転することができる。一般的な損害保険のプランでは、契約者は年間保険料を支払い、例えば洪水被害が発生した場合に保険金を受け取る。パラメトリック保険はこの変異型で、特定の測定可能なトリガーイベント、例えば一定温度以上の熱波が一定日数以上発生した場合に、契約者に所定額が支払われる。従来の損害保険と異なり、パラメトリック保険は実際の物理的損害の評価を必要としないが、トリガーとなるパラメータの設定と監視は慎重に行わなければならない。 最近ではインドの女性農業従事者や香港の建設労働者を対象に、猛烈な熱波襲来時の収入減を保障する保険プランの提供が始まった 。

当然ながら、ステークホルダーは保険に頼らずにリスクを緩和することを選ぶかもしれない。保険は常に活用できるとは限らないし、高価すぎるかもしれない。リスクが深刻化している場合はなおさらである。 また適応策が稼働している場合や保険が活用できる場合であっても、災害によって想定以上の損害が発生し、システムのどこかで吸収しなければならなくなる可能性がある。損失を吸収するには、一般家庭は貯蓄を取り崩すか借金をし、企業は資産を償却し、保険会社や再保険会社は保険金を支払う必要がある。所得の高い地域や人口集団の多くでは、公的機関が最終的に保険会社のような役割を果たしてくれるのではないかという期待感も、民間の適応策やリスク削減策を奨励する制度を弱体化する要因となる可能性がある 。結局のところ、誰かがリスクを負担しなければならないのだ。


人類は長年にわたり、しばしば独創的な方法を用いて異常気象に適応し、干ばつ、森林火災、暑熱ストレス、洪水にさらされた世界を生き抜いてきた。世界では費用対効果の高い適応策が数多く開発され、現在も使用されている。しかし災害耐性の格差は解消せず、気候の変化とともに拡大、進化していくであろう。適応策にかける費用を増やすか否か、どのようにして増やすかを決めるのは、最終的には各々の家庭、政府、企業である。現時点における災害耐性格差と将来的ニーズを理解しておくことは、こうした選択をする上での参考材料となり、更にはあらゆる人々の幸福と繁栄の増進を支える力となるであろう。