ほとんどの人は「ウサギとカメ」の寓話をよくご存じだろう。2匹の動物が、どちらが速いかを競い合う。ウサギはスタートと同時に全力疾走し、すぐに見えなくなる。レースの途中で勝利を確信したウサギは居眠りを始める。しばらくたってから、安心しきって眠っているウサギのそばをカメはゆっくりと通り過ぎる。ウサギが目を覚ました時はすでに手遅れで、全速で走ってもカメを追い越せなかったという話である。
この物語は、ギリシャのイソップが小さな出来事の示す偉大な真理を語ったものとされるが、さて果たして、このような単純なストーリーが、現代のCEOにも当てはまるだろうか。CEOが遭遇する現実は、ゆっくりと着実なカメに追い越されるよりも、はるかに大きな脅威にさらされている。例えば、予測不能な天候のもと、予期せぬ曲がり角や様々な条件の路面が次々と現れるサーキットで、最新鋭のF1マシンを操る世界トップクラスのドライバーに追いかけられているようなものである。
ウサギ型のCEOは、就任早々、大胆なビジョンの設定、優先度の高い戦略的施策の遂行、適切な人材の確保と説明責任の導入、ステークホルダーの信頼獲得、重要課題への注力など、必要な取り組みをすべて実施し、大きな価値を生み出すだろう。
一方で、好スタートを切れなかったカメの立場のCEOはどうだろうか。最悪の場合は職を解かれる。そうでなかったとしても、右肩上がりの大幅な改善計画は、時が過ぎてもほとんど進展が見られず、期待していた改善が達成できない「ホッケースティック」シンドロームに苦しめられるだろう。そして、ウサギ型のCEOにとっても、この先が正念場であり、イソップの寓話が示すように、慢心という最も手強い課題に直面することとなる。
別の言い方をすれば、CEOとして成功するのはとても難しいが、成功し続けることはさらに難しいということである。このことは実際に、2000年のフォーチュン500に名を連ねた企業の実に半数以上が、その後15年以内に倒産、消滅、もしくは買収されている1というデータが裏づけている。
CEO 就任直後の数年間に、目標達成に向け注いできた集中力やエネルギーは、任期中盤に差し掛かると途切れてしまう可能性が高い。このタイミングで慢心に陥るおそれがあるということは、頭では容易に理解できる。誰しもチャンピオンベルトを勝ち取った後に、ハングリーな新人にあっさりとベルトを奪われるようなボクサーにはなりたくないし、シングル1曲がプラチナヒットしただけの、一発屋として有名なバンドにもなりたくない。ただこれまで、自ら「私は満足し始めた」と述べたCEOに会ったことはないが、目の前にカメが現れたときに、はたと自分の慢心に気がついたCEOには何人も出会ってきた。
ここで、21世紀で最も尊敬され、影響力があり、成功を収めたCEOの1人である、JP モルガン・チェースのジェイミー・ダイモンを例に取り上げたい。CEOの在任初期に、2008年の世界的な金融危機を巧みに乗り越え、1年後には監査法人ブレンダン・ウッド・インターナショナルの「トップガンCEO」の一人に選ばれた2。ところが、 2012年には、JPモルガン・チェースは約60億ドルの取引損失を被り、危機に直面した。何がいけなかったのかと問われたダイモンは、「私が学んだ大きな教訓は、どれだけ過去に成功した実績があるとしても、決して慢心すべきではないということだ」と述べた3。
このような問題は、理屈よりも感情的な側面が原因で起こることが多い。CEOとしての任期中盤に差し掛かった今、あなたは組織の現状を作り出した張本人である。それは、あなたが計画して推し進めている事業だ。そのため、ビジネスを冷静に判断し、順調に進んでいるものを中断したりすることが非常に難しくなる。しかも成功すればするほど、自分の判断に対する自信が高まっていく。
モルガン・スタンレーCEOのジェームズ・ゴーマンは、「CEOを長く続けることの問題点は、誰もが、CEOがすべての答えを持っていると考えてしまうことだ」と言う。「自尊心は満たされるかもしれないが、非常に危険なことだ4」。
会社のすべてのことがCEOの役割であるかのように、会社組織自体のダイナミズムが、CEOであるあなたと同一視されてきてしまう。伝統的な競合がバックミラーから消え去り、入れ違いに新興の競合が力を集め出したとき、勝利とはどのようなものかを定義することはますます難しくなる。またCEOの就任当初に持っていた変革の勢いはとっくに賞味期限切れとなり、従業員もまた、あなたが取り入れた新しいやり方にすっかり慣れきっている。CEOが主導して更なる変革を起こさない限り、組織は現状に甘んじることになってしまう。
では、任期の中盤において、CEOが慢心を戒め、高いパフォーマンスを維持するにはどうすればよいのか。私たちは、魔法の公式を提供できるわけではないが、卓越したCEOに関する継続的な研究と経験から、成功の確率は以下の取り組みにより大きく高まると確信している。
- 学びの幅を広げる
- 外部目線を持つ
- 次の成長曲線を周りと協調して定義する
- 先見性を持って組織の舵を取る
学びの幅を広げる
CEO 就任当初の数年、あなたは非常に多くのことを学んだはずだ。顧客、従業員、投資家、アナリスト、取締役、その他のステークホルダーと交わした会話は今日の成功につながる戦略の形成に役立った。そして数年後、あなたの体験や知見を共有してほしいという多くの依頼を受けることになる。これは光栄なことであるが、その陰に潜む落とし穴について、ガルデルマのフレミング・オルンスコフCEOは次のように述べている。「多くの魅力的な誘いがある。依頼を引き受け、賞を獲得することも、栄誉を得ることもできる。それは決して悪いことではない。しかしながら、CEOの最も重要な仕事は、前年を上回る実績を残すことである」。
これは、社外での活動は控えるべきだという意味ではない。重要なのは、自身の成功体験を話すのではなく、他者の話に耳を傾け、学びを深め、点と点とをつなげて新たなアイデアを生み出すことに時間を費やすべきという点だ。オルンスコフの場合、早くから成功を収めたため、チームに多くの権限を委譲し、社外で多くの時間を使うことができた。ただし、その活動は、自社の競争優位性の維持に貢献し得ると判断した要件のみに限定した。「私は業界における主だったオピニオンリーダー全員と知り合いだった」、彼は続けて「業界の現状の把握、患者との面会、医師との面談。そして最新の研究成果を求めて学会に出席し、現場での競合の動向の把握のためなどに非常に多くの時間を費やした」と語った。
オルンスコフが学びに費やした時間は、確かな成果につながった。「当社が実施したM&Aのうち少なくとも2~3件は、面識のあった医師の『この件については真剣に検討すべきだ』『私はこの製品開発に携わっている』『この臨床試験の患者を診察したことがある』といった言葉がきっかけとなった」。世界的なプロフェッショナルサービス企業であるエーオンのCEOグレッグ・ケースもまた、顧客との会話を商品開発の新たなアイデアへとつなげている。サイバーセキュリティおよび知的財産に関するリスク管理商品に関して、ケースは自身の哲学をこう述べる。「顧客にサービスを提供するために顧客と対話するのは当然だが、顧客がどう変わりたいかを把握するためにも対話するのだ」。また、レゴの元CEOヨアン・ヴィー・クヌッドストープにとっては、レゴのアダルト・ファン・コミュニティという一見ありそうもない顧客グループが非常に有益な存在となった。「当初、このグループの動向は不透明で、コアな顧客層とはみなしていなかった」。彼らは定期的にファンミーティングを開催しており、クヌッドストープは一度そのミーティングに参加してみることにした。するとグループのメンバーは彼を信頼し、その後、様々な提案を行うようになった。現在、レゴの成人顧客は世界で100万人を超えており、レゴの世界全体の売上げの30%を占めている。
DSMの元CEOフェイケ・シーベスマも、社外のネットワークからひらめきを得ている。「世界各地を巡り、ビジネス、科学、社会の分野で様々な人とつながりを持ち、人脈を築いた。一見関連性がなさそうなものを組み合わせて、新しい何かを生み出すために」。彼は、中東などで業界の専門家を訪ねた際に、DSMは決して世界の石油・化学大手には太刀打ちできないと確信した。一方で、様々な組織、特に国連との関わりを通じて、持続可能な開発および健康的な食品という、まったく新たな分野で成長機会が生まれつつあることに気がついた。「その結果、石油化学事業から撤退し、経営資源を栄養・健康分野の事業に移行させるという考えが浮かんだのだ」と語った。
投資家もまた、新たなアイデアの源泉となり得る。世界的な食品会社であるゼネラル・ミルズの元CEOケン・パウエルは、次のように振り返っている。「私は主要株主と多くの時間を過ごした。もちろん、短期的な収益を望んでいる人もいたが、極めて建設的で、長い間、業界に高い関心を寄せていた人も確かに存在した。その人たちとの会話からは、たくさんのエネルギーをいただいた。そして、それは私たちの考えに磨きをかけたり、すでにあったアイデアの強化にもつながった」。デュポンのCEOエド・ブリーンは、さらに一歩踏み込んでいる。「私は、もの言う株主、アクティビストと関わりをもっている。彼らの意見に耳を傾けてみると、優れたアイデアを持っていることが多い。彼らのホワイト・ペーパーに書かれていたことの8割には同意できたが、同意できなかったのが問題を解決する方法だった。ただ彼らのスタンスは『エドがもっと効果的な解決方法を知っているならば、その方法で構わないから、とにかくやってほしい』ということで、要は問題を解決することが彼らの望むことなのだ。これを理解して交流すると、往々にしてアクティビストを味方につけることができるということが分かった」。
ブリーンはまた、非公式な場で、重要なトピックについてCEO同士で話ができるような場に参加するよう、アドバイスしている。「それぞれの市場で実際に起こっている話を聞くと、ウォール・ストリート・ジャーナルを読むよりも、はるかに深く、多くのことを学べる」と彼は言う。「私は今でもこのようなグループと会う機会を持っている。そしていつも6~7個の新しいアイデアを持ち帰っている」。同じように、イントゥイットの元CEOブラッド・スミスは、四半期に一度、アマゾン、フェイスブック、グーグルなど他社のリーダーに密着(シャドーイング)し、学ぶ機会を設けていた。「彼らには、『壁のハエのような存在でただただ観察したい。展示会用ではなくありのままの姿を見せて欲しい』とお願いしていた」。スミスは終日ひたすらメモを取り、最後に気づきを彼らに渡した。自社内には、そこで学んだことをまとめ共有した。「それを、みんなは『ブラッドおじさんの報告書』と呼んでいたが、そのレポートには私が学んだことすべてが詰まっていた」と語った。優れたCEOの多くは、定期的に自らのチームとともに他社を訪問し、学びを得る機会を設けている。
他業界の取り組みを参考にすることは時に強力な武器になる。ネスレの元CEOピーター・ブラベック=レッツマットは、ディズニーから大いに刺激を受けた。ディズニーは新たなアニメ映画の構想をしている段階で、すでに10年先を見据えた最大限の活用を考えているということを学んだ。「1つの製品用のみに1つの成分を開発すると、その価値は限られる。そこで私は、栄養成分をどのようにブランド化し、それを10年間にわたってどう活用するかを考えた」。「人はそれぞれの方法でモノを作り、それぞれのやり方で業務を遂行している。だからいつでも他の組織から何か学べるし、自らの組織で応用できる」。
学びの場は、もちろん社外だけではない。イントゥイットのブラッド・スミスは次のような取り組みを行っていた。「週に2回、社内の若手の社員、8~10人と会う場を設けた。毎回参加者に『半年前よりよくなったこと』『進捗が遅れている、または間違った方向に進んでいると思うこと』『CEOである私が知っておくべきことなのに、誰も私に伝えていないと思うこと』という3つの問を投げかけた。このように階層を飛び越えて、自分自身が学びたい領域の最前線の社員と直接話をするのは、とても素晴らしいことだ。情報のフィルターがないのだから」。
外部目線を持つ
ここではまず、ノーベル賞を受賞した心理学者ダニエル・カーネマンが行った実験を紹介する。あるスーパーで、キャンベルのスープを「お一人様12缶まで」という表示とともに、1缶79セントの特価で販売した5。別のスーパーでも、同じ商品をまったく同じ価格で販売したが、購入数の制限は示さなかった。その結果、1軒目のスーパーでは1人当たり平均で7缶購入し、2軒目ではわずか3缶だった。
なぜこのような結果となったのか、そしてそれはどうしてなのか。この実験で示されたのは「アンカリング・ヒューリスティック」と呼ばれるものである。ヒューリスティックとは認知バイアスとしても知られている概念で、脳が複雑な判断を単純化するためにショートカットしたり、自らの経験や先入観に基づき(正しいかどうかは別として)素早く判断を行うことである。この実験で1軒目の買い物客の脳は「お一人様12缶まで」という情報をアンカー(係留)にして、そこから下方へ調整した。2軒目の買い物客は、特定の数字が頭になかったため、普段購入しているのと同程度、あるいはゼロから上方へ調整した数を購入したのである。
では、この学びを、CEOの戦略策定の場面に当てはめてみよう。多くのCEOは毎年、前年度の状況を「アンカー」にして戦略を策定する。それとは対照的に、卓越したCEOは、CEO就任当初と同様、先入観のない社外の人間であるかのように、事業のあらゆる側面を定期的に徹底的に分析する。過去に縛られることも、社内のしがらみにとらわれることも、短期的な圧力に屈することもしない。
果たして、現職のCEOが実際に部外者のように大胆に振る舞うことができるだろうか。答えは「イエス」である。1980年代初頭、インテルの利益は1年間で1億9,800万ドルから200万ドルに激減した。当時の社長アンディ・グローブは、当時CEOのゴードン・ムーアに「もし私たちがお払い箱になって、取締役会が新しいCEOを連れてきたとしたら、その人は何をすると思うか」と尋ねた6。ムーアは間髪入れずに「メモリチップから撤退するだろうね」と答えた。グローブはしばしムーアの顔を凝視したあと、「それなら、我々が一度会社を辞めたつもりになって、自分たちがそれを実行したらどうか」と返した。その後のことは、周知のとおりである。インテルはDRAMチップ事業から撤退し、マイクロプロセッサという新たな製品に社運をかけた。その結果、コンピューターの新時代を切り開き、何十年にもわたる大きな成功を収めることとなった。
CEOが外部の第三者の視点を手に入れる方法はひとつではないが、どのような方法にせよ、基本的には以下のような一連の問いに対して、事実に基づき、答えを求めていくことである。
資本市場
- 過去の様々な期間において、株主還元をけん引した要素は何か
- 現在、自社の企業価値は競合と比較してどのように評価されているか。その根拠は何か
- 自社の企業価値を高めるのに最も効果的なのものは何か(成長率、収益性の向上など)
戦略
- 事業内容、活動地域、業界、製品ライン、顧客セグメントは適正か
- そういった事業展開の領域で、いかにして競争優位性を高められるか
- 自社の成長にとって最もポテンシャルが高いM&A、パートナーシップ、事業売却の機会は何か
セールス•マーケティング
- 売上高成長(販売数量 x 販売価格)を改善する機会は何か
- 事業を展開している各地域・領域の現在の収益性および将来性はどうか
- 販売チャネル、顧客セグメント、製品のそれぞれに関する、顧客の声および競合の動きはどうなっているか
コストと資本
- 直接費および間接費のコスト改善機会はどこに存在するか
- 設備投資効率を大幅に改善させるにはどうすればよいか
- 資本構成をより強力にするにはどうすればよいか
組織
- 社内コミュニケーションや従業員エンゲージメントを抜本的に改善するにはどうしたらよいか
- 実行力とスピードを高めるにはどうしたらよいか(例えば、組織体制の再編、インセンティブ制度の導入、各会議体の変更など)
- 現在の人材および人材価値の中で刷新すべき領域と、新たに能力を構築すべき領域はどこか
レピュテーション
- 自社が環境に与える影響、およびどうそれを改善できるか
- 社会課題(多様性、ウェルビーイング、地域社会への貢献など)に対して、どのように取り組んでいくべきか
- 自社のガバナンスモデルの強靭性はどうか
プライベートエクイティに身を置くものなら、自らのプレイブックを基にこれらの問いに対する現実的な答えを導き出すだろう。ファンドの世界では、2~3年に一度、資産を再評価し、その結果に応じた大胆な行動がとられる。ファンドが投資対象企業を見る時には、新たな論理的な株主の目線で、新たな投資テーマを形成しようとする。そうすることで、かつて当該企業の投資テーマが形成された時から、企業と外部環境の双方がどう有意に変わっていっているかを確認できる。もちろん、必要な時には異議を唱えねばならず、「権力に対して真実を語る」ことが推奨される。この思考プロセスは、どのような組織においても役に立つ。「自己を刷新する必要がある。世界が変化しているのだから、自分自身も変わらなければならない」とイタウ・ウニバンコの元CEOロベルト・セトゥバルはアドバイスする。
成功を収めるCEOはまた、自分のリーダーシップスタイルに対しても、外部からの視点を進んで受け入れる。このためには、幅広いステークホルダーからどれだけ率直な評価を集めることができるかが重要だ。それによって、劇的な変化をもたらすことがある。イントゥイットのブラッド・スミスは、次のように語っている。「CEOを11年間務めたが、その6年目に、私への360度評価のひとつに、『ブラッドはこの会社の社員のレベルを低下させている。公の場では褒め、指導は私的な1 on 1の場でするという方針らしく、人前では誰のことも注意しない。ただそのせいで、彼がCEOとして社員に求めているレベルの本当のところを知る機会がない』というフィードバックがあった」。会社から、今とは違う自分が求められていることを知り、スミスはやり方を変えることにした。「人には優しく接しても、問題に対しては厳しく対処することを自分自身への課題として、全社員にもそのように伝えた。さらに、『もし、皆さんの仕事が満足いくものであるかどうか、私の評価がまだ不明瞭であるならば、そう指摘してほしい。ただし、私は皆さんに恥をかかせるつもりで言うわけではないということも分かってもらいたい』と付け加えた」。
次の成長曲線を周りと協調して定義する
卓越したCEOは、着任してから3~5年目の間に、様々な機会で学びを得て、外部の第三者の視点を組み合わせ、どうやって自社の業績を上げて成長曲線を描くかを検討する。どのような戦略においても戦略を策定し、施策を立ち上げたばかりの初期段階は進捗が遅くゆるやかである。その後、様々な施策の成果が累積することで達成度を示す曲線が急上昇する期間が続き、一連の施策の価値がほぼ刈り取られた段階で、曲線の角度は再びなだらかになる。この軌跡をS字カーブという。マッキンゼーの元グローバル・マネジング・パートナーであるドミニク・バートンは、S字カーブを次々と設定していくことの重要性を、次のように語っている。「多くの組織は変化を好まないため、変化のリズムを意図的に作る必要がある。それは、組織に『ショック療法』を行うようなものだ」。
ベスト・バイの元CEOユベール・ジョリーは、自社に「ショック療法」を与え、S字カーブを連続して展開した背景を次のように説明した。「まず私たちは『リニュー・ブルー』と名づけた経営再建から始めた。そしてある時点で、この取り組みの終了を宣言すべき時が来た」。ジョリーは、ベスト・バイが成長期に入る準備が整ったと判断し、「ニュー・ブルー」という新たな戦略に移行した。ジョリーは経営再建中には、価格一致保証の提供、海外市場からの撤退、ベンダーとのパートナーシップの見直しなど、大胆に取り組んでいたが、ここへきて成長を見据えた次なる「ショック療法」を断行し、スマートホーム市場における業界トップの地位の獲得、センサーやAI関連事業で高齢者介護市場への参入、ベスト・バイ以外で購入した製品であっても顧客サポートが受けられる「トータル・テック・サポート」プログラムの導入などを展開した。
2つの連続するS字カーブでベスト・バイを主導した後、自社の次の飛躍に向けて、ジョリーは後継者にバトンを託した。一方で、CEO在任中に長期にわたって複数のS字カーブを主導することを選択するCEOも存在する。
ロベルト・セトゥバルは、ブラジルのイタウ・ウニバンコでCEOを22年間務めたが、その間に彼は4つのS 字カーブをけん引した。第1幕では、経営難に陥っていた4つの大手国有銀行を短期間で買収・統合し、バンコ・イタウを地方銀行から全国規模の銀行へと成長させた。第2幕では、大規模な投資を行い、同行をリテール専業から、コーポレートバンキングや投資銀行の分野でトップの銀行へと押し上げた。その間、プライベートバンキング部門にも業務を拡大し、さらには中南米地域の他の3カ国での事業展開を開始した。第3幕では、アジャイルなオペレーティングモデルを導入し、経費を大幅に削減して効率性を高め、自行の組織文化を刷新した。さらには、ウニバンコとの合併を目指して交渉を進め、実現を果たした。そして最終の第4幕では、ブラジル国内での成長を積極的に推進すると同時に中南米地域でのさらなる拡大を図り、デジタル化に優先的に投資を行った。
CEOは、次のS字カーブを明確に定義する必要があるが、その後、ただ組織に命じて実行されることを期待すべきではない。卓越したリーダーは、S字カーブの計画の際に他のメンバーを巻き込むことが重要であるということを、意識的に、時に無意識に理解している。この教訓は、前出の心理学者、カーネマンが行ったもうひとつの社会実験の結果からも読み取れる。その実験では、カーネマンは宝くじ大会を開催した7。参加者の半数にはすでに番号が書かれた宝くじを配布し、残りの半数の参加者には、白紙のくじとペンを渡して、自分で好きな数字を書き込むよう依頼した。 宝くじの抽選が行われる直前に、実験を主催した研究者が参加者全員に、手元の宝くじをすべて買い戻したいと持ちかけた。自分で数字を書き込んだ参加者と、任意の数字が書かれた宝くじを渡された参加者との間で、宝くじと引き換えに支払うことが求められる金額に、どの程度の差が生じるかを調べることが目的だった。
理論上は、研究者が各参加者に支払う額は同じでよいはずである。なぜなら、宝くじはまったくの偶然によるものだからである。数字を自分で選ぼうが割り当てられようが、当たりの確率はどれも同じであるため、どの数字も価値は同じはずである。ところが、実験の結果は、予想どおり、この理屈には合わないものであった。国籍、年齢、宝くじの賞金額を問わず、自分で好きな数字を書き込んだ参加者は、数字があらかじめ書かれたくじを渡された参加者よりも、5倍以上の買い取り額を求めてきた。この結果は、人間の本性に関する重要な真実を明らかにしている。それは、メドトロニックの元CEOビル・ジョージが言うところの、「人は自分が創造に携わったものには思い入れが強い」ということである。その根底にある心理は、人間に深く根づいた生存本能である支配欲と関連している。この「宝くじ効果」は活用するには時間がかかるが、その見返りは大きい。アディダスの元CEOヘルベルト・ハイナーは、自身の指揮下でS字カーブを構想する際には、協働で計画するやり方をとった。「5カ月かかった。しかし、その協働プロセスを通じて、大いなる熱意や新たなアイデア、創造力がせきを切ったようにあふれ出したのである」。
成功したCEOのほとんどは、自社の次のS字カーブを定義する際に、トップダウン型ではなく、協働型のアプローチをとっている。大手グローバル広告代理店、ピュブリシスの元CEOモーリス・レヴィは、それまでの買収主導の戦略が、2015年にはほぼ一段落したことを認識した。もう一度、次の新たなS字カーブを描く時がきたのだ。何をすべきかについての明確なビジョンを彼自身は持っていたが、経営陣と管理職を巻き込むことで、「宝くじ効果」を獲得した。経営陣とおよそ300人のベテランリーダーと、管理職に昇進したばかりの30歳以下の50人を集め、レヴィのビジョンを理解して精緻化し、自分たちのものにすべく、数カ月間にわたる取り組みを行った。彼らは小グループに分かれて、ピュブリシスの将来について議論し、そこで出された案をまとめ、優先順位づけを行った。最終的には、機能横断型チームで顧客にサービスを提供することに重点を置いた「パワー・オブ・ワン」と名づけた新たなS字カーブが生まれた。
卓越したCEOは、さらに、S字カーブの構想とは、戦略を立てることだけではないということも理解している。変革の推進には、社内外のあらゆる打ち手を講じる必要があるが、特に重要なのは、CEOが自身のリーダーシップスタイルを見直すことである。ベスト・バイのジョリーは、1つのS字カーブから次のS字カーブに移行する際に、自分のスタイルをどのように変える必要があったかを、次のように振り返っている。「事業再建の最中は、変革を指揮するために、CEOは強引に物事を進めていかねばならない。もちろん、CEOがすべてのことを行うというわけではなく、私の役割はプロセスを指揮することであり、実際にこの段階では多くの意思決定を行った。しかしながら次の段階では、規律は維持しつつも、社員がリスクを取って潜在能力を発揮できるよう、意思決定の権限を部下に委譲した。失敗をおそれないよう、役員全員に「免罪符」を配布し、意思決定を行うことを奨励した。『正しい理由でなら、失敗しても構わない。その時はこのカードを使えばいい』という意味で」。
先見性を持って組織の舵を取る
ボーイングの前CEOデニス・マレンバーグは、就任して4年目の2018年、『アビエーション・ウィーク&スペース・テクノロジー』の「パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選出された。その11カ月後、ボーイング737MAX機の墜落事故を受け、取締役会はマレンバーグに辞任を求めた。BPのトニー・ヘイワードは、CEOに就任して3年半後、石油掘削施設「ディープウォーター・ホライズン」により発生したメキシコ湾原油流出事故の直後に辞任した。残念なことに、「称賛から一転して辞任へ」という顛末は、数々のCEOにより何度も繰り返されている。
物事が順調に進んでいる時は、存亡の危機が迫っているとは想像しにくい。しかしながら、たとえ会社の業績が極めて好調でも、また卓越したCEOであっても、問題は「もし、危機が起きたら」ではなく「危機が起きた時に」どのように指導力を発揮するかである。実際、2010~17年の間に、フォーブス・グローバル2000にランクインした大企業100社の社名が「危機」という言葉と並んで大きく報道された件数は、その前の10年間の1.8倍になっている8。
危機は、いつ、どのような形で発生するか分からない。ユナイテッド航空の当時のCEOで、のちに取締役会長に就任したオスカー・ムニョスは、オーバーブッキングしていた航空機から引きずり降ろされ負傷した乗客の姿が、マスメディアで大々的に報道されたことがきっかけで、窮地に追い込まれた。あるいは、信用調査機関エキファックスの元CEOリチャード・スミスが直面したように、大規模な個人情報流出の責任を問われるかもしれない。このように、代償が大きい安全性の問題、倫理規定上の問題、また敵対的買収の標的とされるなど、危機の引き金となる要因は数えきれない。また、危機は特定の企業のみに関するものとは限らない。マクロ経済、感染症のパンデミック、国際紛争、自然災害、社会紛争、テロ攻撃、その他数えきれないほど多くの外部要因が、CEOに危機的状況をもたらす可能性がある。
たった一度の危機で、高い実績を誇っていたCEOが辞任に追い込まれることもあれば、危機への巧みな対応により、乗り越えたあとに以前よりレジリエンスの高い会社に成長することもある。より良い結果を出すCEOは、危機に備えるタイミングは決して危機が発生した当日ではないことを知っており、そのため定期的に事業のストレステストを行う。香港を拠点とするアパレルメーカー、エスケルのCEOマージョリー・ヤンが語った次のたとえも参考になる。「危機に遭遇するのは、航行中のヨットが嵐にあうようなものだ。出航前に、嵐に備えてしっかりと装備を整えておかねばならない。何も準備せずに出航して、嵐のすぐ手前で対処できる人がいるとは思えない」。
メルクの元CEOケン・フレージャーは次のように述べている。「臨床試験や偽造医薬品によって患者に副作用が出た場合など、重大なリスクに対する机上演習を行っていた。だからサイバー攻撃を受けた時にもチームは即座に行動に移ることができ、動揺することもなかった」。ネットフリックスのリード・ヘイスティングスは、様々な課題を設定し、検討する演習を行っている。例えば10年後の世界で、ネットフリックスは倒産していると仮定する。ヘイスティングスと彼のチームは、リストアップしたすべての要件について、倒産の原因となる確率を推定した。「確率を検討する際に、そのリスクにはどう対応すべきか、という議論に発展することもある。どのようなリスクに直面する可能性があるのかを明確にするだけでも、会社全体のレジリエンス強化に向けた賢明な行動につながることが多い」と語っている。
優れた危機管理マニュアルには、危機の発生時にリーダーが取るべき手順、作戦指令室の構成、行動計画、連絡手段などが網羅され、また、脅威の高まりを示す先行指標を定義し、その測定方法も含まれるはずだ。ゼネラル・ミルズのパウエルは、次のように指摘している。「危機管理に関して重要な点のひとつは、危機が生じた時に、すぐにそれを察知することである。危機はすべて、新型コロナウイルス感染症のパンデミックのように顕在化するとは限らない。破竹の勢いであなたの会社を抜き去ろうとしているスタートアップ企業が危機をもたらすこともある。多数の熱狂的なユーザーを擁するそういった企業の動向を、常に注視しておかねばならない。レーダーを張り巡らせ、素早く異変を察知しなければ、危機が迫っていても気づくことができない」。
ビジネス上の課題を評価するだけではなく、ステークホルダーとの関係においてもストレステストを行うことが求められる。ゼネラルモーターズのCEOメアリー・バーラは、このように言及している。「政府、ディーラー、サプライヤー、労働組合、地域社会といったステークホルダー達との関係づくりは、『あると望ましい』という任意のものではない。それは、会社をうまく運営するための一部なのだ」。このようなステークホルダーと時間をかけて信頼関係を築くことの利点として、自社が危機に陥った時、『黒』と証明されるまでは『白』と推定してもらえる可能性が高くなることである。信頼関係がなければ、その逆となる。ミネアポリスに拠点を置くUSバンコープの元CEOリチャード・デイビスのストーリーを例に挙げたい。時は2008年、金融危機のあおりでUSバンコープは試練の渦中にあった。しかしながらそれまでに築いていた信用と信頼により、「USバンコープは、市場、業界、議会から有能で信頼できる模範的な金融機関として見られている9」と米ビジネスメディアのツイン・シティズ・ビジネスが報じた 。デイビスは、ファイナンシャル・サービス・ラウンドテーブル(FSR)の議長に任命され、米国のリーダーと協働で金融業界の再建策について検討するよう求められた。この取り組みの中には、のちにドッド・フランク法(ウォール街改革、および消費者保護に関する法律)の成立につながったものも含まれる10。このように金融業界をけん引した功績により、米銀行業界紙『アメリカン・バンカー』は、2010年度の「バンカー・オブ・ザ・イヤー」にデイビスを選出した。
将来に備えるということには、自社の人材層を積極的に強化することも含まれる。そのために十分な時間とエネルギーを注いで指導し、人材を定着させ、業績管理を行う。中でも重要なのは、最も価値を生み出す役割、つまりCEOの後継者の計画に取り組むことである。「後継者の育成計画を怠るべきではない」とイントゥイットのスミスは助言する。「後継者の育成には時間がかかる。退任しても2~3年の間は、後継者がうまく機能し、企業として持続可能な成功を収めるかどうかが、あなたの評価に大きく関わることになる」。さらに、育成計画を行うことは、自身もより優れたCEOに成長することができる手段のひとつでもある。「CEOへの最大のアドバイスは、自分が去った後に、次のCEOが成功するために必要と思われる取り組みに、早めに着手すべきということだ」とマスターカードの元CEOアジェイ・バンガは述べている。「このことについて、取締役会と議論するのをためらう必要はない。彼らの意見を聞いてみるとよい。実をいえば、これはCEOとしての自分のパフォーマンスに対する評価を得る方法でもあるのだ」。
本章を締めくくるにあたり、CEO任期の中盤には、自分自身の将来も見据える必要がある、というアドバイスをお伝えしたい。CEO就任当初は、必要なことは何でもやり、成功するために全力を尽くし、できるだけ長時間働く。「好スタートを切るために、当分の間は業務量が限界を超えても仕方がない」と考えるケースが多い。しかしその前向きな意欲とは裏腹に、この持続不可能な状態が、そのまま習慣化することがある。こういった状況が任期中盤に至るまで改善されなければ、やがて心身ともに疲弊し、人間関係にも悪影響が及ぶなど、個人的な危機に陥ってしまうことになる。「正直なところ、仕事で疲労困憊していた」メルクのフレージャーはこう打ち明けた。「体中のエネルギーが吸い取られていくような感じだった」「運動が大事。家族が大事。疲れた時にはこれで充電できることに気づいた」。
任期の中盤で個人的な危機を経験しなくても、退任後、つまり、USバンコープのデイビスの言葉を借りれば「誰も自分のジョークに笑わず、誰も電話をかけてこない」状況になった時に、危機が訪れることも十分にあり得る。ドバイの巨大ショッピングモール、マジドアルフッタイムの元CEOアラン・ベジャニは、謙虚さを忘れないよう、次のような心構えでいると語ってくれた。「『肩書き』は、自分がたまたまその役職に就いている社員であることを示しているに過ぎない」。卓越したCEOには、この視点があるからこそ、任期中盤での業務や社外との関わり方は、他のCEOに比べてはるかにバランスが取れたものとなっている。
イソップ寓話では、ウサギが目を覚ます頃にはもう手遅れになっている。一方で、任期の半ばにさしかかった卓越したCEOは、この不運なウサギとは異なり、たとえ先頭集団を走っていても慢心することはない。スタートラインに立ったときと同じように、大胆さと集中力を保ち、将来の成功を目指して物事を見極める。彼らは、学びの幅を広げ、学びの機会を増やし、自社や自分自身を外部の第三者の視点から検証し、新たなS字カーブを設定する際には周囲を巻き込み、そして先見性を持って組織のかじ取りを行うことで、競合に対してリードを保つだけではなく、さらにその差を広げていくのである。イソップ寓話の普遍的な真理に基づくこの教訓は、CEOのみならず、他のあらゆるリーダーにもあてはまる。したがって、ここで紹介した様々なCEO から得られた洞察を基に、階層を問わずすべてのリーダーが、任期を通じ一貫して持続的に成功を収められることを願っている。