半導体からライフサイエンスへ:日本によるグローバルビジネス構築

| インタビュー

JSR株式会社は、約60年にわたる高性能素材産業での実績を土台とする研究開発志向の企業である。30年以上前からライフサイエンス分野の研究に着手し、バイオ医薬品の製造プロセス、ライフサイエンス研究、体外(in vitro)診断、および医療機器のための材料を提供している。近年、同社は、ライフサイエンス事業をさらにステップアップさせるため、特にバイオプロセス分野で複数の買収を行い、バイオ医薬の製造プロセス開発と高品質な製造技術を動物細胞株構築技術と融合させることを目指している。

半導体業界では広く知られた企業である同社は、さまざまな面における日本のパイオニアであり、バイオ製薬業界を狙う参入予備軍からも熱い視線を集めている。

変化する日本のヘルスケア環境に関する連載として、今回、マッキンゼーのミケーレ・ラヴィショーニと山本遼祐は、JSR株式会社 代表取締役社長 小柴満信氏に、同社のヘルスケア領域での戦略、機会そして拡大計画について伺った。

マッキンゼー: 御社は、革新的で好業績な製造会社がライフサイエンスに多角化した模範例だと思われます。御社はヘルスケアで何を行っていますか?また具体的になぜヘルスケアを選ばれたのですか?

小柴社長: ライフサイエンス事業で一連の買収を行いました。そのうちの1社は㈱医学生物学研究所(以下、MBL)という企業です。MBLは、自己免疫、がん、免疫学、神経科学領域で、さまざまな抗原・抗体やゲノム解析およびin-vitro診断試薬の開発、製造、販売を行っています。続いて、KBIバイオファーマという、ノースカロライナ州にある有名なバイオファーマCDMO企業も買収し、最近では、動物細胞株構築で世界的リーダー企業であるセレクシス(スイス)も買収しました。

一見すると2つの異なる方向に進んでいると見えるかもしれません。一方はin vitro診断と研究、もう一方はバイオファーマのバリューチェーンです。現在の当社の主軸はバイオファーマです。バイオプロセス材料事業で成功するためにはテクノロジーを実証する拠点が必要でした。しかし、社内だけでは時間がかかることや適切な人材がいないことから、実証は社外を活用することに決めました。そのために、プロセスを持つ小規模の企業を探索し、特に気に入ったのがKBIだったのです。特に、我々が持つ半導体ビジネスとは違うアプローチを評価しています。

バイオファーマ産業を見ると、半導体産業との間に多くの共通点を見ることができます。どちらも長期的で(半導体では6年必要ですが、バイオファーマでは9年ほどが必要です)、品質に対する意識が高く、また、代替サプライヤーを常に求めているので新たな企業の参入を歓迎します。これが自社で実証を行わず、KBIを買収することにした理由です。

KBIのおかげでバイオプロセス材料事業を大変順調に立ち上げることができました。事業はとても良い状況で、主要な市場は米国と欧州ですが、事業範囲は常に世界をカバーしています。チャンスがあれば、我々はどこにでも行きます。そして、バイオファーマ市場でKBIのビジネスを成功させるために細胞株構築の技術が必要だったため、KBIの買収後は細胞株構築技術の買収機会を探っていました。それが、セレクシスの買収でした。

当社のビジネスモデルは、バイオプロセス材料事業材料とCDMO事業です。ライフサイエンス事業と半導体事業の違いは実証設備で、半導体事業ではコストセンターです。しかし、KBIとセレクシスを組み合わせることで、自社技術と製品の実証を行うだけでなく売上げも出るようになり、非常に優れた事業となりました。2016年度はキャッシュフローが黒字化しており、素晴らしい成果をあげることができました。

マッキンゼー: 事業を構築するには2つの方法があります。一つは明確なマスタープランを立てて実行する方法、もう一つは市場を注視して適切な機会を適切なタイミングで見つける方法です。前者はより戦略重視であり、後者はより機会を重視します。どのようなマインドセットをお持ちですか? またどのような姿勢で事業構築に取り組まれたのですか?

小柴社長: 自社の強みに立ち返り、なぜライフサイエンスなのかを考えました。第一に既存事業と類似性があること、第二に自社の強みであるポリマー技術を使えることがありました。抗体とは高分子ですが、高分子の扱いは得意なので、その技術を実際に活用することができます。さらに、自社のソフト面でのコアスキルは品質管理です。既に半導体事業では、インテル、サムスン、TSMCと取引があります。自社の品質管理は最も厳しい品質基準を満たしています。また当社には、既存の平均的なライフサイエンス企業よりも効率よくオペレーションすることのできるノウハウがあります。当社はある意味では機会重視ですが、新たな機会の評価では、自社成長か買収かに関わらず判断すべき基準が明確になっています。

マッキンゼー: ヘルスケアへの新規参入企業の多くが苦労するのは長期の製品開発サイクルによるキャッシュフローとリスクです。同じ課題に直面なさいましたか?投資家やCFOにはどのように対応なさったのですか?

小柴社長: 幸い当社が参入した時期にはまだCDMO市場は過熱していませんでした。KBIのEBITDA倍率はリーズナブルでした。当時、バイオや小規模バイオ企業は非常に評価額が高かったのですが、CDMO事業はそれほど高くありませんでした。ですから、社内成長するにしても、あるいは人材・技術・事業を買収するにしても、9年という時間の克服はとても重要でした。実際、買収は我々にとって理に適っていました。

マッキンゼー: グローバル事業を構築しているとおっしゃっていました。日本における新規参入企業にとっては参入をさらに複雑にするとも思えます。どのような視点をお持ちなのでしょうか?

小柴社長: ヘルスケア、そしてライフサイエンスはグローバル市場であり、米国と欧州が、特にバイオファーマに関しては主要な市場と言えるでしょう。もちろん、韓国、台湾、あるいは中国にも市場はありますが、先端技術は米国と欧州にあります。これも半導体とのもう一つの類似点であり、当社にとってはとても良い状況です。私自身、米国で12年間過ごしましたので。

マッキンゼー: 企業が苦戦することが多いのは買収後の経営統合とパフォーマンスマネジメントです。どのようなアプローチをとられていますか?

小柴社長: モチベーションが高く最新の専門性を持つ若いエンジニアを日本から送り込んでいます。買収先では米国経営陣が引き続き米国事業をマネージしています。半導体事業の経験がある経営陣はバイオファーマでも非常に優れています。半導体の米国の経営幹部は効果的に買収先を自社のグローバル戦略に沿って導いています。このモデルはかなり成功しています。

ライフサイエンス事業では定期的にテーマレビューを行っています。私自身が耳を傾け、今何を行っているのか、何を開発したいのかを聞き出します。自社の事業のビジョンが明確であること、また未来に向けて投資するリソースがあることには彼らも満足していると思います。現在、ノースカロライナ、コロラド州ボールダーで事業を拡大しており、欧州にも展開していきます。

マッキンゼー: 御社はライフサイエンスの成長に買収を活用されています。買収についての決定はどのようになさっていますか?

小柴社長: 当社では、事業構想に従って特定の買収ターゲットが計画推進にどのように役立つかを評価します。また、最初に時間をかけて人材や企業文化を理解するよう努力します。今までの経験では、買い手として経営上の規律、ガバナンス、より厳格なリソース配分は導入できますが、企業文化は一朝一夕には変えることはできません。一定の親和性が当初からあることが重要です。

マッキンゼー: 買収した企業との知識移転をどのように促されていますか?

小柴社長: これは非常に重要なことですが時間がかかることであり、まず協力して信用を構築することで実現すると考えています。まずは「受け取る」前に与える必要があります。ですから、最も優秀なエンジニアを送り込んで共同プロジェクトで協力し共同プロジェクトチームを結成することで、交流は自然と行われるようになります。

マッキンゼー: 今後についてはどのようなビジョンをお持ちですか?どのような姿を目指しているのですか?

小柴社長: 現状のライフサイエンス事業は、2020年または2022年には売上げ500億円規模の事業となる可能性を持っています。売上げ4,000億円規模のJSRのような企業では、重要な事業の柱と言うためには1,000~1,500億円の規模が必要です。ですから、新たな機会への投資を続けています。最近では、慶應大学医学部と大学病院と共同で研究所を設立しました。彼らは、精密医療、マイクロバイオーム、再生医療など、ほかにも多くの素晴らしい技術を持っています。次のステップとしては、例えば、製薬企業の創薬や治療において、専門的なサービスを提供することが考えられます。

マッキンゼー: ヘルスケアへの参入には多くの日本企業が大きな関心を持っています。日本の産業セクターがヘルスケアで世界的に競争力を持てるか、違いを生み出せるかについてどのようにお考えでしょうか?

小柴社長: 1990年代の初期の頃に、当社は石油化学からファインケミカル事業へと変革を図りました。当時、あらゆる企業が同じ市場を目指していました。しかし成功しなかった企業も多くありました。当社は化学製品の量産からカスタマイズへと軸足を移しました。また、事業の多角化を行うだけでなく、同時にグローバル化も進めました。多くの日本企業はアジア市場を目指しましたが、当社は欧州市場へと向かいました。今ではヘルスケアにおいても、デジタル革命と並行して、新しい考え方が求められています。明確な答えにはなっていないかもしれませんが、当社の歴史には応用できることがあると考えています。

例えば、現代は個別化医療の時代です。よって産業は、確実に量産からカスタマイズ、そしてパーソナライズへと変化の軌道を歩んでいます。一方ではもちろんカスタマイズ市場を狙っていますが、もう一方でパーソナライズ化の時代に本当にどのように技術を収益化していくのかを理解する必要があると考えています – その時には、素材だけでなく、データそしてアルゴリズムが意味を持つでしょう。

マッキンゼー: データについてもっとお聞かせください。

小柴社長: これは当社の優先事項でもあり、課題でもあります。大量のデータを持ちながら、データサイエンティストが在籍していない企業との接点があります。当社は社内でデータサイエンティストを育てており、学習目的で複数のプロジェクトにも投資を行っていますし、また買収も検討しています。最近はテキサス州オースティンの機械学習の企業に投資を行い、6ヵ月間のローテーションでエンジニアを送り込み学ばせています。

マッキンゼー: パートナーシップは、特にヘルスケアにおいて、ますます先進的企業の重要な能力となってきています。同市場を目指す多くの日本企業は まだ自らを本質的にはメーカーだと考えているようですが、どのようなご意見をお持ちですか?

小柴社長: まだライフサイエンスでは比較的新しい当社ですが、素材や薬品をマイクロバイオームのデータに、あるいはデジタルと素材をデバイスに融合させる機会があると考えています。例えば、スマート素材技術とデータをどのように組み合わせるべきかを学ぶため、さまざまな機能やパラメーターをモニターするデジタルパッチの評価を行っています。3Dプリンター領域においても、複数の企業と提携して技術を学ぶと同時に、新たなビジネスモデルについても考えています。日本ではLexi社を買収しました。同社は医師の手術を支援する3Dソフトウェアの認可を受けており、Lexiにおいて3Dプリンターを状況に応じて組み合わせることで、背部手術や椎間置換を支援したいと考えています。当社では、素早く学ぶ手段として実地でいくつか新しい手法を試しています。

マッキンゼー: この学習プロセスでは、失敗がある中で成功をどのようにマネジメントなさっていますか?

小柴社長: 当社は大企業ではないので、すべての新規プロジェクトをモニタリングできるシステムがあります。社長の直下に経営企画部があります。彼らには3年毎に中期計画を策定するという大きな仕事が待っていますが、それ以外の時間は前述の全プロジェクトを推進していくことに全力で取り組みます。

マッキンゼー: 長い間西海岸で生活なさっていました。あなたのアプローチにはどのような影響がありましたか?

小柴社長: たくさん種をまき、小さな多くのプロジェクトにリスク資金を投じ、失敗するにしても早く失敗して経験を積むことを推奨しています。1億円の投資であっても慎重になる企業があります。当社は、やる価値があると判断すれば躊躇せず行います。その中から、より有望なプロジェクトだけを選び出して規模を拡大しますし、結果が得られなければ躊躇せず中止します。